見出し画像

映画日記 『人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界 完全版』 テレビドキュメンタリーを映画館で観ること



  1

「マカルー」という山がある。ヒマラヤ山脈の一角で、エベレストの東方約22 kmに位置し、標高は世界5位の8463 mの山だ。国でいうと、ネパールとチベットにまたがったところにある。

この山の頂に至る西側に、垂直を越えて手前に迫ってくる岸壁がある。「マカルー西壁」と呼ばれている難所だ。それも空気が3分の1以下のデスゾーンと呼ばれる高所にある。それがために、何人ものクライマーが挑戦しているが、いまだに未踏のルートとなっているという。

1996年に日本人クライマーの山野井泰史が、この「マカルー西壁」に挑んで、敗退している。そのチャレンジの模様を、TBSが映像として記録していた。

撮影したのは、91年に入社した武石浩明という人だ。ネットで調べると、主に報道畑の人のようだが、自身もヒマラヤの山をいくつか登っている登山家だった。1996年の段階で、山野井夫婦のマカルー遠征に同行して取材をしているのだから、相当信頼を得ている人なのだと思う。

その時、山野井は、7300メートルまで登って、落石を頭に受け首を痛めたりして、無念の敗退をしている。飛ぶ鳥を落とす勢いで、未踏ルートを走破してきた山野井の、最大の挫折だった。この挫折に焦点をあてて、その後の登山家としての山野井の人生を描いたのが、『人生クライマー』というドキュメンタリー映画だ。

山野井泰史といっても、知らない人が多いと思うが、著名な登山家だ。しかも山野井が登るのは普通の山ではなく、岸壁が専門だ。自然界には、切り立った岸壁というものが存在する。時には、ほぼ垂直に、1200メートルも続いていたりする。

さらに厄介なことに、その岸壁はデスゾーンにあったりする。そういった岸壁にへばりついて、てっぺんまで登って、降りてくるのが、山野井泰史という登山家だ。岸壁のぼりでは、世界屈指の登山家らしい。

世の中にはいろんな人がいて、いろんなジャンルがあって、そのジャンルごとに頂点を極めた人がいる。その中には、誰もがやれるものもあれば、誰もやらないものもある。誰もやらないものには、馬鹿らしくでやる気にならないものから、やろうとしても難易度が高すぎてやれないものがある。

誰もが出来るけれど、わざわざやるまでもないことを極めても、人からは、笑われたりバカにされたりしてしまう。逆に、常人には出来ない難易度の高いことを極めた人は、称賛され、尊敬されたりする。山野井泰史の岩登りは、こっちの尊敬されるジャンルのものだ。

だから私も山野井泰史を尊敬している。その山野井のドキュメンタリー映画なのだから、見ないわけにはいかない。監督は、1996年のマカルー西壁の際に同行取材していた武石浩明だ。それ以来、要所要所で山野井夫妻に取材してきた人らしい。


  2 


映画を観て10日以上が過ぎた。毎日、感想文を書こうとして、失敗している。映画を観終わった後に、大きな違和感が残った。いろいろと考えたが、結局、山野井泰史という俗っ気のまったくない人物が主役のドキュメンタリー映画にも関わらず、出来上がったこの『人生クライマー』が、非常に俗っぽいつくりになっていたからだと思い至った。

山野井泰史のこととこの映画については、たくさんの人が書くだろうし、語っていると思うので、私はドキュメンタリー映画についてちょっとだけ考えたい。いつものようにアップリンク吉祥寺で観た。初日の初回、客席は9割ほど埋まっていた。

ドキュメンタリーは、基本的に、音楽もナレーションも字幕も効果音も、最小限がいいと思う。なんならなくてもいいと私は思っている。これは私の個人的な好みでもあるが、ドキュメンタリー映画監督の大島新も著書の中でそのように書いていたから、基本的な認識の一つなのかもしれない。

ところが最近のテレビのドキュメンタリー番組を見ていると、大島の意見とは正反対の作られ方をしたものが多い。『情熱大陸』や『ザ・プロフェッショナル 仕事の流儀』などは、絶え間なくナレーションが流れ続けるし、ヒット曲並みに知れ渡っているテーマ曲が、番組冒頭や、最後にドラマチックに流れるのが定番になっている。

限定された放送時間の中に、たくさんのものを詰め込んで、それを正確に伝えたい、という作り手の気持ちが反映しているのかもしれないが、喋りっぱなしのナレーションは、映っているものの意味や解釈を固定化し、ある方向に誘導する仕掛けのように思えるし、ドラマチックにかかる音楽も、見ている人の感情を煽り立てる作用をしているように聞こえる。また、テンポのはやい場面の切り替えも、まるでミュージック・ビデオを見せられているような印象を受ける。

劇映画なら、優れた音楽が、相乗効果で感動を生み出したりするのだろうけれど、わざわざ映画化までして作るドキュメンタリーには、そういうテレビ的な演出は、必要ないし、相いれないものだと、私は思っている。

  3


映画館で観た『人生クライマー』は、ナレーションが過剰だったし、不必要に音楽が大音量でかかる映画だった。特にラストは、音楽で誤魔化しているとしか思えないつくりになっていた。

武石浩明監督は、96年から要所要所で密着取材をしている、山野井夫婦とは信頼関係が成り立っている人物だと思われるのだが、ナレーションや音楽のつけ方、つまり撮影以後のつくり方が、最近のテレビのドキュメンタリーとまるで同じだったことに驚いている。

なんでだろうと思って、改めてググってみたら、監督は、長らくTBSの社員で、主に報道畑の人のようだったけど、ドキュメンタリーの人ではないことがわかった。現在はTBS系列の富山にあるチューリップテレビに所属しているようだ。乱暴な言い方をすると、テレビの人なのだ。

だから、「テレビの人」という偏見でもって、観てきた映画を思い出すと、『人生フルーツ』のパクりのような『人生クライマー』というタイトルも、チラシや予告編に太田ヒカルなどのタレントを複数動員していることも、ナレーターが岡田准一であることも、ああ、そうかと納得できた。

だけど、お金を払って映画館で観るものに、地上波のテレビと変わらないものを見せられることには、やっぱり納得がいかない。

そもそもこの映画のもとになったのが、TBSの地上波で日曜深夜に月2回やっている「解放区」で放送された「登られざる巨壁」というタイトルのテレビ・ドキュメンタリーだ。私は見ていないけど、山野井に1996年の「マカルー西壁」の挫折を問い直した内容だったらしい。ディレクターは武石浩明だ。この時、作り足りないという思いがあって、映画に作り直したらしい。

映画化するということは、作品の長さだけではなく、テレビ的なしがらみや慣習といった制約から、自由に作るためだったはずだ。しかも、山野井夫婦という、テレビ的なしがらみのようなものから距離をとって生きている人たちを撮影しながら、従来のテレビ的なつくり方になってしまったのは、撮影者としては優秀だろうけど、監督としては、ちょっとなんだかなと思う。

取材対象も、映像素材も秀逸なのだから、もう一回、編集しなおして、良い映画に作り直してくれないかな、と願う。

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?