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するべきこと拒否症

私は何か欠けているのだろうか。45年生きてきて時々感じることだ。

大学入学で実家を出るとき、何の淋しさもなかったしホームシックも全くなかった。お盆とお正月も「帰ってくるものだ」と言われたので帰った。
かわいがってくれた祖母が亡くなったとき(大学生だった)、初めての身近な存在の死だったけれど、自然と泣けた訳ではなく「泣こう」と思ってから泣いた。
阪神淡路大震災のときは震度6を経験したけれど、実家に「無事だよ」と電話をかけたあと二度寝した。暗くて何も見えなかったし。
自分が癌だと知ったときは、当日は頭がぼんやりとしていたけれど翌日からは何ともなかったし、右胸が無くなったのを見て「とりあえず一度泣いてみよう」と思って泣いた。
父が癌だと聞かされお見舞いに行ったときも普通に病院のご飯の話をしていた。

息子が幼稚園でお遊戯をしたり、小学校の運動会で組体操をしていてもただ楽しく見ていられた。中学の入学式や卒業式も「いた、いた!」と親子で笑い合って、式が終わったらさっさと帰った。

高校受験の説明会では「母上(と呼ばれている)は眠ってて話を聞いていなかった」と、今でも息子に笑われている。受験システムは難しく変更ばかりだったので息子たちに丸投げしていた。「自分でちゃんとやってね」と言ってからは全く関知していない。
先生との三者面談では注意されても親子共あまり気にせずにいた。

長男が家から大学に通うと言ったとき「一人暮らしはいいよ、自由だよ。」と言って一人暮らしをさせた。家を出たときはやれやれと喜んだ。
大学を辞めたいと言われたときは「嫌なら辞めればいい」と普通に思った。将来の心配も学歴の心配も何も感じなかった。息子のやりたいことに一緒にワクワクした。手の離れた息子に親の責任を感じることはなかった。

次男が体調を崩して不登校になったときも将来の心配より体調の心配より、夫と学校への対応に神経を使っていた。疲れ切っている次男を無理矢理引きずって、納得してもらえる病名を求めていろんな病院を彷徨っていた。この時は私も病んでいた。
高校を辞めてからは次男をゆっくり寝かせ、私はのんびりテレビを見ていた。ときどき一緒に外食したりして楽しんだ。その時将来の不安は全く無かった。

長男は家を出てからたまに帰ってくるけれど、「忙しかったら無理に帰ってこなくていい」と言ってある。10代は自分だけ、20代は自分の周りしか見えない時期だし、初めてのことばかりの時期に親のことなんて考えなくていいと思っている。長男にはたまに「生きてる?」と送ると「生きてる」と返ってくる。それならいい。

「結婚して子供ができても私は面倒は見ないからね!」と言ってある。私は私のやりたいことを今からやるのだから。

私はみんなが泣くような場面で泣かず、淋しさを感じる場面でホッとしたり、心配するべき時に何の不安も感じない。怒るべきときに怒ることはほぼ無く、安心したときに号泣したりする。

少なくとも次男が家を出るときに泣くことはない。少しは淋しさを感じるかもしれないけれど、食事作りから解放されて喜んでいると思う。不安や心配はほぼ無い。コロナの対策は本人がするだろう。

人はそれぞれ生きてきた環境が違うから喜怒哀楽のポイントも違って当然なのだろうけれど、もう少しちゃんと誰かを心から心配したり誰かのために自然に泣いたりしたい。愛情が足りないのか。思いやりが足りないのか。危機感が足りないのか。無責任なのか。非常識なのか。

少し話は変わるけれど、私は家族は定期的に会わなくても、何でも知っていなくても、もし何かあった時助け合えればいいと思っている。「母なら聞いてくれるだろう」と思ってもらえるような、そんな関係は築いてきた。どんなとんでもない話も頭ごなしに怒らなかったし茶化さなかった。話したくなさそうなことは突っ込んで問いただしたりしなかった。絶対に無理そうでも本人がやると決断したことは全力で応援した。そのうち将来の夢の話や彼女のこと、人生観や政治のことなども話してくれるようになった。

だからこそ彼らを心配しない。ひとりの人間として2人を信頼してるし尊敬している。それにどちらかといえば私の方が心配されている。
そう、私こそ大丈夫だろうか。何か欠けたままで。まあ、その凹みは誰かが補ってくれるだろう。私の楽観的な部分は凸ってる?ので心配性の人を補っていこう。










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