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映画日記『チタン』自動車人間は自動車羊の夢をみるか?

4月1日に書いた文章

ジュリア・デュクルノー監督 『チタン』

『チタン』は最近、アップリンクで予告編を見て、観に行こうと思って、観に行ったのだ。金曜日だったのでお客さんの入りは、いまいちだった。

いつものことで、申し訳ないのだけど、私の書くものは、いわゆるネタバレになる。その上、観た映画に、自分がイメージしていたものや自分の考えと一致しない部分があると、執拗に違う違うとあげつらって、一通りくさして憂さを晴らしているような文章だから、実は人様にお見せできるようなものではない。映画のストーリーを説明したりもしない。だから、映画を観た人が、読んでくれた方がいい。本当に個人的な感想文でしかない。

①ことごとく予想を裏切る展開

と言い訳しつつ、『チタン』だ。主人公は、子供の頃の交通事故が原因で、頭の中にチタン(金属)が埋め込まれている。主人公は女性だが、男に成りすまし、かつまた、異性愛・同性愛どころか、自動車とファックして妊娠するという、男女のくくりや人間のくくりをも超えたすごい映画だ、という程度の前知識で観に行った。

だからでもないが、私は、主人公の頭の中の金属がことあるごとに疼いて、世の中の金属に感応して、つながって、何かが起こっていくという、塚本晋也・監督の『鉄男』のような映画をチラっと思い描いていた。なにしろ主人公は、自動車とファックして妊娠までするのだ。

人間の女とセックスできる自動車が何台も出現して、自動車との間に子供を孕んだ妊娠女性が何人も出てきて、人間と自動車のハーフが何人も生まれてきて、取り残された男どもが右往左往して、世の中が変わってしまう、といった壮大なSF映画を、妄想したりもした。

生まれてきた子供は、どんな形状なのだろうかとか、生まれてきた子供の男女にはどんな違いがあるのだろうかとか、ロボット三原則みたいな自動車人間のモラルとか行動原理があって……などど、古いSF映画みたいなものを、一方的に夢想していた。「自動車人間は自動車羊の夢を見るか」なんて、やっぱり古臭いことを妄想したりもして、そんな頭でこの映画を観た。しかし、予告編からも明らかなとおり、そんな映画ではまったくなかった。

監督は女性なのだそうだが、観ていても、あまり女性性を感じることはなかった。私が鈍いのだと思う。カンヌ映画祭で賞を獲ったとかで、前評判は非常に高く、ジェンダーとかいろいろ今日的な問題に挑戦している問題作らしい。が、鈍い上に知識もないし不勉強な私は、やっぱりピンとこなかった。

こんなばかばかしいものをよく作ったなあ、と思わず笑ってしまいたくなる(笑みがこぼれるのだ)映画だった。デヴィッド・クローネンバーグとクエンティン・タランティーノ を足して、それにスピード違反したデヴィッド・リンチを足して、3で割ったみたいな映画だった。こういう感想を抱くのだから、私がズレでいるのだと思う。

②展開のはやさに頭がおいつかない

音楽のPVの連続のような画面が続き、ひたすらやかましく、テンポの速い映画だった。きっと、これが今のはやりの映像なのだろう、と思った。観ている間は、何がどう展開していくのか、予想もつかず、画面から目が離せなかった。スクリーンに映っているものの意味を、その場(映画を見ながら同時進行)では考えることができないくらいテンポが速いのだ。観客に、考えるすきを与えないといったらいいのだろうか。

これも、私がジジイになって情報処理が間に合わないだけで、若い人は余裕で観て、ちゃんと考えることができるのかもしれない。私の場合は、観終わってから、あれは何だったのかとか、あれはおかしいのではとか、いろいろと疑問が浮かんできたが、観ている間は、立ち止まって考えることができなかった。だから、この映画は、カメラワークと編集の「力業」で成功している映画のような気がした。

それに、またしても、私が単にジジイになって、人の顔を覚えられなくなっているだけかもしれないが、主人公の女性の年齢が、観ていてよくわからなかった。20歳前後の女の子にも見えるし、30代後半のおばさんのようにも見える。美人なのかも、そうでないのかもわからない。多分、ほかの映画でこの女優を見ても、私は、『チタン』で観た女優だとは認識できないのではないかと思った。

人があっさりと殺さる場面がたくさんある映画なのだが、途中から消防隊が舞台になったために、人命救助に尽力する場面も出てきて、この映画が何を大事にしているのかわからなくなり、観ていて 私の頭は混乱してしまった。簡単に殺された人たちは、通りがかりで殺されたようなもので、その人がどんな人なのか、どんな人生だったのか、なんてことは一切顧みられることはなく、その他大勢的な扱いで、時代劇の切られ役みたいに画面からすぐにいなくなる。

一方で、主人公は、主人公だから、ずうっと画面に出続ける。こんなことに不公平さを感じたりしていたら、映画など成り立たないし、観ていられないのだが、命の重さの違いがこれまでの映画と同じように、ありきたりに描かれているだけなので、少しがっかりした。私は何を期待していたのだろうか……自分でもよくわからない。

③チタンは何かを抑制しているのか、暴走を促しているのか?

この映画のタイトルは「チタン」という。映画の冒頭で、まだ子供だった主人公が、交通事故にあって、頭に怪我して、その処置のために頭にチタンを埋め込まれている。右耳の上に、アンモナイトのような傷が、大人になってまで残っている。チタンが埋め込まれる前の少女は、情動が不安定で、かなり異常な子供に見えた。それに比べると、チタンを埋め込まれた後の成長した主人公のほうが、まともな人、普通の人に見えるのは、どうしてなのだろうか? チタンが何かを抑えているのだろうか?

主人公の女性は、自動車とファックして妊娠するのだけど、これなどは文字でしか表現することしか出来ない小説だと絵空事になって、説得力を持たせることがむずかしい。でも、映画なら、視覚を操る表現なので、絵空事でもいくらでも成り立たせることが出来る。その意味では、この映画は、映画でしか出来ないことをやっているから、嬉しくなる。

彼女は、頭の中にチタンを埋め込まれたことで、自動車に執着するようになっていったらしいのだが、あまり段階的には描かれないし、ことさら自動車を偏愛しているようには、見えなかった。あるいは、私は気が付かなかった。

肝心の自動車とのセックスは、自動車の方が彼女を誘っているし、その自動車がやたらと男っぽいし、セックスシーンもふくめて、笑ってしまった。この映画の中では彼女は実際に妊娠してお腹が膨れてきて、それに困っている様子を描いているのだから、幻想とか狂気の中に生きているのとも違う感じだ。映画の中では、自動車の子供を妊娠していることは、現実なのだ。

主人公は、一人殺したあと、連続して殺人を犯していくのだけど、なんで人を殺すのか、理由がさっぱりわからない。そのあたりは、理由が示されずにどんどん展開していくホラー映画みたいだった。

途中から、主人公の女を、自分の行方不明の息子が帰ってきたのだと受け入れる(かくまう)消防隊長のオヤジが出てくる。指名手配になった主人公は、男装して、オヤジのところに逃げ込んで潜伏?するのだ。二人の間には、奇妙な共犯関係のようなものが成立している。

でも、火事の現場で子供が燃えているような映像が挟まれたりするので、消防隊長のオヤジは、実は、息子が死んでいるのだと判っていながら、現実を受け入れられず、つまりは狂気の中にいることを選んでいるように見える。
車との子供を妊娠している主人公の女は、現実の世界にいて、消防隊長のオヤジは、狂気の世界に生きているように見える。同じ家にいるけれど、別々のころで生きているように見える。

その消防隊長は、毎晩、お尻に何かの注射を打っては、恍惚の表情で意識を失うのだけれど、その注射が何なのかは、よくわからない。我に返らないための、狂気を保つためのヤク物、のようにも見える。でも、血管ではなくお尻だから、筋肉注射だ。ステロイド剤かもしれない。でも、気絶する。よくわからない。わからないことだらけだが、ホラー映画だから、わからなくてもいいのだ。

④生まれた赤ん坊の未来

観ながら、どういう終わらせ方をするのか、楽しみにしていたが、終わり方は、案外、普通だった。子供が生まれたところで、終わってしまった。

お腹が大きく膨れて、ついに陣痛が始まって、救急スキルのある消防隊長がラマーズ法みたいに呼吸法で出産を促して、めでたく?赤ん坊が生まれる。出産して、主人公の女は死んでしまう。死んだのか気絶しているのかは、はっきりしないけど、死んだように見えた。消防隊長が臍の緒を切って、赤ん坊を抱き上げ、俺が守ってやる、見たいなことを言って、映画は終わりになった。

赤ん坊は、自動車人間というよりは、ずっと普通の人間の形をしていた。ただし、赤い血ではない、おそらくは自動車のオイルのような黒い液体にまみれて生まれてきた。このオイルのような黒い液体は、これまでも主人公の股の間から流れ出したり、吐瀉物として、何度も出て来ている。黒い液体にまみれた赤ん坊は、そのうえ背中に縦に一列、金属鋲が埋まっている姿だった。それも自動車の証しだろうか。でも思ったよりもずっと普通の人間の赤ん坊だ。

その赤ん坊を守ってやると決意した消防隊長は、そこで現実を受け入れたことになるのか、それともこれまでの狂気がその先も続いていくのか、よくわかない。赤ん坊が生まれたことで何かが再生する、みたいな感じも受けなかった。母親との繋がりを感じようにも、背中に金属のある異物な赤ちゃんだし、赤ん坊を抱くこともなく、主人公は死んでしまったのだ。なんだかさっぱりわからないけれど、生まれた子供の成長の物語のほうが、映画としておもしろそうだなと思ったが、生まれたところで映画は終わってしまって、その先はなかった。

主人公の女は、困ったような顔はしょっちゅうするけれど、ほとんど何もしゃべらないし、内面があまりない人物のようだった。他人とある程度近しくなると、パニックを起こして、暴力的になり、あっさりと相手を殺してしまうしか、やりようのない人物のようだった。彼女以外の主要な登場人物は、その逆で、なぜか、みんな過剰な内面を抱えて、何かに悩んでいるような顔をしていた。なんでだろう?

この映画には、狭いところに分け入っていくような、閉塞感が一貫してあり、その閉塞感を抱きしめるようにして映画は終わった。

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