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藍のメモ6

かーさんは、時々りんごをうさぎにする。

それが当たり前だと思っていたけれど、そうでないことに気がついたのは最近のことだ。

ぼくとて、14歳にもなればりんごのうさぎに喜ぶことはもうない。でもなんとなく、テーブルにやつが現れると安心してしまうのだ。

とーさんはよく、「藍はいつ思春期が来るんだろうね」と言う。それは、ぼくがあまりにも周りの中学生とかけ離れているからだという。

周りの中学生とは、大元紺のことでは?

14歳らしくない、と言うならば、14歳らしい、とは一体なんなのだろう。

親に苛立ち、当たり、言いようもないもやもやに包まれ、大人になりたいのに子どものままでいたくて、成長したいのにできないもどかしさを感じ、恋愛に悩み、無駄に強がったり、不安定なメンタルを持っていること?

だとしたら紺は間違いなく14歳らしいし、ぼくは14歳らしくない。

ぼくが14歳らしくないのは、紺を見ているからだ。あれほどまでに激情に身を任せている姉を毎日見ていたら、そりゃあ落ち着きもする。あんなに乱す必要がない、と感じてしまうのだ。

紺が普通の14歳ならば、ぼくは変わっているのだろう。わりと、どうでもいいと思っている。世の中のことを。

激情に身を任せている双子の姉と、少女漫画(紺が小学生の頃はまっていた)に出てくるようなイメージ通りの母親と、なんでも「いいじゃないか」と笑う父親。さらに両親は離婚している。

これでぼくまで不安定ならば、うちは崩壊してしまうだろう。まだしてないよね?

だからわざとそうしているわけではなくて、なんだかもう、もはやおもしろいとさえ思えるようになった。ただそれだけのこと。

だからぼくは、14歳らしくないとか淡々としているだとかドライだとか達観しているとか言われても、なんとも思わない。

感情にとらわれるのが、ばからしいから。どうでもいいのだ。おいしいごはんを食べて、勉強して、テレビを見て笑って、紺をなだめて、かーさんをなだめて、とーさんと軽妙な会話を楽しむ 。それでぼくはじゅうぶんだ、今のところ。

りんごのうさぎと、温かい牛乳があれば、なおさら。


#ハコニワ #noveljam #小説  

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