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映画日記『寝ても覚めても』 少女マンガのような映画だった

濱口隆介監督作品の『寝ても覚めても』をGyaOで観た。『ドライブ・マイ・カー』で話題の監督の前作にあたるのだが、この映画でも海外で賞を受けていたみたいだ。

ところで、GyaOでパソコンを使って映画を見ると、ちゃんと映画を観ることができない、という問題が起きる。理由は、早送りができることと、CMが入ることと、同じ場面を何度も見返したりできることと、そして終わり時間がわかることだ。

私が特に問題だと思うのは、終わり時間がわかることだ。最初から、その映画の長さが、1:59:26というように、表示されてしまう。同時に画面の下にバーが出て、現在の再生地点も表示される。

映画も後半になってくると、あと何分で終わってしまうから、その後の映画の展開は、こうなるのか、ああなるのかと、いくつかの展開パターンが予想できてしまう。まあ、予想しなきゃいいのだが、私の場合、予想してしまう。大体の映画は、予想したいくつかのパターンで終わってしまう。予想外の場合もたまにあるが、大抵、それはないんじゃないの、という駄目なパターンだ。

映画館で観るときは、時間表示などないから、新鮮に観ることが出来る。
早送りも出来ないし、CMもない。映画が始まったら、椅子に座ったまま、終わりまで観ないといけない。何時終わるのかもわからない。だからつまらなくてもじっと観る。まして、同じ場面を見返したりも出来ない。今のはなにだったのか? と思ってもそのまま見続けるしかない。映画館には、そういう一回きりの、真剣さがある。だから、パソコンで映画を観るのは、本当は駄目なことなのだと思う。

この映画の中身は何も知らなかったが、俳優に関してはゴシップ的な情報がたくさんあった。きっと、私も歪んだ目で見ていたのだと思う。

と、前もって文句を言いつつ、『寝ても覚めても』の感想を書いていく。


現在の日本の恋愛映画を、私はほとんど観たことがないので、この映画の位置がよくわからないだが、中身は完全に少女マンガだった。登場人物もストーリーも、私がよく知っている懐かしい感覚のモノだった。私が知っているのだから、それはせいぜい、1990年代までの少女マンガだ。2020年代に、いやこの映画作られたのは2017年くらいか……、昔の少女マンガを見せられるのは、なんでなんだろう、と不思議に感じた。それとも少女マンガの世界は、昔から変わっていないのだろうか。

そんな既視感が捉えられながも、退屈せずに最後まで観ることが出来た。『ドライブ・マイ・カー』の時も3時間という長い上映時間にも関わらず、最後まで見ることが出来たから、この監督は、観客を飽きさせずに、見せることが出来る、上手な監督なのだと思った。でも、観ている時は、上手だなあ、などと思わない。見終わって、映画を思い出しながら、これを書いている時点で、上手だったのだなあ、と思うのだ。

そして何よりも主演女優が、とてもよかった。演技力があるとかないとか、そういう問題とは違って、初々しい佇まいが大きな力となって、彼女の体や表情から放たれていた。それは放たれているのだけど、控え目で、しかし、強い意志も感じさせて、同時にその瞬間にしか成立しない、そういったはかなさも備えていた。きっとそれは新人だけが持つステキさで、そのステキさがこの『寝ても覚めても』という映画が立ち上がる芯の部分と一致して、成功しているのだと思う。

主演俳優にかんしては、よく判らなかった。一人二役を演じているのだが、一人の方は、役作りも失敗しているようにしか見えなかった。

そして、やっぱり映画は映画館で観ないといけないと、強く思った。

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