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映画日記『親愛なる同志たちへ』変わらないロシアの体制と耐え続ける人々

アンドレイ・コンチャロフスキー監督作品『親愛なる同志たちへ』

十日くらい前に、アップリンク吉祥で見た。平日の昼間の時間帯だったが、半分以上、客席が埋まっていた。若い人よりも年長者が多かった。白黒映画だった。すっきりとした観やすい映像だった。しばらく前に読んだチェーホフの『ワーニャ伯父さん』のような映画だった。ロシアは、チェーホフの時代から、何も変わっていないのかと愕然とした。


この監督のことは、まったく知らなかったかったが、現在は84歳でモスクワに住んでいるらしい。ウィキペディアによると、60年代はタルコフスキーの仲間で『僕の村は戦場だった』などの脚本を共同で執筆している。80年代にはハリウッドに進出して、ナスターシャ・キンスキーの『マリアの恋人』や黒澤明の脚本を元に製作した『暴走機関車』などを作っている。『暴走機関車』は見たことがある。駄目な映画だったと思う。ペレストロイカ以降にロシアに復帰したとある。

『親愛なる同志たちへ』は、実際にあった労働ストを弾圧した事件を描いた映画だ。
映画.comの解説(https://eiga.com/movie/93561/)をそのまま貼り付ける。

「暴走機関車」などで知られるロシアの巨匠アンドレイ・コンチャロフスキーが、冷戦下のソ連で30年間も隠蔽された民衆弾圧事件を題材に撮りあげた社会派サスペンス。1962年6月1日、ソ連南部ノボチェルカッスクの機関車工場で大規模なストライキが発生した。フルシチョフ政権が目指した豊かな共産主義統治にも陰りが見え始め、生活に困窮した労働者たちが物価高騰や給与カットに抗議の意思を示したのだ。危機感を抱いたフルシチョフ政権は、スト鎮静化と情報遮断のために現地へ高官を派遣。そして翌日、約5000人のデモ隊や市民に対して無差別に銃撃が行われる。広場がすさまじいパニックに陥る中、熱心な共産党員として長らく国家に忠誠を誓ってきたリューダは、18歳の愛娘スヴェッカの行方を捜して奔走する。リューダを演じるのは、コンチャロフスキー監督作「パラダイス」でも主演を務めたユリア・ビソツカヤ。2020年・第77回ベネチア国際映画祭で審査員特別賞を受賞した。

という映画だ。時代背景をもう少し説明すると、独裁者のスターリンが死んで、フルシチョフが指導者のトップになり、「雪解け」と言われる時代が始まった。雪解けは、ソ連時代の1950年代半ばから1960年代半ばまでの期間をさす。ソ連の政治に民主的転換が起こり、弾圧が終わり、社会改革が始まり、言論の自由が生まれた時期だ。

具体的には、1953年にヨシフ・スターリンが死に、政治犯の名誉回復が起こり、公式にスターリンの個人崇拝が批判されたりした。この流れで、東側の各地で改革運動がおこった。チェコでも「プラハの春」と呼ばれる改革運動がおこった。のちに中東で起こった「アラブの春」の呼び方は、ここからきている。しかし、1968年、事態を重く見たソ連が、軍隊(ワルシャワ軍事機構軍)を率いてチェコスロバキアに侵攻して、チェコ全土を占領下において(チェコ事件)、改革運動を鎮圧した。「雪解け」もそこで完全に終わった。

ノボチェルカッスクの事件は、1962年だから雪解けの真っ最中の出来事だ。スト鎮圧に軍隊が駆り出され、軍事力で市民が蹴散らかされる。ストが起こったこと、鎮圧されたことは、極秘にされた。雪解けの時期だけど、実際はそうではなかったということだ。どうやって極秘にするのかというと、都市封鎖だ。情報と交通を遮断して、物理的に外に漏れないようにするのだ。撃たれて亡くなった人は公式には8人。当然、それ以外にも多数いて、隣町の墓地など離れたところに極秘に埋められた。

映画は、主人公の女性が、亡くなった市民の中に自分の娘がいたのではないかと探し回る物語だ。主人公は共産党員で地区の中では上の方で、労働者を指導する立場にいる。彼女は、共産主義・ソ連を信じていて、民主化の動きには否定的な心情を持っている。スターリンが生きていたらよかったのに、と思っている人だ。今の生活が行き詰まってきているのは、スターリンが死んでしまって、本当の改革が出来ていないからだと考えている。

だが、スト鎮圧に暴力が用いられること、死者を隠蔽すること、軍隊ではなくKGBが発砲した場面などを目撃して、体制に疑問を抱くようになっていく。封鎖された町から検問をなんとか潜り抜けて、娘が埋められているだろう埋葬場所にたどり着いたころには、もう何も信じられなくなっている。

映画では、市民への発砲は、軍隊ではなくKGBがやり、しかし、軍隊に責任を取らせている。これなどは、1999年にロシアで起こった偽装テロ事件にそっくりだ。高層アパートに爆弾が仕掛けられて、ロシア市民が300人あまり犠牲になったいくつかの爆弾テロ事件だ。ロシア当局は、チェチェン人テロリストの犯行と断定して、それを理由に、第二次チェチェン侵攻を開始した。その後、この爆弾事件は、プーチンの意向に沿ったFSB(以前のKGB)が仕掛けた自作自演だったとされている。

また、主人公のようにスターリンが生きていればとか、あの頃の方がよかったとか、昔を懐かしむ様子は、現在のロシア人高齢者が、ソ連時代の方がよかったと言っている姿と重なる。このように、この映画の中には、見覚えのあることばかりが出てきて、茫然とするとともに、よくこういう映画をロシアで撮ることが出来なと感心してしまった。

映画の最後は、「我慢していれば、きっと、よくなるわ、もう少しの辛抱よ」といったようなセリフを主人公が口にする場面で終わる。それはまるで自分に言い聞かせるようなセリフだ。これもまた見覚えのあるラストシーンだ。だいたい、ロシアの小説や映画は、こういう感じで、耐える場面で終わるものが多い。打開策は、もう、何十年も前から、常にないのだ。どうしてだ? なんでだ? と強く思ってしまった。

私はロシアで生きていけるだろうか? もし私がソ連やロシアに生まれていたら、海外に逃げるなどという選択肢を選べる能力を培ったり、そういった環境になるとは予想できないから、そのまま体制を支持して、我慢しながら、もしくは我慢の意識もなく、底辺で生きているのかもしれない。反体制として、何か運動をするような根性は、私にはないと思うのだ。そういった人間が大半の場合は、特定の層に、いいようにやられて人生を終えてしまうのだろうな。そんなことを考えながら、『親愛なる同志たちへ』のラストシーンを、頭の中で何回も再生している。

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