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「射精責任 / 著・ガブリエル・ブレア」を読んでみた感想(多大なネタバレを含む)

目から鱗が落ちた!!!!というのが感想と言うか、読み進めると鱗がぼろぼろ落ちていくのだ。巻末に辿り着くまでに一体どれだけの鱗が剥がれ落ちただろう。落ちた鱗を数えてみようと思ったが二度と私の目を覆ってほしくないので、読み終えたときに粉々に砕くことにした。そして春風に乗り消えていくのを見送ったのだ。

なんていうアホな話はさておき。
私たちは、どうしてこんなにも当然なことを気づきもしないのか!

震えるほど驚きと、ある種の感動を覚えた。

この書籍は『妊娠出産と切り離されることのない女性』の『妊娠に対する男性の責任の所在』を明らかにし、妊娠という事柄について、男性の『射精』という行為の責任を正しく、更に現在の社会では革新的に理解する内容である。

その中のほんの一部を紹介するとともに、私の考えたことを加えて感想として投稿いたします。

ああ……。もっと早く知りたかった。
そして、無責任な男共に突き付けてやりたい!!!



「望まない妊娠のすべての原因が男性にある」


セックスをするから望まない妊娠をするのではありません。
望まない妊娠は、男性が無責任に射精した場合にのみ起きるのです。

望まない妊娠の話になるときには必ずと言っていいほど、「無責任な男が悪い!」という女性と「股を開いた女が悪い!」という男性の戦いになり、ときにそれらは交錯し、男性が男性の振舞を問題を指摘したり(ほとんど見たことはないが)、女性が女性の身勝手なふるまいを非難したりする(こちらは割とある)ことになります。

そして「二人の同意の上の行為であるのだから、どちらにも責任がある」という派が、男女共に(今までのTwitterのレスバに現れた人では女性の方がこれを主張することが多い)です。

結論から言う。男性が悪い。無責任な射精をした男性が絶対的に悪い。

プロセスはこのようになっています。

ステップ(1)女性がセックスに同意する。
ステップ(2)男性が責任ある射精をするかどうか決定する。

お解りでしょうか。

女性は性行為に同意しても体内に射精をすることまでを同意したことにはならないのです。さらに、それを懇願したとしても、男性は相手の女性の体内に射精するか否かを選ぶことができるのです。

懇願されても従う必要は無い。どちらを行ったとしても最終的に決めたのは男性です。

(騎乗位等の完全女性主導の行為であるなら話は違うかもしれません。男性が望んでいないのに女性が自身の体内に勝手に射精させるのは、男性の同意を取っていないので、性暴力と言えますね)

上記の例外を除き、男性が主導した性行為での妊娠の原因は、100%男性にあります。

女性が体内への射精に同意していてもいなくても、男性にそれを無理矢理させることはできません。最終決定ができるのは『男性のみ』なのです。

つまり、望まない妊娠の責任は100%男性にあると言えるのです!

「無責任な男が悪い!」と「股を開いた女が悪い!」に決着がつきました。

女性が股を開くだけでは妊娠は起きないのです。その体内に射精することを選択した男性が妊娠を発生させたのです。

著者はこう述べています。

女性が世界でトップクラスにふしだらなビッチであっても、問題はないということです。複数のパートナーと挿入を含むセックスをして夜通しオーガズムをかんじていたとしても、男性が女性の体内に無責任な射精しない限り、決して望まない妊娠は起きません。

女性がセックスを楽しむことが、望まない妊娠と中絶の理由にはならない、と明確に理解する必要があります。

これが事実足りえる理由はもう明白ですね。

更に「コンドームを付けてほしいと頼むことすら女性にはできないのか。主体性は無いのか」と言ったりする男性もいますが、これはもはや「どうして頼む必要がありますか?」レベルの話です。

どうして『頼まれなければコンドームを着用しない』男性がいるのでしょう。

頼まなければ着用しない男性なんて全員無責任な男性です。頼まなければ着用しない男性の肩を持つ人は無責任な男性の無責任な行為を肯定する人です。無責任な男性のことは全面的に許しているとすら言えます。

コンドームの着用を頼むように女性に求めるようなことを言う人はみな、女性に避妊の責任のすべて押し付けています。

コンドームの着用について『頼まれなかったこと』や『しなくていい』と言われたことや『何も言われなかったこと』とコンドームの着用の有無についての責任は無関係です。

なぜなら『着用しないと決めた』のは《男性》なのです。

たとえ「お願いだから、コンドームを付けないで」と《女性》に懇願されたとしても、着用をする/しないの最終決定権は《男性》にあるのですから。

女性に対して『コンドームを着用する/しないの責任』をなすりつけるのは止めましょう。
醜いですよ。恥ずかしいですよ。

《女性》がなんと言っても、コンドームの着用を選んだのも選ばなかったのも《男性》です。
それを女性は強制できません。着用することもしないことも強制できないのです。

「女性は妊娠から途中退場できない」


つぎは、妊娠に関するリスクの話をしましょう。

無責任な射精をする男性のリスクはゼロ。
(あっても女性の中絶費用を払う等のみ)

これらが示すことは何でしょうか。

私はツイッタランドで射精の責任を男性に求めたときに言われました。

「射精の責任を男性のみが負うことになるなら、女性には責任を取ることができないということになる。責任を丸投げするなら、女性の産むという行為にも男性が口を出して良いはずだ。当然、《産む/産まない》の決定にも口を出させてもらうぞ。それでいいのか」

ツイッタランドに生息するある男性の言葉、その1

これも見事に論破されています(ブレアさん、マジすげえ)。

望まない妊娠をする原因と責任は男性のみにあります。望まない妊娠をさせられた女性は既に自身の体でその責任を負っています。人格や人生に大きな影響が起きています。

『《女性》は妊娠から途中退場すること』ができません。自身の体の内部で起きてしまっているのですから。
でも《男性》は逃げることも可能です。

妊娠の継続(体は非常にツラいです)も、中絶(心身ともに大ダメージがあります)も、出産(痛い!!!!)も、ときに悲しい結果(流産や死産)も、女性は自身の体で起きることから逃げることなんてできません。影響は心身に人生に及びます。

女性が妊娠しているときも出産するときも、中絶するときも流産や死産するときも、男性はその場にいる必要すらありません。それほどまでに男性はリスクを負っていません。

「最悪だ。彼女がデキた。人生終った……」
ばーか。お前の無責任がすべての原因だよ。
「あいつ……安全日だって言ったのになあ。ってか、ピル飲んでたんじゃねえのかよ……。騙された」
そんなこと言うなら、女性の体内に射精すべきではないんだよ。
それだけの話。

女性が何と言っていたとしても、その女性の体内に射精することを決めたのは男性です。

安全日なんてものは、ありません。
ピルは飲み忘れたら効果は不十分にもなりますし、100%の避妊率ではありません。
騙された? あなたが安全日を過信したことは? 女性主体の避妊、ピルに頼りきりであったことは? 女性に避妊の責任を全てなすりつけるのはやめなさいな。

女性が避妊していると言ったことがコンドームをしない理由の正当化にはなりません。その男性は避妊する責任を放棄したということです。

更に、相手の女性の体内に射精することは強制されていません。
選んだのは《男性》です。

ある男性はツイッタランドで私にこう言いました。

「望まない妊娠の責任が男性にあるというのは不平等だ。2人の同意の上での行為なのに、どうして男だけが責任を取らなきゃいけないんだ。女性から責任も主体性も奪う行為だ。女性には判断力もないということか? そんなにも女性は無能で、弱い存在なのか?」

ツイッタランドに生息するある男性の言葉、その2

(著書にそっくりな男性の声があって驚いた。男性の思考は国が違っても同じなのでしょうかね)

はい。これに何と答えればいいのか私はもう知っています。

「女性は望まぬ妊娠が起きたときにはもう既にその責任と結果を負っています。逃げることもできません。それ以上に何を負う必要がありますか。
望まぬ妊娠という結果を引き起こした男性の体液や体内に射精したことの責任までをも《女性》にのみ負わせたいのですか。
女性が何を言ったとして、女性の体内に射精することを決めたのは男性です。何故にその責任も女性が負うのはそれこそ不平等ではないですか。
男性にはせめて、自身の体液についてくらい責任を持ってくれと言っていることに何かオカシナ部分がありますか?
どうして、自身の体で起きていることから逃げられない女性が責任を取っていないことになりますか?」

男性は自分が中絶を簡単に回避できると知っているが、そうしようとはしない。

これをすれば良いだけなのにね……。

もう1つ。これもある男性に言われたことです。

「望まぬ妊娠は自由恋愛であるということ。対等な立場であるから、女性も自身に責任を持たなきゃいけないんだよ。嫌なら、好きでもない男に無理矢理嫁がされる社会に戻るかい? 嫌だろ? なら、仕方ないだろ? 自由恋愛ってそういうことだよ」

ツイッタランドに生息するある男性の言葉、その3

ばーかばーか。自分の行動に責任を取らない性別はどっちだよ? 自由恋愛をはき違えてるぞ。無責任が許されるのが自由であることじゃない。責任を取るから自由なんだよ。

女が股を開いても体内に射精することを決めたのは男なんだよ。
100%男性の責任で望まぬ妊娠は起こるんだよ。

男性に責任ある行動を求めることは、女性が責任を取らないことを許すのと同じ意味ではありません。

自由恋愛だからね。男女共に、自分に責任を取ろうね。
男性も自分の体液にくらいは責任もってね。
そうできないなら、自由恋愛してはいけないのは、《女性》でなくて《男性》ですよ。


「セックスの最重要事項と目的は男性の喜びだ、と社会が教えている」


性行為は男性が射精することが目的となっているということについて。
男性が射精したときに性行為は終わったとされます。

私も何の疑問もなく、それがセックスであると思い込んできました。

でも、男性が射精という形で性的快感を十分に得たとき、女性は必ずしも得ているとは限りません。むしろ十分には得てはいないということの方が多いです。

それでも、男性が射精をすればセックスは成立し、射精が合図で終わりになります。

たとえ、女性が全く快感を得ていなくても、苦痛のみであったとしても、男性が女性器に男性器を挿入し射精に至ったらセックスをしたとなります。

女性が先にものすごく早くオーガズムに達して、男性が射精をしないで終わるセックスは一般的に存在しません。

その逆である、男性がものすごく早く射精に至って、女性が性的快感を得る間もほとんどなかったとしても、これはセックスです。

これ、ものすごく不平等ではないですか?

私にとってこの事実は一番の驚愕だったと言えるかもしれません。

仮に、いくら女性が性的快感を得まくっても、男性が射精に至らない場合はセックスとは呼ばない考える人はわんさかいるでしょう。

当たり前のように、それこそ当然に『男性が射精に至ってこそセックスである』と社会に思い込まされているのです。

何という不平等でしょうか!

ちなみに、はじめてのセックスに向けてのやり方を高校生等に向けて説明するサイトにも、男性が射精することが手順に明記してありました。

前戯→挿入等の行為→射精→後戯

なぜ、射精が絶対に必要とされるのでしょうね……。

私も、今まで『男性に射精させてあげることがセックスである』と思っていました。男性が射精になかなか至れないとき「申し訳ない」とすら感じていました。

好きな人とするのであれば、そうさせてあげたいと思うのは当然かもしれません。お互いに幸福を得たいですし、あげたいから。

でも、この前はあなただけがイッたんだし、今日は私だけでも良いじゃない。これを主張しようと思ったことが一度もありません。

なぜなら『セックスの最重要事項と目的は男性の喜びであるから』です。

「男性が射精しないセックスなんて無意味だ! そんなものはセックスとは呼ばない! 女性は男性を射精させてあげるべきだ! 自分が快感を得たかどうかは関係なく、とにもかくにも男性が射精しなければセックスではないのだ!」

そう社会に思い込まされてきたのです。

大好きな人にすら、自分の快的快感だけのセックスを押し付けることを女性はしてはいけないのです。しかし男性は当然にそれをすることが許されています。


私は、性的な自傷行為として性行為をしたことが(自慢ではないけれど)たくさんあります。

不特定多数の男性と行為に及びました。全く気持ち良くもない行為もありました。でも男性が射精したのでセックスと呼びました。

つまりは私の中で(初めての行為のときから)ずっと『セックス=男性が射精すること』となっていたのです。

(この定義から性暴力は除外します。同意の上で行われた性行為のみがこれにあたります)

これは、セックスが本来は生殖行為であることの名残かもしれません。

が、生殖のために行っているのではないのだから、男性の射精の有無なんて実際にはどうでもいいはずです。

でも、射精でのオーガズムを男性が迎えることなくしてセックスとは呼ばれないのです。

これらが示すことは、現代の社会において『セックスとは男性のためにある行為である』ことでしょう。

でも、生殖のための行為でないのだから射精は『不必要』であるのに、男性の射精がないとセックスは終わりません。

男性が射精に至らないままで終わることは不本意で、ときに『失敗』であると呼ばれたり、『男性が自信を無くすこと』になったり、『男性が女性に謝罪する/女性が男性に謝罪する』ことまであります。

これって、実は相当オカシイことだったのではないの……?

私たちはセックスの定義を見直す必要すらあるのかもしれません。


「男性はコンドームが嫌いだと言うのは、思い込みにすぎない」


私は、男性に直接「コンドームがない方が気持ちいいんだ」と言われたことがあります。
「イケないから外していい?」と聞かれたこともあります。

更に、コンドーム無しでの行為を女性が受け入れることを《愛情》と言う男性にも出会いました。
コンドーム無しで受け入れさせることで《征服した》と感じると言う男性にも出会いました。

彼らにとってコンドームが無いセックスには、妊娠させる可能性(リスク)をしのぐ《意味/意義》があるかのような言い方です。

妊娠の恐れがあっても、快楽(射精すること)を優先すること。
妊娠の恐れがあっても、自分を受け入れたいんだ!ということに愛情を感じること。
妊娠の恐れがあっても(あるいは妊娠の恐れに晒すことで)、己の征服欲を満たすこと。

果たして、これらは本当に妊娠の恐れよりも重要なことでしょうか?

結果として、私は一度も妊娠したことはありません(運が良かっただけでしょう)が、彼らはそれが起きていたらどうしていたでしょうか?

タラレバでしかありませんが、1人の目の前の女性の人生や体や心を大きなリスクに晒すことを厭わずに、その大きすぎるリスクよりも、自分(男性)の欲求を優先させた結果として、妊娠はあり得ます。

(自己弁護するわけではありませんが、もちろんコンドームをしないことを最終的に選んだのは男性ですから、もし妊娠していたら、その責任は男性にあります。射精責任は男性が果たすべきで、男性しか果たせないことなのですから)

しかしながら、「コンドームがない方が気持ちいい」と言う男性の多さなら私も知っていますが、コンドームが性的快感を減少させることは事実ではないと、著者のブレアさんは言います。

コンドームについては《正しいサイズ》と《好きな素材》を色々試して見つけること、《使い方の練習》をすること、更に《潤滑ジェル》を使うことで、コンドーム着用の有無による性的快感に差は無いのだ(当然ですがブレアさんの意見ではなくブレアさんが男性から聞いた言葉です)と。

私はそんなことは知りませんでした。
きっと性的快感を重要視したら邪魔なものなんだろうな、と思っていました。
ブレアさんも言っている通り、女性である私にはそれを知ることは不可能だからです。

私たちは、もっと避妊について語るべきでしょう。
性生活を豊かにしたいのであれば、より語るべきです。


「避妊について語ろう」


まずは、女性主体の避妊法より、男性主体でできるものであるコンドームがコストパフォーマンスでも性能も素晴らしいということを。

性感染症を防げる避妊法がコンドームのみであることは誰もが知っています。

その上に避妊もできる。いや、避妊できる上に性感染症も防げると言うべきでしょうか。
どちらが先でも良いですが、とにかく、最も素晴らしい避妊具がコンドームなのです。

安価であり、入手することも簡単です。避妊効果(正しく使えば効果は高い)も性感染症をも防ぐ。これ以上ない避妊具です。

男性のみなさんにはぜひ、コンドームのサイズと素材と、使い方の練習、潤滑ジェルについて、研究することをお勧めします。

たとえば、女性が避妊具を付けるように言わなかったことを逆手に「避妊具を付けさせなかったお前が悪い」などと言い逃れをするような見苦しい姿を見せないためにも。

現在、男性にできる避妊は、《パイプカット : 精管結紮術)》かコンドームがあります。

女性にできる避妊法は、《ピル : 経口避妊薬》と《IUD : 子宮内避妊具》や《IUS:子宮内避妊システム》と、《卵管結紮術 : 不妊(避妊)手術》で、コスパが非常に悪いのです。

《ピル》は医師に処方してもらわなければいけないし、副作用があります。飲み忘れたら無意味になってしまったりもします。

《IUD》や《IUS》は病院で医師に装着(抜去)してもらわなければならないし、外れたりズレたりしていないか定期的に見てもらわなければならないし、そもそも婦人科の内診は尊厳との戦いの場(女性たちは屈辱的な内診台に良いイメージは皆無です)でもあります。

《卵管結紮術》は、不可逆的な側面もあります。二度と自然妊娠ができなくなる可能性もあるのです。

その点《コンドーム》は、安価で、ドラックストアでコンビニでネットで容易に買うことができます。副作用もないですし、性行為の挿入の前に装着するだけで良いのです。

それとも「ピルを飲めばいい(副作用なんて知るか、飲み忘れなんか絶対にするなよ)」とか「子宮内にIUDかIUSを入れりゃいい(入れるのが痛い?費用が高額?屈辱的な内診台?知るかよ、検診もしっかり行けよな)」としますか?
避妊に失敗したかもという不安があるときには「アフターピルを飲めばいいだろ(酷い吐き気?知らねえよ、妊娠するよりマシだろ)」と言うんですかね?

これのどこが対等なのでしょうか。

ちなみに、ですが……。
《パイプカット》ってそこまで大変なものでもないし(手術も日帰りです)、避妊効果は絶大ですよ!
費用はそこそこかかりますが、一回やっちゃえばあとは世話なし!
心配になるかもしれませんが、パフォーマンスに影響はありません!
更に、子どもを持ちたいと考えたときに、元に戻せる可能性だってあるんですよ!

この章の最後に、重要な生殖行為についての事実を2つ記しておきます。

男性が快楽を得ずに女性を妊娠させることはできない。
女性は快楽なしで妊娠できる。

これ、本当に不平等ですよね。

男性は自身の体にリスクもなく快感を得て女性を妊娠させるのです。
でも、女性は不快なだけの行為でも妊娠できてしまうんです。

そして、何度も言いますが、女性は妊娠してしまったら、逃げることは絶対にできません。

「排卵はコントロールできないが、射精は違う」


女性の体は思春期を迎えてから閉経までの約35年から40年のあいだに、毎月24時間にわたって受精可能な卵子を作り出します。
80歳になった女性が40年間にわたって月経を経験を経験した場合、受精可能な日数は480日あることになります。
一方、男性は理論上は生殖可能な精子を毎日、24時間持っています。
仮に、12歳で思春期を迎えた男性が80歳になったとき(精子は年齢と共に元気を失っていくが)、生殖可能な日数は2万4820日あるということです。
2万4820を48で割ると……約50です。つまり、男性は女性の約50倍の生殖日数を持っていることになるのです。
更に、女性はセックスをする場合のほとんどの日が受精可能ではなく妊娠できないが、男性は常に妊娠させることが可能です。

理論上、生殖可能な男性は1年で妊娠可能な女性を(1名、あるいはそれ以上!)365回(あるいはそれ以上!)孕ませることができるのです。一方で、女性が妊娠できるのは1年で1度だけ1度だけです。

こんなにも妊娠に対する機会/チャンスに差があることは無視できないことだと思いませんか。
いつのときも妊娠のという話題の中では男性は脇役的存在でいます。
でも、男性は女性より妊娠という事柄に触れる機会/チャンスを多く持っているのです。

男性はまずそのことを自覚すべきではないでしょうか。
脇役どころか女性より生殖能力がずば抜けて高いのですから、まるで部外者であるかのような顔をするのは大間違いです。

更に、女性は「排卵時期を正確に予測できない」上に、いつ受精可能になるのかを知ることが不可能です。排卵は女性にはコントロールもできないことなのです。

でも、男性は射精するかしないか、誰かの体内に残すか残さないかを選択できのないです。

女性の排卵時期を予測する方法での避妊方があります。
確かに、排卵時期を予測する女性の体の変化は(一応)あります。でも正確に割り出すことができるものは何一つありません(排卵予測アプリのようなものもそれほどの意味がありません)。

でも、男性の生殖能力の発揮される時期を誰もが知っています。
一日中、毎日、生殖が可能であると、誰もが知っているのです。
射精をすればクリアです(射精に至るかどうかはアンドロメダ銀河にでも置いておきましょう)。

男性が《パイプカット》をしておらず、女性が《ピルの服用》や《IUD》や《IUS》も子宮内に挿入していないと仮定したとき、避妊について、女性の排卵と受精可能日(約4週間に1度、約12時間から24時間だけ受精可能です)の予測と、男性がいつでも生殖可能なこと、どちらからアプローチするべきだと思いますか?
例え話が非常に明快でおもしろかったので引用します。

あなたの家の敷地内に迷惑行為をするご近所さんが二人来たとしましょう。そのうち一人が、夜中にあなたの家の玄関に犬のフンを置き去りにします。毎晩のことです。朝起きて外に行くと、毎朝、袋に入った犬のフンが置かれている状態です。気持ち悪いですよね。すごく臭います。毎日続きます。そこに置かれているのを忘れて、袋を踏んでしまい、フンが靴についてしまうこともあります。毎朝その袋を拾って捨てるのはあなたです。
それではもう一人の迷惑な人物を想像してみましょう。1ヶ月に一度、この人物は袋に入った生ゴミをあなたの家の玄関に置きます。置かれるタイミングは謎に包まれています。いつその人物がやって来るのかもわかりませんが、確実に月に一度はやってきます。気持ち悪くて、臭うのは同じです。そしてゴミ箱に捨てるのはあなたです。
このシナリオでは、あなたにとって頭が痛いのは、毎夜やってくるフンを置き去りにする人です。もちろん生ゴミだって嫌ですけれど、フンの人は途切れることなくやってくるじゃないですか。フンの問題を解決することが重要ではないでしょうか。
迷惑行為に対応するためにフンを置き去りにする人間を無視して、その代わりに月に一度訪れる生ゴミの人が正確にいつやって来るのか、必死になって把握しようとしているとしたらどうです?(先月、この人は13日の夜にやってきて、2ヶ月前は14日の朝の6時にやって来たので、たぶん今月は15日? でもちょっと待って。3ヶ月前は5日にやってきたじゃない。うーん。パターンが読み切れないけど、いつかわかる日が来ると思うわ)これって、馬鹿げた対策だと思いませんか。

この例の予測不可能な人が来る日を予測するのが排卵日と受精可能な時期を探ることです。

女性に妊娠(あるいは避妊すること)の責任を求めるには、あまりに不利です。
女性は自分がいつ(または現在も)受精可能になるのかがわからないのですから。

更に、そのために女性に経口避妊薬等の対策をすることは、全くもって男女平等ではありません。

月にたったの12時間から24時間ある受精可能な期間のために、ずーーーーっと、毎日毎日避妊のための対策をしなければならないのです。
誰かと性行為をする/しないに関係なく、です。

性交の時に、挿入の前に『コンドームを着用するだけ』の男性とは、まるで非対象です。

精子は受精させます。卵子は受精します。
排卵は無意識です。射精は自発的です。

女性の避妊方法は、コスパも悪く、手順も、手続きも、男性の避妊法の第一選択肢のコンドームに比べて、ものすごく大変です。

合理的に、効率的に、コスパ的に、避妊についての選択肢はどれがベストですか?

男性のみなさん。
どうして、妊娠から逃げられない女性に「股を開いたお前が悪い」とだけ言えますか。

どうして、無責任な射精をした男性の責任を軽視するのですか。

望まない妊娠で悩む女性がいるとき、望まない妊娠をさせた男性は、自分には然して関係ないとでも言いたそうにそこにいたり、存在そのものがなかったりします。

「君の体のことなんだ。君が決めるべきだよ。僕は君の意思を尊重するよ」と思い悩む女性に決定を丸投げしたりします。
この言葉は非常に罪深いと感じます。
「君の意思を尊重するよ」ということは、つまり「決定の全責任を君が負うべきだ」ということです。
「君《女性》の体のこと」であるのは確かですが「この状態にした原因は《僕》である」のです。

「男性が楽を出来るなら、女性が苦しむのはしかたない?」


ブレアさんがとても興味深いと事柄を記しています。

男性の経口避妊薬の開発が行われていたときのこと(2016年のことです)。

その薬の効果は妊娠予防率は96%という結果が出ていたそうです。
でもこの臨床試験は中止されました。薬の副作用が参加者の安全を脅かすと判断されたから、らしいです。

どんなに危険な副作用だったのか、私はそれを読んで驚愕しました。

最も一般的な副作用は、ニキビと体重増で、それは女性用経口避妊薬の副作用でもあります。男性経口避妊薬の最も深刻な副作用は、一人の参加者の気分が落ち込み、もう一人の参加者が希死念慮を抱いたというものでした。
もちろん深刻な副作用です。しかし、女性用経口避妊薬の副作用だって同じように深刻なのです。それでも多くの女性は、この薬を処方され、毎日服用しています。

女性の経口避妊薬の副作用を見てみましょう。

まず、血栓症のリスクがあることが知られていますが、それは《ジョンソン・エンド・ジョンソン社製コロナワクチン》が『700万人のうちの6人が重症の血栓症』を発症し『そのうち1人が亡くなった』として一時使用停止となったときの、血栓症のリスクは100万人に1人だったとのことですが、女性用経口避妊薬はそれりはるかに高いものです。血栓症のリスクを3倍にするのです(深刻な血栓症を発症するリスクは年間1万人に3人から9人とされています)。世界中で3億2700万人が女性用のホルモン経口避妊薬を服用していることを考えると、恐ろしいリスクに感じます。

【男性用経口避妊薬の治験で起きた副作用のリスト】
ニキビ / 頭痛 / 気分の落ち込み / 倦怠感 / 体重増加 /うつ / 軽度勃起不全 / 性欲の低下

【女性用経口避妊薬の副作用のリスト】
ニキビ / 頭痛 / 気分の落ち込み / 倦怠感 / 体重増加 / うつ/ 出血と不正出血 / むくみ / めまい / 体液鬱滞 / 食欲の増加 / 不眠 / 皮膚のくすみ(顔のしみ)/ むかつき / 胸の痛みと感覚過敏 / 吐き気 / 血栓 / 胆嚢疾患 / 心臓発作 / 高血圧 /肝がん / 脳卒中

また、バイアグラにまつわる逸話を。

1990年代初頭、クエン酸シルデナフィルと呼ばれる薬が研究者たちによって研究されていました。心臓病の予防や治療のために開発を目指いしていました。研究が進む過程で、別の症状に劇的な効果を発揮することがわかってきました。「ペニスの冬」、一般的には勃起不全として知られる症状です。研究に財政支援を行っていた意思決定者たちは、勃起不全に焦点を絞り研究を続けることを決めました。そして薬は市場に出回りました。バイアグラです。
同じ薬であるクエン酸シルデナフィルのその後の試験では、女性の深刻な生理痛に対しても、継続的な鎮痛作用があると明らかになりました。
同チームの意思決定者たちは、ちなみに男性でしたが、生理痛の痛みの緩和のための研究を行うことに反対しました。なぜかって? 生理痛は全国民の健康に対して優先事項ではないと判断したからです。

《年配の男性の勃起》と《女性の深刻な生理痛を緩和する》を天秤に乗せて、勃起を選んだ。結果、1998年から、世界各地で6400万人の男性にバイアグラが処方されました。が、生理痛の潜在市場は31億人です。

男性の喜びを最大限にするか、女性の痛みを最小限にするかという選択肢があったとき、社会は予想される通り、男性を選ぶのです。

最悪だ!と女性であるハココは思った


「なぜ女性がマシな男性を選ばないか?ではなく、なぜ世の中にはこんなにも虐待男がいるのか?と聞いてください」


(1)男性は自分以外の男性が言うことに恐怖を感じていることを簡単に認めます。反発を恐れて、別の男性に対峙したり、彼らを公然と批判したりはしません。男性が他の男性に対峙したり、批判したりするのを恐れているというのに、どうやって女性ができるというのでしょう?
(2)男性は、自分が女性より肉体的に2倍の力があることに気づいているのでしょうか?
(3)セックスを拒否された男性が暴力的になるのは誰もが知っていることです。

この3点に気づいていながら、多くの男性は、女性がコンドームの使用を主張すること、そしてコンドームを使用しなければセックスを拒絶することが、簡単なことのように考えているのです。

「なぜマシな男を選ばないの? なぜDV男とセックスをするの?」
あの……それは、リストがあるんですか? …… 男性は女性に比べ、暴力的な男性を見分けることが下手です。統計的には、男性であれば誰でも、実生活のなかで虐待する男性と知り合いです。…… しかし男性は、自分以外のどの男性が虐待者なのかよくわからないようなのです。それではなぜ、女性に気づくことができると思うのですか?

いやマジで。本当にそうだよね、ブレアさん……。

そうなのですよ、ブレアさん。
男性は、自分が立ち向かうことができない男性に、立ち向かえと女性に言うんですよ。
男性の自分が抗わない(抗えない)男性に、抗えと女性に言うんですよ。
しかも、女性は自分(男性)より非力だと知っていながら言うんです。

そして、できないと責めます。本当に意地悪です。

「マシな男を選べばいいだろ」と簡単であるかのように女性には言うのに、自分(男性)は最悪な男を見抜くこともできません。

自分に出来ないことを女性に求めて、できない女性に「なぜしなかった? なぜできない?」と言うんです。

しかも、「できないことで困るのはお前ら(女性)で俺(男性)ではないから」とか言って開き直るんですよ。

でも、自分にできないことを求めるのではなく、人間としてどちらに肩入れするべきかはわかりそうなものです。
それをしないということは、加害者側の意見を支持しているということです。

彼らの言葉は、公平でも平等でもありません。
「男女平等であるから、女性の責任も容赦なく追及するぞ!」が彼らにとって正義であるようですが、自分(男性)にもできないことを要求し、できなかった責任を追及するというのは、どういうことでしょうか。

困るのは女性だから、でしょうか?
そうです。困るのは女性です。

でも、だからといって、男性の無責任こそが問われるべきなのは変わりません。

望まない妊娠で困難に陥る女性を、望まない妊娠や中絶を減らすことには、男性の責任ある行動にかかっています。

ブレアさんは、著書の冒頭にこう記しています。

すべて男性にかかっているのです。


「認めたくないみたいだけど、男性は自分の肉体や性欲を管理できる」


著者のブレアさんも言っていますが、女性は男性の性欲がどのようなものかを知りません。女性は男性の体ではないからです。

でも、女性にも性欲はあります。
が、女性の性欲は「私の体を使って男性に射精に至ってほしい!」ではないのです。女性である私の体感では「性的快感を感じたい」が女性の性欲です。

(知っている方もいるかもしれませんが、女性用の風俗というものがあります。そこで提供されるのサービス(と言えばいいのでしょうか)は、女性が性的快感を味わうというもので、男性の射精とは無関係です。女性はそれで充分なのです)

男性はどうでしょうか? 私にはわかりません。

でも、社会通念では「男性の性欲は女性のソレより強い」ということになっています。

さて、誰が体感して、比べて、判断したのでしょうか?

女性だって性欲は強いです。あまりない人もいますが、個人差が大きいのです。
それは男性も同じではないでしょうか。

誰も、比べたことが無いのに、なぜ、男性の性欲は女性のソレよりはるかに強い、などという常識(そう呼ぶのも馬鹿らしいです)があるのでしょうね。

女性は性欲がそれほどないと言うべき、なんて社会的な圧力があったせいでしょうか。
それとも、男性が性行為をたびたび要求するための口実のためでしょうか。はたまた、性犯罪を犯したときの言い訳にするためでしょうか。

男性のみなさん聞いてください!
女性だって、性欲はあるし、ものすごく性欲が強い人だっています!
でも、私たちは、理性があるのです!
男性をしのぐ理性があるから、その強い性欲を制御できるのです!

ハココはようやくこの事実に辿り着いたのであった

男性も、友人の前や、会社で勤務中には自慰に及びません。
交番の前や、人目のあるところでは、性犯罪をすることもありません。

時と場所をキチンと考えて、性欲と付き合っている、コントロールしているじゃあないですか。

男性のみなさん、「女性にはわからないだろうけど、男性の性欲は強いんだ」とか「女性の性欲と男性の性欲は違うんだ」とか、見苦しい言い訳をやめましょう。

《男性の性欲》と《女性の性欲》が『違う』なんて、どうしてわかるんですか? 勝手に決めつけないでください。『違う』ということにしておかないと、都合が悪いのは分かります。

でも、男性は女性ではありません。女性になったこともありません。
つまりは、ただの決めつけでしかないのです。

これは、全人類に施された洗脳です。


この世界にある『セックスの常識』は、すべてオカシイよ!!!
この世界にある『性欲の常識』は、すべてオカシイよ!!!
この世界にある『セックスと性欲の常識』は、男性のためにあるものだぞ!!!
男性に都合の良い事ばかりが『常識』だなんて、オカシイよ!!!

ハココは今、セックスの常識がめちゃくちゃ嫌だと感じている


「射精責任」という言葉について


『無責任な射精』をするな!という意味での、男性は自身の体と体液に責任を持ちましょうという、『射精責任』という言葉。

そうすると、対義的な関係にある言葉として『責任ある射精』が思い浮かびます。

でも、責任のある射精とはなんでしょうか?

女性が『妊娠したいと考えていなかった』場合でも、男性が『女性が妊娠することも織り込み済み』で《体内に射精した》なら責任があると言えるでしょうか?

そのときにどうするかを決めていたら、《責任ある射精》だと言えるでしょうか?

それは違います。射精と妊娠は性行為をする2人の間で同意がなければ、何らかの困り事が発生するからです。

妊娠を男性が望んでいても、女性が望んでいなかったとしても、妊娠や出産(中絶や死産)をするのは《女性》です。

男性は、女性の体内に射精をするのなら、女性に『妊娠についての許可』を取るべきです。

それが、責任のある射精だと私は考えます。

男性は、妊娠にまつわる事柄を背負うことができません。女性の代わりに引き受けることはできません。

男性は、『無責任な射精をしない』こと、『自身の体と体液に責任を持つ』こと、『女性の体内に射精をするときには《妊娠しても良いか》を確認し許可を取る』ことが必要です。

私は、そう考えます。



【最後に】
この書籍『射精責任 / 著・ガブリエル・ブレア』は、Twitter(現X)から飛ぶことができる、欲しいものリストから贈って頂きました。
贈って頂いた方へ、心からの感謝を申し上げます。


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