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読書日記  曽根中生・著『曽根中生自伝 人は名のみの罪の深さよ』 元映画監督の詐欺師っぽい人生

曽根中生・著 『曽根中生自伝 人は名のみの罪の深さよ』文遊社

「人は名のみの罪の深さよ」とは意味深長なタイトルだ。人間は、名声を求めるだけで、本当は罪深い存在なのだ、という意味だろうか。それとも名前を求めることそのものが罪深い行為だと言いたいのか。単に自戒の念を込めているのだろうか。具体的な意味は、よくわからないが、思わせぶりなタイトルだ。

読んでみると、この本は、著者の文章、長いインタビュー、著者の文章、資料(写真やフィルモグラフィ)という構成になっていた。分量的には、順に50p、330p、70p、資料50pと、インタビューが圧倒的に長い。

冒頭にある著者の文章には、生まれ育ちから、映画会社の「日活」に入社するまでを書いてあった。長いインタビューは、著者が助監督時代から関わったほぼ全作品について、年代順にインタビューされている。最後に、映画監督を失踪以後、何をしていたのか、今、何をしているのかが、著者の文章で書かれてある。

そうなのだ、著者は、そこそこ名の知れた映画監督だったが、ある時、失踪して映画界から消えて、20年を経て姿を現し、新作映画は監督しなかったけど、この本を出して、死んじゃったのだった。

インタビューの部分は、この本が出た時に、大いに物議をかもした。批判している人たちが言うには、良いところは全部、曽根がやったことになって、失敗したところは全部、他人のせいにして語っていて許せない、というのだった。

事実誤認も多く、意図的なのか、勘違いなのか、年を取って呆けたのかと、いろいろ憶測を呼び、当時を知る映画人たちから反論が出たりして妙に盛り上がったが、この本を出した直後に曽根中生は亡くなってしまったので、論争にならず、言いっ放しで終っている。

本書の映画史的な意義は、長いインタビューの方にあるのだと思う。が、私は、インタビューの前後にある、著者の文章の方に興味をそそられた。

とにかく気取った文章なのだ。いわゆる独りよがりの文章なので、読んでも意味がとりづらい。というより、何が書いてあるかわからない行がとても多い。自分の心象は語るのだけれど、事実関係や前後の説明を省略しているので、何がどうしてこうなった、みたいな、普通のことが、読んでも把握できないのだ。

この本は、2014年の8月に出ている。出しているのは、文遊社という出版社だ。文遊社の本は、先日、荒木一郎の『まわり舞台の上で』というインタビュー本を読んだばかりだ。曽根中生のこの本の存在は知っていたが、読むほどの興味はなかった。が、荒木一郎の本が面白かったので、同じようなインタビュー本で、それも同じ出版社から出ていることから、いまさらながらに曽根中生の本にも興味が出てきた。まだ書店で売っているようだったが、図書館から借りてきた。

30年映画をつくって、その後、20年消息不明だった人


著者の曽根中生について、おさらいをしておこう。ウィキペディアによると、1937年に生まれて2014年の8月の26日に亡くなっている。つまり、この本を出版して、ひとつき前後で亡くなったことになる。

曽根中生が日活に入社をしたのは、1962年だ。鈴木清順などの助監督を10年ほどやって、1972年に監督デビューしている。

曽根のデビューとほぼ同時に、日活は、ロマンポルノ路線を始めている。それまで作ってきた一般映画をやめて、ポルノ映画を作るという社運をかけた大転換だ。それが日活撮影所を維持することに繋がり、新人スタッフを育てることにもなったらしい。だから日活ロマンポルノは、撮影所システムによってつくられた映画群なのだ。

曽根中生は、その日活ロマンポルノの中核を担った社員監督の一人だった。そういう監督は他に、神代辰巳、小沼勝、田中登、藤田敏八などがいた。その他にも、根岸吉太郎、池田敏春、村川透、相米慎二、長谷川和彦などが日活の社員だったり、契約社員だったりして関わっていた。

曽根中生は、日活ロマンポルノで活躍し、その後、一般映画も何本か撮り、80年代になって独立し、芸能学校などを設立している。しかし、経営が破綻して、借金から逃れるためなのか、1990年頃に失踪し、映画界から足を洗ってしまう。

約10年間、助監督としてたくさんの作品に関わり、その後、約20年間に43本の映画を監督して、そのほかに『大江戸捜査網』などの、いくつかのテレビドラマで、監督をしている。監督作品の数が多いのか少ないのかは、私にはわからない。

消息不明になってからは、遠洋漁業の船に乗っているとか、トラックの運転手をしているとか、ヤクザに殺されて海に沈められたとか、いろいろと言われていたが、消息はようとして知れなかった。

その後、2011年に突如、表舞台に出てきて、生きていたのか!と話題になった。そして、その2年後の2014年にこの本が出て、直後に亡くなっている。

私はそもそも曽根中生には興味がなく、曽根作品もあまり見たことがない。曽根の代表作は、『嗚呼!!花の応援団』『不連続殺人事件』『博多っ子純情』『天使のはらわた 赤い教室』『BLOW THE NIGHT 夜をぶっとばせ』『唐獅子株式会社』あたりだろうか。


タイトルを見ただけでも、注文がきた企画は何でも撮るという、職人監督の雑多な印象を受ける。私が映画館で観ているのは、『天使のはらわた 赤い教室』と『BLOW THE NIGHT 夜をぶっとばせ 』の2本だけだ。

曽根中生は、1990年頃に失踪をしたのち、約20年の空白を経て、2011年、湯布院映画祭のゲストとして、突如、公の場にして姿を現している。

どういう経緯で失踪したのか、はたまたどういう経緯で湯布院映画祭のゲストになったのか、失踪中に何をしていたのか、といったことが詳しく書いてあるのだろうと期待して、今回、この本を読みだした。


早々と結論を書くと、ほぼなにもわからなかった。なんか詐欺にあったような感じだ。しかし、この本の思わせぶりなタイトルも、著者の気取った文章も、失踪後の著者の人生にも一貫してあるのは、「詐欺っぽさ」だ。そう考えると、まあいいかと思い直した。

ヒラメの養殖で一攫千金はなるのか?

ウィキペディアには芸能学校の経営の失敗とあったが、本書には失踪した理由は一行も書かれていない。が、映画監督をやめたのは、自分が監督をした『嗚呼!!花の応援団』という映画が原因だったなどと語っている。

商業主義に迎合した映画を撮ってしまったことで、自己嫌悪に陥り、精神が耐え切れなくなった、などと言っている。しかし、作品年表を見ると、『嗚呼!!花の応援団』の後から失踪するまでの間に、20本前後の映画を監督しているのだから、それが理由にならないことは明らかだ。

このように、事情に詳しくない私にもデタラメだとわかることを、いけしゃあしゃあと答えていて、自身満々なのだ。それが妙に潔く感じられるから見事だ。

映画監督をやめたあと、著者は大分県の臼杵市(うすきし)というところに、成り行きのように移り住んでいる。そこでヒラメの養殖所で働いたり、その養殖所の所長になったりしている。

どういう経緯でヒラメの養殖場に至ったのか、詳しい事情は何も書かれていない。意図的に隠蔽しているというよりも、著者特有の美意識が優先している印象を受ける。文章でかっこをつける方が大事で、説明して正確なことを伝えることは、優先順位が低いのだ。

ヒラメの養殖場の近辺には、稚魚を成魚にすれば、何十倍、何百倍ものお金になると豪語する男たちが、何人も登場する。なぜか苗字だけで登場するその人たちが、海千山千なのか、ひとかどの人物なのか、それすらわからない。何をやっているどういう立場のどういう人なのか、社会的な肩書がなになのか、まるで説明されていないので、さっぱりわからないのだ。

著者が一人で、あるいは苗字で出てくる人の誰かと一緒に、九州や東京、四国の会社に営業?や資金繰り?に行ったり、あるいは近郊の都市にある銀行に口座を開設したりして、200万円とか、2000万円とか、お金が動いたりしている。

ところが、そのお金は、大抵、誰かが持ち逃げしたような感じで、著者の手許には巡ってこない。詐欺なのか持ち逃げなのか、断定的なことはなにも書かれておらず、全部が思わせぶりな筆致で書かれている。

一貫しているのは、著者は常に誰かに同行する人か被害の側にいて、背後に匂わされている目論見には加わっていないように書かれていることだ。

読んでいくと、臼杵市には、単身ではなく家族と共に移住していることがわかる。妻と娘がおり、生活再建のために涙ぐましい努力をしているようにも読める。

まるでコスモクリーナーのような「磁粉体製造装置」と「エマルジョン燃料製造機械」 特許を取得した二つの装置


臼杵市で著者は、徐々にヒラメなどの養殖魚を、近隣のスーパーにおろす業者となっていく。そういったことも、みんな成り行きでやらざるを得ない状況に陥ったように、受け身に書かれている。

それと並行して、著者は、機械に関する事業も始めている。これがよくわからない。いくら読んでもわからない。

一つは、「磁粉体製造装置」という、火力・電気を使わずに、鉄・ガラス以外の物質を焼却する炉のような装置だ。これに産業廃棄物を入れておくと、一晩で灰になって、体積が何十分の一になる。産業廃棄物の処理にはもってこいの装置らしい。

なんでもこの装置で処理した灰には、磁気がついて、磁石にくっつくらしい。この辺からハナシがより一層わからなくなる。

放射能で汚染された廃材を、この装置で処理して、その灰を磁石で集めれば、セシウムを取り出せるかもしれない、といった妄想めいた壮大なハナシになってくる。灰が全部、磁気を帯びているのなら、磁石でくっつける必要もないだろうと思うが、そう読んだのは私の読解力のなさで、もっとちゃんとした理屈が書いてあったのかもしれない。

著者は本気のようだった。この装置を、東北大震災の放射能で汚染された廃棄物処理に役立てたいという思いで、20何年振りかで、公の場に姿を現したのだと言う。

しかし、ネットで調べてみたが、この装置がそのような使われ方をしている現状は、見つけられなかった。かといって全部が眉唾かというとそうでもないのだ。著者はこの炉にまつわる技術をどうにかするために、九州大学の工学部で聴講生をやり、その後、その技術で、特許を取得している。

著者がもう少し、ちゃんと説明してくれれば、読者の私にも理解が出来るのだが、著者の文章は悪文で、いわゆる5W1Hなど何も考えていない文章になっているから、本当にわからないのだ。

もう一つの事業が「エマルジョン燃料」に関する装置だ。ウィキペディアによると、エマルジョン燃料は、重油や灯油といった燃料に水と界面活性剤を添加した燃料のことだ。

油の中に水が含まれていることで、油の量が少なくて済み、環境負荷を低減させるので、環境にも良いのだそうだ。だから「環境配慮型燃料」というらしい。油と水を混ぜるのには、特別な機械が必要になる。エマルジョン燃料を作る機械だ。その機械に関する特許も、曽根は持っていたらしい。

ということで、2011年の東北大震災以降の曽根中生は、放射能の除去と環境負荷が少なくてすむ燃料という二つの事業で、一旗揚げようとしていたようだ。いや、一旗ではなく、世の中に役立てたいと本気で思っていたのかもしれない。東北大学で4年間を過ごした曽根は、東北の復興に熱い思いを抱いていたことは確かだ。

しかし、何度も書いているように、曽根の文章は、悪文で、事実関係をキチンと読み取ることが出来ない。原稿の段階で、編集者が推敲の手助けをするか、あるいはインタビューで疑問点を明らかにする必要があったと思う。

もしかしたら、曽根の文章は、曽根の映画に似ているのかもしれない。映画の編集には、断片を効果的につなぐ方法がよくある。前後の脈略を無視して、別々の場面を繋げることで、ある種の無造作な印象やショッキングな効果を生み出すのだ。と、想像してみたが、私は曽根映画の特徴を覚えているほど、曽根映画を観ていないから、あてずっぽうだ。

「あとがき」のあとに、なぜか「烏もまっ青」というタイトルの2ページの文章があった。そこには、映画監督なんて、好奇心のかたまりで、誇大妄想の持ち主だと、自分のことを評した文章が書いてあった。

「磁粉体製造装置」と「エマルジョン燃料製造機械」は、まさに好奇心と誇大妄想の産物のように思える。曽根の事業は、その後、どうなっているのだろうか? 引き継いだ人がいるのだろうか? 

この自伝は、言いっ放しで、ウラがまったく取れていない点で、普通のタレント本と変わりがない。ただ、一般的なタレント本と違うのは、著者の「磁粉体製造装置」と「エマルジョン燃料製造機械」にかけている得体のしれない熱量がかもすいかがわしさの度が過ぎていることだ。映画の本というよりは、奇書に近いかと思う。


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