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映画日記『名付けようのない踊り』記憶と繋がらない田中泯の顔

犬童一心・監督作品 『名付けようのない踊り』

3月16日に書いた文。

舞踏家というか、ダンサーというか、踊る人・田中泯を撮ったドキュメンタリー映画だ。2017年から2年間くらいに渡って、ポルトガル、池袋、愛媛、パリ、山梨、福島などで踊ったり、農業をしている田中泯を撮影している。合間に、田中泯の生まれ育ち・考え方をアニメーションで、また業績を当時のヨーロッパの新聞記事などを挿入して、紹介している。映画デビュー作となった『たそがれ清兵衛』のシーンもあった。手描きのアニメーションが、心臓の鼓動のように脈打って見えて、とってもいい。

田中泯は、1945年の3月、東京大空襲の最中に、八王子辺りで警官の息子に産まれて、その後バレエをやって、その後、モダンダンスをやって、その後、暗黒舞踏の土方巽と出会って、暗黒舞踏に進路変更して、70年代の後半に、パリなどヨーロッパで舞踏公演をやって評価を得て、日本に戻ってきてからは、「舞塾」という集団を率いて、中野区の「ブランB」というスペースを中心に活動していた、というのが、私が知っていたことだ。

80年代の前半に、私は田中泯の公演を何回か観ている。ソロだったり、デレク・ベイリーとのコラボだったり、舞塾との数人での公演だったりした。当時の田中泯は、髪の毛も眉毛も体毛も剃って、ペニスカップだけのほぼ全裸の状態での公演だった。印象としては、表情もなく、体は大きく、とてもおっかなく、なにか暴力的なパワーを秘めた人だと感じていた。

当時、私は仙台で大学生をやっており、仲の良かった友人が、なぜか田中泯の追っかけをやっていて、彼に連れられて、仙台でやる暗黒舞踏は、大体、観にいっていたような気がする。その頃の仙台には、大野一雄とか芦川羊子とか、暗黒舞踏の人達が、結構、やってきていた。

大抵の暗黒舞踏の人の動きが、脳性麻痺の人みたいだったのに対して、田中泯だけが違って見えた。今、思うと、田中泯の踊りは、暗黒舞踏ではなかったのだと思う。ただし、近くに寄って来られると、怖かったし、そのまま会場を出て、路上に行かれたりしたときには、小心者の私は、大分、焦った。

そういう、とんでもないモノという記憶が、田中泯に関しては残っている。
その後、社会人になって、その友人とも疎遠になり、私は暗黒舞踏も田中泯も、追わなくなった。

ところが最近になって田中泯は、俳優もやり出して、テレビでも見かけるようになった。私にしてみたら、30年振りくらいの再会だ。先日など、バラエティ番組で松山ケンイチのゲストで出演していた。テレビで見る田中泯は、髪の毛も眉毛もあって、表情も豊かでおしゃれだし、声も出して喋るし、雄弁なので、昔の記憶とぜんぜん一致しない。というより、当時の私は田中泯の顔を憶えていなかったのだと思う。テレビで見て、初めて顔を認識出来たのだ。でっかい人だと思ってたのに、意外と小柄だった。80年代に見たペニスカップの人とは、同一人物だとはとても思えず、私はずっと混乱している。

今回、犬童一心の映画で観た田中泯は、やけに格好いいオヤジだった。当然だけど、全然、芸能人には見えず、といって一般人にも見えず、妙に上品で、思慮深く、知的で、笑顔がチャーミングな、でも普通の常識人に見えた。どうみても真っ当な社会人なのだ。私の記憶の中の田中泯は、つんつるてんで体中に薄茶色みたいな色を塗って人前で平気でペニスカップだけの姿を見せつける汗臭い男で、どう考えても普通の人でも常識人でもなかったから、映画の中でモンベルのキャップを被ってトヨタのハイエースを上手に運転している姿は、どうしたった受け入れがたいのだ。

一体、昔の私は田中泯に何を見ていたのだろうか、というハナシでもあるが、モンベルの帽子は、和服姿で海外公演する際にも被られていて、常にツバを左斜めにして、やけにかわいらしいのだ。

私としては、田中泯が、なんでバレエをやろうと思ったのか、最初の頃のことを知りたかったのだが、そんなハナシはまったく出ず、妻と娘(確かいたような気がするが、勘違いかもしれない)とかが出てきて、人間・田中泯を語ったりするのか、といった展開も全くなく、私の下世話な関心はことごとく無視され、映画は、幸せそうに踊る田中泯を延々と映すのだった。

田中泯は、何もしないで立っているだけで踊りになっていなければならない、といったことを映画の最後の方で発言している。私の粗雑な頭では、立っているだけで、サマになっている、と言い換えて理解してしまう。今の田中泯は、立っているだけでサマになっている。これはもはやスターの領域だ。

スターというのは、立っているだけでサマになっているのだし、田中泯ともなると、群衆の中であっても、砂漠の中で一人っきりであっても、立っているだけでサマになるのだ。そして、そういうのが田中泯の踊りなのだと思う。

田中泯は、人間の卑しさなんかとは、最初から無縁の、ひとすじの人だったのかもしれない、と、これを書きながら思った。ひとすじ、というのは、芸術一筋と書くと、どこか別なものになってしまうが、なにか抽象的なコトバ、私が書くとそれは抽象的なコトバにしかならないが、その抽象的なコトバのしめすトコロ、モノ、に向かって、自分の体を使ってそれを具体的にしていく、というような作業で、その過程では、よそ見などはしないし、余計なことはしないし、無駄な思考もしない、という、そういう、ひとすじだ。
芸術とか、美とかでもない。どこか異能の、ひとすじだ。

場踊りをする田中泯は、そこの場所にじゃれているようで、とても楽しそうだ。うらやましく見えてしまった。モンベルで同じ帽子を買ってこようと思った。


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