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読書日記 和久井光司・編著『NYパンク以降のUSロック完全版』そこに至る筋道

■和久井光司・責任編集『NYパンク以降のUSロック完全版』 河出書房新社

1975年頃にパティ・スミスの1stアルバム『ホーシス』から始まったユーヨーク・パンクと、それらから派生したアメリカのロック、ポップの流れを、デヴィッド・バーンの『アメリカン・ユートピア』まで俯瞰して、ディスク・レヴューで示した本。

とはいえ、2000年代の音源は少なくて、主に1995、6年までを扱っている印象だ。

私のように当時のパンクど真ん中の世代にとっては、とても楽しく読める本だった。自分の好きなアーチスト、自分が持っているレコードの記事を読むと、そうだとか、違うとか盛り上がるし、昔の気分が蘇ってくる。

しかし、まったく聴いたことのないアーチストだど、読んでもピント来ないのだが、流れや人脈から、今更ながらに興味が出てきて、YouTubeで探したりしている。便利な時代になったと思う。

当時はインターネットもYouTubeもないから、雑誌かラジオか直接レコードで触れるしかないから、詳しい情報は得られないし、ましてシーンの広がりや全体像などつかめない。当然、抜け落ちている部分も多い。私の場合、ジョナサン・リッチマンとザ・モダン・ラヴァーズは、まさにのその抜けた部分だ。当時も今も私は聴いたことがなかった。

友人にも聞いてみたが、私と同様、バンド名は知っていても、聴いたことのある人はいなかった。もしかしたら、日本ではあまり紹介されなかったのではないかと思う。

本書では、ニューヨーク・パンクの起源を、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドが、フォーク仕様からロックバンド仕様に変更したあたりに求めている。それは、ヴェルヴェットが、アンディー・ウォーホルのファクトリーを出て、マックス・カンザス・シティでライブをやるようになったことをさす。

その時期に、マックス・カンザス・シティやCBGBといったフォーク向けではない、ロック向けの会場が、初めてニューヨークに登場している。そしてその会場へ、ロックバンドの形で、表現をする人たちが集まってきたのだ。ハードが整ったことで、パンクが始まったとも考えられる。



きしくも先日、ヴェルヴェットの昔の音源が発見された。


見つかったのは、「1967年にリリースされたデビューアルバムの土台となった、初期の9曲の別バージョン」だ。

この記事にはウォーホルのこんな発言も引用してあった。「結局のところ、誰もが何でもできるというのがポップの考え方だった。だから、みんながあれこれやろうとしたのは当然だ」

これはまさにパンクの思想だ。この言葉の通り、ニューヨーク・パンクは、あれやこれや様々な音楽に、開花している。1975年から3年余りの間に、パティ・スミス、テレヴィジョン、ブロンディ、トーキング・ヘッズ、ディーヴォまでが登場している。

この5つのバンドの中で、曲調がオーソドックスなのは、パティ・スミスだけだ。そのためか、ニューヨーク・パンクは、すぐにニューウェイヴと呼ばれる流れに変化する。

しかも、ロンドン・パンクと違って、ニューヨーク・パンクは、それぞれのアーチストの演奏能力も高かったように思う。だから、ニューヨーク・パンクを、ヘビメタとかブルース・ロックとか、そういった音楽ジャンルとして分類するのは不可能なようだ。

ではパンクとは何なのかといったら、体制におもねらない態度だと、編著者の和久井は書いている。でもそれじゃあ、広義のロックとあまり変わらないと私は思うのだが……。

ちなみにその和久井光司の展覧会が、ちょうど今、吉祥寺でやっている。「和久井光司 私をつくったもの展」だ。和久井光司は、ミュージシャンでもある。その和久井が、何を体験して、何を吸収して、今あるように、至ったのかが、わかる展覧会になっているのだと思う。

河出の完全版シリーズが、ディスク・レヴューを網羅することにこだわっているのも、成り立ちとか筋道をはっきりさせるためなのだと思う。成り立ちがわかると、その作品への理解も、より深まるのだし、印象深さも増すに決まっている。

来週、可能なら昼間に観に行こうと思っている。和久井は1958年生まれで、私が生まれたのが1961年だ。この3年の開きは、実はものすごく大きい。展覧会ではその差を痛感するのだと思う。

思春期鳥羽口のサブカルチャー受容体験の3年差は、限りなく大きい。本書もその差を実感しながら読んだ。これについては、いつかきちんと書かねばと思っている。


ニューヨークから遅れること1年、ロンドンで始まったパンクは、だいぶ違ったものになっている。1974、5年に、ニューヨークに短期滞在して、ニューヨーク・ドールズのマネージャーをやっていたイギリス人のマルコム・マクラーレンは、ニューヨークでパンクが起こるのを目撃していた。帰国後、そのノウハウをロンドンに持ち込んで、近所の悪ガキを寄せ集めて、バンドを結成した。それがセックス・ピストルズだ。

コンセプトの一つが、楽器初心者でも出来るロック、だ。ウォーホールのポップの概念をロンドンのロックにバンドに持ち込んだのが、マクラーレンだったと言える。そして、ピストルズを見て、それまで楽器をやったこともない若い連中が、楽器を持って、バンドを組むようになって、ロンドン・パンクの動きとなって瞬く間に広まった。

ロンドン・パンクの特徴は、みんな演奏が下手なことと、バンド結成からステージ・デビュー、レコード・デビューまでの期間が、極端に短いことだ。
バンドによっては、ステージ日程が決まってから、生まれて初めて楽器を手にしている。

そんな有象無象の中から、相当数が生き残って、ひとかどの演奏家になっているのだから、ロンドン・パンクはすごい。

ハナシがそれてしまった。パティ・スミスやデヴィッド・バーンなど、ニューヨーク・パンクから出発した面々は、いつの間にか現代を代表する芸術家とか文化人にもなってしまった気がする。それはそれでものすごいことだなあと思う。

そろそろ鬼籍に入る人も出てきたが、70代に突入しているパンク・ロッカーたちは、この先、どこに向かうのだろうか。やっぱり私は追いかけていくと思うのだ。


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