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読書日記 ダシール・ハメット著『血の収穫』 始まりの小説はドタバタ喜劇だった…


『動く標的』も読んだことだし、順番?だから、ハメットの『血の収穫』も読んでみた。創元推理文庫の田口俊樹の新訳だ。

『血の収穫』は、やはり以前に一度、読んでいる。二〇代でハード・ボイルド小説に凝った時だ。その時の感想は、……例によってまるで覚えていない。

ハメットの作品というと、ほかに『マルタの鷹』『ガラスの鍵』『ディン家の呪い』『影無き男』と、タイトルだけは無駄に出てくるが、中身はどれも覚えていない。

今回は、読む前に、『血の収穫』がどんな小説だったかを思いだそうとした。が、思い出せなかった。

ハメットの小説には、有名な主人公が二人いる。一人が、名前はないがコンチネンタル・オプと書かれている人物だ。コンチネンタルというのは、会社名で、オプは、オペなんとかの略で、コンチネンタル・オプというのは、そこの会社の探偵という意味だ。

もう一人が、私立探偵のサム・スペードだ。両目だったか両の眉毛がV字型で、顎もV字型で、体型も逆三角形のV字型で、Vが三つ重なってって描写されていた。仮面ライダーじゃないけど、私立探偵V3だ、って私は覚えていた。

サム・スペードは、年をとったら、髪の毛もV字にハゲるのだと言って、ハード・ボイルド好きの友人と笑った記憶がある。私立探偵V3は強烈な印象を残していたが、はて、彼が登場する作品はというと、どれだったかまるで覚えていないのだ。

そんな調子で、『血の収穫』の主人公が、サム・スペードなのか、コンチネンタル・オプなのか、私は思い出せなかった。

そうなのだ、『血の収穫』という小説そのものについては、何一つ、思い出せなかったが、周辺のいろいろなこと、この小説について語られていること、語っている人たちのことは、思い出した。

それらをヒトコトでまとめると、この小説が「はじまり」だったということだ。

『血の収穫』があまたある活劇物語のひな形となって、この作品以降は、小説も映画も、みんな『血の収穫』から、パターンをパクって創った、あるいは創らざるを得なかった、というのだ。

その影響力は、ハードボイルド小説の枠を遙かに越えて、広範囲に及んでいる、というハナシだった。『血の収穫』は、日本のマンガ史における大友克洋の『童夢』みたいな作品なのだろう。

だから『血の収穫』の以前と以後とでは、まるで違っているらしい。今でこそ当たり前だと思われているものが、実は『血の収穫』から始まっていて、急激に広まったことで、当たり前になってしまったのだ。

このようなことを語っている人は、わんさかいて、では具体的には、ってことになると、実は私はよくわかっていない。

わかっていることだと、たとえば黒澤明の『用心棒』という映画だ。これは、流れ者が、敵対する二つのやくざの組の間にはいって、両者をぶつからせて、両方の組を壊滅に導くというストーリーだ。このパターンを最初に用いたのが、『血の収穫』で、『用心棒』は、その翻案だと言われている。

そのほかにも、いろいろなパターンが『血の収穫』には詰まっていて、様々な映画や小説に取り入れられているらしい。(あとがきを読んだら、ちゃんとそういうことが書いてあった。)

と、ここまで書いてから、そろそろ本を読み始めることにした。


コンチネンタル社に要請があって、とある地方都市に探偵が派遣される。依頼者の家に行くと、依頼者は不在で、事情を全く知らない奥さんがいた。そこに不審な電話がかかってきて、奥さんは、探偵を部屋にそのまま残して出かけてしまう。

なんと依頼者は殺されていた。探偵が依頼者の家につく直前のことらしい。

その地方都市には、とある大富豪の爺さんが権力者として君臨していた。爺さんは、そこの産業を独占し、警察等の地元の権力も掌握していた。新聞社も経営していた。

殺された依頼者は、その爺さんの息子で、つい最近、遠方から呼び戻されて、新聞社の経営を任されたのだと言う。息子は、ジャーナリズム精神にとんだ人物で、爺さんの意に反して、そこの都市にはびこる巨悪を暴くことに情熱を注ぎだした。という事情が描かれる。

地元の警察は、新聞社主殺しを、地元のギャングに被せようとして暗躍し、それを見抜いた探偵は、ギャングが罪をかぶらないように画策してギャングに恩を売り、独自の調査から真犯人を特定する。

その課程で、警察側にも顔を売り、地元の顔役たちとも通じて、情報を収集し、ってな感じで、両者の間を渡り歩くのだった。

大して長くもない小説なのに、読み終えるまで10日もかかってしまった。読んでも興が乗らないのだ。実はつまらなくて、読むのが苦痛だった。

いつものことで申し訳ないが、昔は夢中で読んだはずのものが、今はまるでつまらなかったということが私にはよくある。以前は読み取れなかったことがわかって、理解が深まった、などという大人の読書が、私には出来ないのだ。

だから、私の場合、つまらないなあ、つまらなかったなあ、を連発することになる。そんな感想文を読まされる方々も迷惑だろうなと思う。申し訳ありません。

『血の収穫』は今読むと、ゆるゆるでドタバタなのだ。名作と言われているけれど、私にはいまいち、ピンと来ないのだ。

主人公は、コンチネンタル・オプだった。そのコンチネンタル・オプが、警察の側に行ったり、ギャングの側に行ったり、事件をかき乱す様が、非現実的に感じられて、ありえねーだろと思ってしまうのだ。

サスペンスとかハード・ボイルドというよりも、ドタバタ喜劇に読めてしまうのだ。

『血の収穫』がいろんな物語の原点になっている言われても、既視感のあるようなプロットに、そうかもしれないなあ、と思いつつ、いまいち、ピンと来ない私だった。


ウィキペディアによると、『血の収穫』が発表されたのは1929年だ。年末になると世界大恐慌のあった年だ。

最初の邦訳は1953年だ。1953年というと、占領軍が去った年だ。この小説は日本人にどのように受け入れられたのだろうか? 

なんてことを考えたけれど、私の手にあまるので、後日、機会があったら調べてみようと思う。

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