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時々思い出すM君のことと、人の住まなくなった家


一昨年に実家に帰った際、近所に空き家が増えていて、驚いたことがある。

実家のある地域は、もともとは畑や田んぼで、昭和30年代以降、徐々に住宅地に鞍替えされて家が建てられたところだ。私の実家も、昭和39年に建てている。

しかし、昭和50年代になると、家はあらかた建て終わって、新築はほぼなくなる。それらの家で育った子供たちは、何年かするとみんな巣立って、県外に出た者は定住先に戸建てかマンションを購入し、地元にとどまった者たちは、郊外に一戸建てを建てるか購入するかして生活をするようになった。

古い家には、両親が残って暮らしていたが、当然のこと、年々、老人になっていく。

それでも二人で住んでいれば、なんとか生活を続けることが出来ていたが、どちらかが亡くなると、一人暮らしは困難になる。残った老人は、子供たちの郊外の家に引き取られるか、施設に入ることになる。

まれに一人で頑張っていた人もいたが、寿命を迎えられて、数年前から実家の近所では、一人暮らしの高齢者が一人もいなくなっていた。

住む人がいなくなった家は、無人だけど家財道具はそのままだ。人に貸したりするには、中身を処分しなくてはならないが、それをする子供たちはほとんどいない。もともと子供のいない家もあった。結果的に、人のいなくなった家だけが残った。

実家の右隣も、裏の家も、住む人だけがいない、空き家になっていた。

そういう家は、徐々に朽ちてくる。

朽ち方が一番重症なのが、実家から徒歩1分くらいにあるSさん長屋だった。建物は三軒長屋で、左端に大家のSさん一家が住む二階家がくっついていた。

それらの建物にいつまで人が住んでいたのかはわからない。何年も前に帰省したときには、屋根が崩れたのか、Sさん長屋にはブルーシートが掛けられ、黄色いロープで結ばれ、建物の半分が梱包されていた。

実家の親にきいたら、Sさんはずいぶん前に、亡くなったと言う。その当時で、息子さんたちも亡くなっていて、もしかしたらあの家はもう途絶えているのかもしれない、と父が言った。だから、長屋は、もう何年も前から放置されていたのだ。

一昨年の春、法事で帰省した時に、Sさん長屋の前を通ったら、建物は完全に崩壊して、ブルーシートもロープも細切れになり、廃材の山になっていた。じっと見ていたら、小さい頃、この長屋の真ん中の家に、私は時々遊びに来ていたことを思い出した。


そこは、一つ年上のM君の家だった。M君は一人っ子で両親と三人暮らしだった。

私たちは、いつも、M君の家の玄関で遊んでいた。外靴は履いたままで、タタキの部分か、上がり框に腰掛けて過ごしていた。どんな遊びをしていのか、思い出せないが、家の中に上がった記憶はないのだ。

M君は、リカちゃん人形の男の子のような目の大きな美少年だった。M君は、子供なのに、夏でも冬でも、白いワイシャツに黒い長ズボン姿だった。おそらくそれ以外の洋服を持っていなかったのだと思う。

その頃、誰かの家に遊び行くと、大抵、おやつが出たものだが、M君の家でおやつが出たことはなかった。

家の中には、M君のお父さんがいつもいた。お父さんは全盲で、畳の部屋で、壁際の座卓に向かって仕事をしていた。「おじさん、こんにちは」と言うと、コトバを返してくれるのだが、顔は、いつもズレた方向を向いていた。

おじさんの仕事は、歯の模型に関わることだった。石膏型を使って入れ歯を作る工程の、どこかを担当していた。目が見えなくて、具体的に何をどうやっていたのかは、よくわからない。

その仕事の発注元が、同じ町内のGちゃんの家だった。Gちゃんも、M君と同い年で私の一つ上だったけど、私やM君が通っている学区の小学校とは違う、国立大学の付属小学校に通っていた。そして、Gちゃんのお父さんは歯科技工士というのだろうか、入れ歯を作る仕事をしていた。

Gちゃんの家は2軒あった。1軒が、入れ歯の加工をするコウバで、細い路地を挟んだ隣の1軒が住居だった。この細い路地の突き当りが、私の実家の裏庭で、その手前の家に土佐犬が二匹、飼われていた。

そのコウバでは、窓の隙間から、たくさんの歯の石膏型や、歯茎に使うピンクの樹脂が見えた。Gちゃんのお父さんが、歯医者さんにあるような電動ドリルで、入れ歯を整形している様子は、子供の私には魔法のように見えて、前を通るといつも覗いていた。

M君のお父さんは、このGちゃんのお父さんがやっているコウバの仕事を、自宅でしているのだった。

M君のお母さんは、いつも働きに出ていて、家にはいなかった。M君のお母さんも、M君と同じで、いつも黒いズボンをはいていた。女の人なのに、スカート姿は見たことがなかった。口紅などはせず、半分白髪の長い髪の毛を、後ろで一つにまとめていた。常に笑顔の人だったが、私はなぜかM君のお母さんが怖かった。


M君の家には縦型ピアノがあった。M君は、小さい頃からピアノを習っていた。時々、女の先生がやって来て、M君にピアノを教えていた。私はピアノを習っているM君を見たかったのだが、いつも家の外に出された。

M君の家では、キリスト教をやっていた。時々、M君はキリスト教の歌を、きれいなボーイ・ソプラノで歌ってくれた。私はキリスト教の幼稚園に通っていたので、M君の歌う歌の何曲かを聴いたことがあった。

M君と遊んだのは、私が小学校の2年くらいまでだった。学年が違ったし、M君は優等生で、私は普通の子供だった。私は同学年の子と一緒に遊んでいたが、M君は、誰かと一緒に遊んだりすることのない、別格の人になっていった。

M君は成績が優秀で、小学校の高学年では生徒会長になったり、合唱団のピアノ伴奏をしたり、指揮をしたりしていた。私が中学校に入学したら、M君はまだ2年生なのに、生徒会の役員をやりだした。その頃には、M君とは、会えば挨拶を交わす程度で、それ以上の付き合いはなくなっていた。

M君は、中学でも成績優秀で、3年では生徒会長になったりした。やはりピアノも上手で合唱コンクールでは指揮をしたり伴奏をしたり、テノールで歌ったりしていた。確か合唱部の部長もやっていた。

M君は、少女マンガに出てきそうな美少年だったので、一部の女生徒から絶大な人気があった。中学時代は、いつも学生服を着ていた。日曜日にどこかで遭っても、M君は学生服姿だった。私服をあまり持っていなかったのだと思う。

M君は、高校は、県下で二番目の進学校に行った。一番目の進学校も、成績的には十分合格圏内だったのだが、そこのバンカラな校風を、野蛮だと言って拒否したのだ。本人から直接聞いたわけではないが、町内ではそういうハナシになっていた。

高校卒業後、M君は、キリスト教の関係に進んだと、町内ではハナされていた。神学の学校に行ったのか、と訊いても、私の母親はコトバを濁して、語ってくれなかった。

気がついたら、M君一家は引っ越していて、Sさん長屋からはいなくなっていた。M君の進路に合わせて、両親も一緒に引っ越したのだというハナシだった。それ以降、M君に道端で遭ったりもしなくなった。



30歳くらいの頃、帰省した時に、たまたま中学の同級生と道端で遭った。誰はどうしている彼はどうしているという、同級生の現在、みたいなハナシになった。ひとしきり、お互いの知っていることを喋りあった後に、私はM君のことを聞いてみた。

同級生は、男だったけど、中学時代は合唱部員だった。進学した高校も、M君と同じだった。

M君は、高校を卒業してから、キリスト教の教会の専従みたいなことをやっている、と彼は教えてくれた。私は神父か牧師になったのかと聞くと、違うと言う。「あの人のはエホバの証人だから」と言う。愕然としてしまった。

「まともには、ちょっとつき合えないよね」と困ったような顔をして彼が言った。何か迷惑をこうむったのかと尋ねると、「ちょっとね」と言って、詳しいことは語らなかった。

その日、実家に帰って、母親にM君一家のことを聞いたら、「なんかおかしな宗教をやっているらしくて、町内から引っ越してくれてよかった」みたいなハナシになっていた。「いい子だったのに、あの子が一番かぶれたみたいなのよ、今頃どうしているのかしら」と言っていた。



Sさん長屋の瓦礫を見ながら、M君のことを思い出していたら、中に猫がいるのが見えた。親猫の他に、子猫も3匹くらい、ちょろちょろしていた。瓦礫を野良猫たちが住処にしているのだった。

実家に帰ってSさん長屋の猫のことを父に話すと、「いや、あすこには、タヌキも住んでいるぞ」と言う。

定年後に非常勤で務めた職場も引退してから、父は、家の庭で家庭菜園のような畑をやっている。畳6畳くらいのスペースにミニトマト、ナス、枝豆、キュウリ、カボチャ、ジャガイモなどを作っている。そこにタヌキがやってきて、荒らすのだそうだ。

言われてみたら、ある時期から、畑の周囲を網でしっかりと囲うようになっていた。タヌキ除けなのだそうだ。

ある時、タヌキが出没したので、あとを追いかけたら、Sさん長屋の瓦礫の中に逃げていったのだと言う。「最近のタヌキは夜行性でもなんでもないんだ、真っ昼間からやってくるぞ」と父が言った。タヌキがやってくると臭いでわかる、と言う。タヌキはすごくクサイのだ。


実家のある町内には、本当に空き家ばかりが増えてきた。M君の住んでいたSさん長屋は瓦礫の山だし、Gちゃんの二軒の家も、一軒は空き家で、もう一軒は建て変わって、知らない人が住んでいる。何軒かあった同級生の家も、いつのまにか空き家になっていて、行方が知れない。

最近になって、東京のいろんな駅前で、エホバの証人が勧誘をやっているのを目撃するたびに、何十年も前のことなのに、M君のことを思い出している。


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