藍のメモ5
お前さ、怒ることとかないの?
と、隣の席の藤村がぼくの顔をのぞきこむ。両手を伸ばしたまま、机に伏せて顔だけをぼくの方に向けている。
15分間の休みをつかって、ぼくはメロンパンを頬張る。今はまだ2時間目の休み時間。たっぷりとした朝食をとっても、お腹は空く。いくらでも。
藤村は勉強というものにまったくと言っていいほど興味がないようだった。いつだってつまらなそうに、頬杖をついたり居眠りしたり教科書に落書きをしながら授業時間をやりすごしている。それでもぼくは、彼が呼び出されているのを見たことがない。優秀なやつなのだ、きっと。
あるよ。ぼくは指で口元の砂糖を払う。藤村は、口を尖らせるようにして言う。彼の癖だ。
「ねーちゃんとは全然性格が違うように見えるけど」
「まあ、性格は違うね」
「顔は同じだけど」
「同じ親から生まれたけど、顔以外はなにも似ていないんだ」
ぶ、と藤村は吹き出す。本当そうだな、俺去年真宮姉と同じクラスだったけど、お前とは全然違う。
ぼくも笑いそうになる。藤村には、1ミリも悪意がない。こいつは、紺に対して悪い印象がない。そう感じられた。稀だ。
紺は大抵誰にでも印象が悪く、そのせいもあってぼくの印象がますますよくなる。無駄な効果だ。当然ぼくも紺もそんなことを望んでいるはずもない。
紺のことだから、どうだっていいわ、と言うに違いないけれど。
「俺、一度真宮姉に言ったことあるんだよ。お前さ、なんでいつも怒ってんの?って」
同じ姿勢のまま、藤村は言う。「そしたら、なんて言ったと思う?」
ほんの少し、藤村が気づかないくらい考えてぼくは言った。
「怒ってない」
藤村は再び吹き出した。「ご名答」。
ち、って、今にも舌打ちしそうな顔してるよな。毎日。こんなところに1秒もいたくない、って。
あぁ、とぼくは思った。藤村は、紺のことが好きなのだ。
毎日。そう彼は言った。毎日、「あの」紺のことを見ているのだ。そういえば、前に紺から聞いたことがある。
「藤村くんは、目が合うといつも口元が笑ってるの。口角をきゅっとあげてる。なんなの?わたしは別に微笑みかけてもいないんだけど」
あの頃から、きっとそうだったんだ。
ぼくは口元が緩むのをこらえる。いいものだ、紺が誰かに思われるというのも。
「可愛いのに、損だよな」
耳を疑う。可愛い?紺が?
ありがとう、と言いたいのをぐっと我慢して、微笑むくらいにとどめる。今まで話しやすいやつだとは思っていたけれど、おそらくぼくは、こいつに好感を持っている。
基本的にこの学校の人間は、紺のことを腫れ物に触るような目で見ている。めんどくさい、変、変わってる、感じ悪い。
でもこうして、紺のことを見ている人間がいる。それも、恐れなどまったく感じずに。
紺はきっと、気づいてもいないだろう。そして藤村も、望んではいないだろう。
「可愛いって言っても、お前も同じ顔だけどな」
藤村は声を出して笑い、ぼくが口を開いた瞬間に、数学の教師が教室に入ってきた。
「紺の可愛さは顔じゃないだろ?」
余計なことを言わなくて済んだと、数学教師に少しだけ感謝している。
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