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映画日記『ZAPPA』

①ザッパ通は、思いのほか生息数が多いらしい


ロック界の巨人、フランク・ザッパの人生を描いたドキュメンタリー映画を観た。いつものようにアップリンク吉祥寺だ。実は公開初日に観に行ったから、今から2週間くらい前のことだ。感想文を書いたと思ってすっかり忘れていた。慌てて、昨日から書き出してみた。だからちゃんとした感想ではなく、2週間経った分、捏造されているかもしれない。

客席は、満席にちかかったと思う。客層は、例によってオヤジが多かった。でも私のような初心者は少なくて、筋金入りのザッパファンのような、独特の顔とファッションをしたオヤジが多かったと思う。ディスク・ユニオンの袋を持ったオヤジもいた。アップリンクは地下2階だけど、一個上の地下1階には、ディスク・ユニオン吉祥寺店があるのだ。それにしてもオヤジ連中、みんな荷物が多かった。何が不満であんなに荷物を持っているだろうか? 普段はなにをしている人なのだろうか?

女性陣は、オシャレなかっこいい人が多かった。男女のこの違いはなになのだろうか? 女性は年齢相応の、今、その時にふさわしいオシャレを楽しんでいるように見える。それに対して、オヤジ連中は、年は取ったものの、オシャレの軌道修正が出来ずにそのまま押し通している感じ、と言えばいいのだろうか。最近、映画館にいくたびに、この男女の差が気になる。もちろん、私もむさくるしいオヤジなのだが……。

②録音して記録する魔人


2020年の制作の映画だった。ザッパは1940年の末に生まれて、1993年の末に、52歳で亡くなっている。もう、30年も前に亡くなった人だ。

生きている間に、50枚以上のアルバムを出している。死んでからもアルバムは出続けていて、没後に60枚以上が出ているという。今年になってからもCD6枚組とか、ボックスセットが幾種類も、とにかく大量の音源が新譜としてリリースされている。それらを合わせると120枚弱になる。そのうちに、150枚くらいになるかもしれない。

なんでそんなにあるのかというと、録音しているからだ。スタジオでもステージでも、フランク・ザッパは、全部、録音していたのだろう。

ザッパよりあとの人だと、プリンスも録音する人だったようで、膨大な音源が残っていると言われている。没後、どんどんリリースされるだろうなんて言われていたが、思ったほど出ていない。なぜだろうか。

ザッパより数歳年下の、キング・クリムゾンのロバート・フィリップも録音する人だ。膨大な量の録音があって、常に小出しにして、発売している。キング・クリムゾンのステージは、その最初から今に至るまで、全部、録音しているのではないか。ロバート・フィリップの場合、固定客を相手にした手堅い商売といった印象だ。日本はいいカモになっている感じがする。

その点、ザッパには商売人のイメージはまるでない。自分の音楽を好きなように作って、好きなように演奏した人、という潔い印象だ。

③閉ざされていたフランク・ザッパへの道


ところで私はフランク・ザッパをほとんど聴いたことががない。どうしてかというと、理由は簡単だ。聴く機会がなかったのだ。まず、フランク・ザッパの曲はラジオではほとんどかからなかった。ラジオでかからないと、レコードで聴くしか方法がなくなる。しかし、1970年代、80年代といった昔は、予備知識を持たずにレコードを買う人などいなかった。まるっきり聴いたことのないアーチストのアルバムなんて、普通は買わないのだ。だからその時点でザッパへの道はとざされていたと言える。

フランク・ザッパの場合、ラジオでかかったとしても、初期のマザーズくらいだったのではないか。だから私が聴いたことがあるのは、マザーズを少しだけだ。70年代、80年代、ザッパの新譜がレコード評として雑誌で紹介されることはあっても、ザッパが記事になることは、私が読んでいた雑誌(ミュージック・ライフ、ロッキング・オン、ニュー・ミュージック・マガジン)ではなかったと思う。

その当時は、めぼしいミュージシャンの新譜が出ると、大抵、ラジオで短い曲がかかっていた。ラジオの今月の新譜紹介みたいな中の1曲としてかかるのだ。そういう番組を私はカセットテープで丸ごと録音して、よく聴いていた。しかし、ザッパの曲がそういう新譜紹介の中でかかったのは、1回くらいしかなかったと思う。そういう限定された中で、ごく僅かに聴いたザッパの曲は、尺の短いボーカルもので、私はザッパの声が良いと思っていた。だからギタリストとしての印象はあまりない。

新譜のレコード評によるとザッパの歌ものは、コミカルだったり、批評的だったり、諷刺的だったりするというのだが、英語で歌われる曲からユーモアを理解することは日本人には難しいだろうとか、また、寸劇風な展開の曲は、テレビのコメディショウみたいで日本人にはなかなかピンとこないのだ、とか、大抵の曲は、ラジオでかけるのは長すぎる、などと書かれていた。

こうなるとザッパを聴くには、レコードを買うしか方法がないのだが、お金に余裕もないし、私が買うことはなかった。周囲にもザッパファンはいなかった。それでもすごい人だと書いてあるので、ザッパのことは気にはなっていた。

④レコードレンタルからCD、そしてYouTubeの登場


1981年くらいになって、私の住む地方の街にも、レコードレンタルというものが出現した。フランク・ザッパのレコードもあるにはあったが、大抵はマザーズの『フルークアウト』とその周辺の2、3枚どまりだった。だから私が聴いたことがあるのは、マザーズの2、3枚だけだった。正直、あまりピンとこなかった。

当時の私が聴いていた主な音楽は、根底に白人がやるブルースがあって、それの発展した系列のブリティッシュロックが中心だったので、ルーツをどこにも感じさせない、しかもアメリカンな匂いの強いマザーズの音楽は、よくわからなかったのだ。

その後、世の中は、MTVの時代になって、それまでレコードで聴くしかなかったミュージシャンの姿を、テレビで見られるようになった。フランク・ザッパのこともテレビで見た。でも演奏している姿ではない。検閲反対の参考人として裁判に出る映像だった。BBCだかCBSの報道番組だったと思う。ああ、この人は社会的にもちゃんと発言する人なのだなと思ったことを覚えている。

それでまたレコードレンタルで、ザッパのアルバムを探して聴いてみたら、普通のアメリカンバンドのような曲があったり、ファンキーな黒人ノリの曲があったり、短調でも長調でもない、現代音楽みたいな曲を、エレクトリックなバンドでやっているアルバムもあったりで、やっぱり私にはよくわからなかった。

ボーカルのあるウェザーリポートみたいだった、というのが当時の印象だ。…ウェザーリポートというか、ロックとは違った、フュージョンのようなバンドの印象だ。一つの曲の中で何人ものメンバーが歌っていて、そもそも誰がメインで歌っているのかもわからないのだ。そういう曲は、私には捉えづらく、没入して聴くことが出来なかった。

それから世の中がだんだんCDの時代になっていって、輸入盤屋にいくと、フランク・ザッパのコーナーもあって、何枚も並んでいたりした。でも私は買うことはなかった。そうこうしているうちにフランク・ザッパは亡くなってしまった。

『ユリイカ』で追悼特集が出たり、工作舎から『大ザッパ論』が出たりした。すごいなと思いながらも、私はそれらを買っていないし、読んでもいない。

その後も、いろいろと語られるようになって、ザッパは生前よりもどんどん巨大な存在になっていった。私の頭の中では、ザッパは身長が2メートルあるプロレスラーみたいな巨人に膨れ上がっていた。結局、そのままザッパを聴く機会はなく、YouTubeの時代を迎えてしまった。

YouTubeもここ数年になると、大量の動画、大量の音源がアップされるようになっている。人によっては、YouTubeだけで音楽を聴いている人もいるかもしれない。以前は、聴けなかったアーチストもYouTubeにはアップされているし、以前はレコードを聴くしかなかったアーチストやバンドを、動画で見ることが出来ようになった。

夢のような時代になった。

そういうことで、私も昔、気になっていたが、聴いたことのなかったアーチストの動画を、せっせと見るようになった。フランク・ザッパもそういう中の一人だった。

⑤とにかくすごいフランク・ザッパ


YouTubeで見るフランク・ザッパはすごかった。何がすごいのかというと、何をやっているのかわからないけど、とにかくすごいことをやっている感じがビシビシしてすごいのだ。

ザッパの長い曲は、他のバンドの曲のようにシンプルな編成になっていないことが多い。他のバンドならギターソロが出てくるあたりに、管楽器が出てきたり、バイオリンが出てきたり、マリンバが出てきたり、どの楽器がメインなのか、わからないから、私の場合、聴いていても気が散ってしまうのだ。どの楽器も、均等に現れてくるのが、フラック・ザッパの音楽の特徴だ。それはボーカルも同じだ。リード・ボーカルもコーラスも、他の人のボーカルも、妙に均等な印象を受けるのだ。

歌のない長い曲になると、単調なようだし、でも複雑だし、私には聞きほれることができないのだ。感情移入して聴くことが出来ないのだ。それでも何回も聴いていると、やっと耳に定着してくる。定着してくると、やっと楽しむことが出来るようになる。

そもそも私は、ザッパのような作りの曲を、音楽として受け止める耳が出来ていないのだと思う。つい、どの楽器のフレーズがメインなのか、なんてことを無意識に考えてしまうので、曲に集中できないのだと思う。

それに、楽器編成もいろいろだし、メンバーは全員ハイテクっぽいし、歌のある曲は楽器を弾きながら複数がパート別に歌うし、バンドメンバー全員でふざけていようだし、しかもハイテクな人たちが余裕で、しかも大人なのに、ふざけたことをやっているのだ。しかし、1曲の中でボーカルが入れ替わるのは、耳だけで聴いていると混乱したが、動画で見ると、まるで気にならなず、意外と楽しく見ることが出来た。

動画の中には、歌詞の日本語字幕をつけてくれているものもあり、とっても重宝している。中には本当にくだらないことを繰り返す歌詞も多く、いい大人が思い切り全力でやっているらしいのだけど、どこか力が抜けている妙な感じなのだ。ザッパ本人は、大抵はギターを弾いていて、歌も歌うけど、大抵、煙草も吸っているし、時々、指揮もする。その指揮も、すごく雑だ。

ザッパはじめ、出てくるメンバーがどいつもこいつも、おしゃれじゃないの不思議だった。それがその当時のはやりだから、それを着てきたよ、といった感じでテキトーなのだ。そんな連中が、ロックなんだかパロデイソングなんだか、フュージョンなんだか現代音楽みたいな曲を演奏して、やっぱりくだらないことを歌うのだ。これがカンタベリー系のバンドやキング・クリムゾンみたいにしかめっ面でやっていれば、わかりやすいのだが、ザッパのステージの人たちは、どいつもこいつも陽気なのだ。

ということで、フランク・ザッパのドキュメンタリー映画を観ないわけにはいかなかった。

⑥すべてが独学

想像はしていたが、びっくりの連続だった。まずザッパの身長が、当たり前だけど2メートルはなかったこと。顔が細長くてかっこよかったこと。ロックを聴いて育っていないこと。最初に現代音楽を聴いて、自分で作曲を始めたこと。楽器は全部独学だということ。音楽も独学だということ。そのくせ、ギターも鍵盤もものして、かなりの腕前に見えた。譜面もすらすらと書いていた。なんでそんなことが出来るのだろうか? こういうのを天賦の才能というのだろうか。私は楽器は一つもできないし、音痴だし、私と比べて、なんて不公平なんだろうと思った。

顔が細長くてかっこよかったなどと書くと、ルッキズムだと批判されるのだろうか? とにかく、映画館の大きなスクリーンで見るザッパは、本当にハンサムに見えた。下品なこと、歯に衣着せぬ発言で有名だが、品があって知的に見えた。

そしてフランク・ザッパはあんまりロックっぽくなかった。セックス・ドラッグス&ロックンロールの気配がほぼなかった。ドラッグは一切やらないのだ。女のハナシは出てきたけど、情痴な雰囲気は皆無だし、煙草はやたらと吸っていたが、大麻の感じはしない、ロックンロールは演奏していたけど、ザッパの音楽の核心からは距離があったし……。

そしてやけに勤勉に見えた。勤勉どころか、音楽しかやらない、やれない人に見えた。人間は普通、いろいろな面を持っていて、多面的であること成り立っているものだが、フランク・ザッパという人は、音楽面が大きすぎて、逆に単純な人に見えた。人間味が感じられないと言うと、おかしいか。

本人は自分のことを作曲家だと称していた。作曲して、それを完璧に演奏して、自分の曲を聴きたいのだ。それしか自分のしたいことはないのだと言い切る。他人の評価には興味がないらしいし、自分の曲で他人を感動させるとか、自分の曲を他人と共有したいなどとは思っていないらしいのだ。聴いてくれればまあよかった程度の感じなのだ。演奏や録音は、いろんな人の能力を借りてやるしかない行為だが、フランク・ザッパにとっては極めて個人的な行為のようだった。

映画の終盤、まだDOS-V時代の白黒が反転したパソコンを使って、作曲をしているザッパの姿があった。一人で全部出来るからバンドはもういらないみたいな発言もあった。ザッパがあと20年長生きしたら、完全宅録作品を作り上げたのだろうな、と思った。あるいはあと20年遅くに生まれていたら、パソコンを駆使した音楽を作ったのだろうと思った。そうなった場合、今日評価されているザッパほど偉大な人物にはなれないのだろうなと思った。

そんなフランク・ザッパだから、社会的なことは全部スルーするのだろうと思いきや、自由を侵害されかねないことが起こると、公然と異を唱える人でもあった。もちろんたった一人で立ち上がるのだ。

⑦絶対的自由を求めて


1985年に過激な歌詞を規制しようとした動きに対して、上院の公聴会で反対側の証人の一人として出席して、意見を述べている。映画の年齢制限のような規制を、ポップミュージックにもかけようというもののようだ。具体的には、問題があると思われるレコードに、警告のステッカーを貼るのだが、そのステッカーが貼られた曲は、ラジオで放送できなくなったりしたのだろうか? 詳細やその後の経緯がよくわからないが、多分、反対側の意見が通ったのだと思う。

この時の模様も映画の中で紹介されているが、私のような底の浅い、知性よりも感情で動く人間には、公権力の横暴に立ち向かうザッパが、極めてロック的でかっこよく見えた。

チェコの文化特使になったり、意外にもチェコやハンガリーでといった東欧諸国で、フランク・ザッパは自由の象徴的な存在だった。チェコというと「ビロード革命」にかかわったベルベット・アンダーグラウンのハナシが有名だ。ザッパとチェコとの関係がいまいちよくわからなかったが、ザッパの人気は絶大だった。

なんと大統領選挙にも、本気で立候補を考えていたようだ。なんどか検討して、健康上の理由から最終的には断念している。

その後、癌が発覚して、健康状態も悪化していく。ザッパは仕事の総仕上げとして、自作曲のオーケストラ演奏を実現させる。その曲は、無調の現代音楽といった感じだった。ということで、フラック・ザッパという人は、ロックの人というよりは純粋な音楽家だった。

その音楽活動は、自由を希求する激しいものだったと思う。ザッパは自由を侵害されることを何よりも嫌った。公聴会での証人も、大統領に立候補しようとしたことも、自由を死守するためには必要なことだった。

ザッパの求めた自由は、でも、相対的な自由ではなく、絶対的な自由だったような気がする。私たちの自由は、大抵、不自由があって成り立っているけれど、自由だけで成り立つ自立した自由というものも、多分、あって、それを言葉にすると絶対的な自由になるのだけれども、絶対的な自由というものは、他人を傷つける厄介なものだとも思う。その絶対的な自由が形になったものが、ザッパの音楽なのだろう。だからザッパの音楽は厄介なのだと思う。

フランク・ザッパ本人は、もう30年ちかくも前に亡くなっているが、その音楽は、今はYouTubeなどでひろく公にされているものもあり、自由に聴くことが出来る。ということで、私は今、やっとフランク・ザッパを聴き始めたところだ。ちょっと面倒だけど、人生が楽しくなってきた。

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