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失踪もどきをした日の記録

性被害の無料相談の電話やチャットを利用して

監禁してくれたひとのところに帰りたい……

わたしの県の性被害の対応の相談の電話に、繋がった真夜中。
「監禁してくれたひとのところに帰りたい……」
そう言って泣いた。
でも、
「えーっと、聞き間違いなのかしら?」
そう返って来たことが、実はかなりグサリと来た。
オカシイのはわかってて言っているのだけれど、なんかいま有り得ないこと言ったよね?っていう反応を、支援系のひとにされることって、こんなにショックを受けるもんなんだなって、知った。

それがきっかけで、どこかに行ってしまい……になったりして。
でもそんなことで……って思いながら、でも、帰りますって書き置きをして出掛けた。

帰ってくる自信はなかった。
とにかくもう、どこかに向かって自転車を漕いだ。

「わたしは狂ってるよ!」
泣きながら叫んだ。

こんなわたしで本当にごめんなさい!
迷惑をかけないように生きたかった!
せめてもう少しマシに生きていたかった!
ママに産んでもらってとっても幸せだ!
なのにこんなのを産ませてしまって、ごめんなさい!
どうしてわたしはこんなにも足りないの!
もう少し、もう少しでいいから、マシでいたいよ! いられないよ!
死んでしまえ! 死ねばいい! 死にたくない! ごめんなさい!

夜の大通りを自転車で駈け抜けて。
泣いて叫んで。
朝焼けがとてもキレイだったよ。

わたしに、相談電話の何が向かなかったのか、考えたりした。
わたしは、悩みを聞いてもらうだけということに全く価値を感じないし、それはもう足りてますと言うか、そのために話すとか、そんなのもうどうでもいい。
安易に共感されることや、それは〜でしたね、という系の言葉に、むしろイラッとする。
解決策が欲しい。
もう15年、足踏みしてる。
その間に、わたしの感情は麻痺して、動かし方がわからなくなった。
意識的に、笑ったり、笑うべきときに笑ったりできる。
けど、楽しくもない。全然楽しいがない。
ただ虚しいがたくさんあるだけなんだ。

いいかい?
相談の電話にはな、共感や慰めや肯定がほしいときにかけるんだぞ?
そうじゃないひとやときには、苛立つぞ?
そんな助言をきっとだれも求めてなどない。

面倒な電話に思っただろう。
これをしてはもらえないか?に返って来た「出来ない」との答えに、それはなぜできないのですか?と返す。
こうではないか?と言われれば「それはわかっています」と返す。
助けを求めることは勇気がいることだから、と言われれば、「じゃあ、助けを求められない云々とごねているのでわたしは勇気がないですね」と返す。

嫌だったろうなあって、気の毒に思う。
挙句の果てに。
わたしは失声になることご多く、そのときはストレスが本当に強いときで、でも電話でしか相談には乗れないとか、それはつまり、声出ないひと、喋れないひとは助けられない、ごめんなさいね!ってことですよね……。
クレーマーだったなあって思う。
すごく嫌な相手だったろうなって。

困らせることばかり言ってしまった……謝りたい。
最終的に、
「わたしがたとえ助からなくても、あなたは何も悪くはありませんから。どうぞ気に病むこともなくいてください……さようなら」
とか言ってのお別れとか、最悪だ。

ごめんなさい、他の相談者さん……。
わたしは彼女に嫌な思いをさせたと思う。
もしかしたら、あなたや誰かの救いになったかもしれないひとに。

どこかの性被害のチャット相談使ったてみれば、
「治療方針見直した方が良いかと思います」と言われた。
ちょこっと本音出したら、このひとヤバイぞ!って。
「治療は本当に受けていらっしゃいますか?」って言われてしまうなんて、思ってもみなかった。
こんなに昔より生きやすくなったのになあって。
「専門の治療が必要かと存じます」って、専門のなんてないんですけど。
「自分でもかなり調べて、福祉とか頼って探してもらって、それでもないんです」って言ったら、
「努力してきたんですね。すごいです。でもそれすらできないひともいますし……」
読み間違えたかな?って思った。
10年以上経過して、そこに辿り着いたことも、わたしは他のひとよりマシでしょう?って言われたりしなきゃなの?

最近、ヤバイ思考がすごく目立っているけれど、ずっとあるのが強くなっただけだし、いつもとそこまで変わらないし、強くなったから、抑えとくのが大変になって、ぽこぽこ落としてるんだけど……。
わたし的には全然酷い状態じゃないのに。
かなーりマシにマイルドになっている状態だから、こういうものに相談を出来たのに。

過去一にマズイ状態のメンタルだけど、総合的に見ればすごく良くなってるのに。
フラッシュバックもないし、パニック起こしたりもないし、泣き喚かないし、解離少ないし、リスカもしていない。
でもね、むしろ、そういう思考が出来るからのヤバさ。
自分がオカシイって自覚してるからのヤバさ。
自覚しているけれど、それが正しいとも考えて、否定して否定を返して、脳が疲労していく感覚がものすごい。

確かに、オカシイを自覚しない方が、ヤバイんだとは思う。
でもオカシイを自覚しているのはしているで、ヤバイとも思う。
オカシイことを肯定してしまう。
一所懸命に否定し続けるのが、本当に疲れる。
文献を読んだり、調べ物したり、ひとのことを思いやって誰かのために涙を流して、出来てしまえているからこそ、ヤバイって思う。

わたしの脳はわたしのことを大切と認識できない。
つまり脳は生きていくための重要な部分を放棄してる。

わたしの犠牲で大切な何かをほんの少しでも守れるなら、ぬいぐるみのためにでもよろこんでこの身を捨られる。
違うなら、甚振られて終わすべし。
淡々とそれを考えて、過去一、淡々と自分を大切にしないでいられる。

わたしの、変な方向の、しちゃいけないことは、絶対的にしない方が良いのだと理解できる。
でも、どうにもしたくてたまらない。
自分が嫌いになれる事柄を目一杯に。
したいなって言っても、ダメだよ! 後悔するだけだよ!って、全力で止めてくれるの、本当にやさしいと思う。

でも、その端っこでこっそり思ってしまうのだ。
君も、何度もアレを経験したらこの気持ちをわかるかもよ?
なんて。本当に最低だ。

わからない方が絶対的に良いんだけれども、真っ向からの否定は、ちょっと凹むなあ……ってときがある。
わたしもほしい感覚じゃなかったし、こんなこと思う自分を心底嫌いだし軽蔑もしたい。

抱えているには、本当にとんでもなく多くて大きくて重たくて。
ぽろって、たまに隙間から落っこちちゃうんだよ……。
拾ってくれてありがとう。でも返してね、盗んだらダメだよって言いつつも、落としては拾ってもらって返してって言う、その繰り返し。

元シャニの報道がはじまってから、見るとダメになるってわかっているのに、見ないではいられなくて、どんどん不安定になっていっている。
フラバとかが起きるのとはまた違うけど、脳内にトラウマ関連のことしかない状態が続いている。
トラウマ関連のことしか考えられないし、言えないし、できない。
なに見ても聞いてもそこに結びつけてしまう。

フラバで錯乱していた頃は、めちゃくちゃ自分を終わらせたい思いでいた。
生きているのが本当に嫌だったし、生きているとか、なにそれおいしいの?って意味わかんなかったし。
死んだら、あ、生きてたみたい!って分かるかも?とか、考えてもいないけれども、なんかとにかくもう、衝動で動いて自分を終わさせてしまうからと閉じ込められた、保護入院。

でもいまは、衝動が湧いてくるけど、自制できている。
つまりは衝動ではないのかな?
冷静に考えていられる、冗談言える、楽しげにできる。
その芯が凍ってしまっている。

ダメをダメと理解しつつ、してしまえる。
嫌を、嫌だと考えつつ、すすんでしてしまえる。
嫌だと感じつつ、することに意義を感じるような。
自分にとってしない方が良いことを、むしろしないではいられないっていう気持ち。
気持ち悪いこと、痛いこと、苦しいこと、酷いこと、残酷なこと。
そこに近づいて混ざって、被虐されることが似合うと本気で思う。

フィクションです(笑)って言いながらしてしまいたい。
わたしのすべてがフィクションだったらどんなにいいだろうか。

レイプ後のあの日の心理を冷静に味わっている感じがしている。
遁走って言われている、みどりちゃんになる途中のわたし。

行動に移さないのは自制が効いているから?
気持ちがそこまで強くないから?

でも、してしまえることがらをしないでいる、そのハードルみたいなものは、えいって、軽いジャンプで超えてしまえて、実行可能になる。
けど、ハードルを越えた先、わたしはきっとその場で立ち止まれる。
しかも、まず踏み切らないだろうって思う。
自分がわからない、本当に何なんだろうな?って思う。

失踪もどき

そんなこんなで、ちょっとだけ失踪もどきをしてしまったのだ。

わたしの地域の性暴力の相談支援のセンターさんに電話したら、お昼にかけてくれればなにか対応できるよって言われたから。
でも、この気持ちを保っていられないなあ。
助けてほしいって言える気持ちを明日の昼間まで保っていられないなあって。
だからいけないんだなあ、わたしがダメなんだなあって。
もう悲しいやら悔しいやら。

大丈夫でいられないときは深夜ばかりで、
助けてもらいたい気持ちになれるのが深夜で、
昼間のわたしには助けてもらわなくても大丈夫になってしまうから、
助けてくれるひとはいるかもしれないのに、助けてって、
助けてもらえる時間には言わないでいでいてしまうなんて、
馬鹿だなあ、ダメだなあって。

助けてもらいたいなら、決まりに則って、正しく助けてと言わなきゃいけないんだよ?
決められた時間に、言わなきゃいけないの。
それができないわたしは、助けてはもらえなくて当然なんだけど、助かりたい思いはいまものすごくあるの。

助けくれるひとはいるのに、
対応可能な案件かもしれないのに、
上手に助けてと言えないから、
決まりに則って、助けてと言えないから。
助からないのは自己責任だよ。
助からないのはわたしがちゃんとできないから。
助からないと嘆いちゃだめ。
わたしはこんなにも恵まれているから。
わたしがダメなだけなんだよ。

死にたくないなあ。
死にたくない。
死にたくないんだよ。
本当に心の底から死にたくない。
死ななくていいのに。
死にたくないよ。

そんな投稿をして、早朝におうちを出た。
書き置きをしてきた。
心配されてしまうことを、申し訳ない。本当にごめんなさいって。
ちゃんと帰ると書いたけど、帰るつもりなんだけど、どこに行くかも決めなかったから、どこに行くと書けなかった。
ただ、本当に、いっぱい泣いたら、ちゃんと帰って来るんだって気持ちで。
ごめんなさい、心配と迷惑を、ごめんなさい。って書置きして。

もし書置きをしなかったら、即、捜索願を出されたかも。
書置きをしなかったら、帰ろうって気持ちを保てないと思った。
そして、結局帰らないことにしても、書置きがあれば、即、捜索願にはならないだろうって。

いちばん泣きたかった、あの保護入院のとき。
泣いたら迷惑だからと看護師さんに言われた。
思い切り泣きたかったあのとき、泣いたら迷惑なんだなって、泣いたら迷惑なんだからって、泣かないように頑張った。

大型トラックが轟音を立てて走る大通りの横。
自転車を漕ぎながら、あんなにも大声で泣いても、あのとき迷惑と言われたあの涙は、もう流せないんだなあって気づいた。

たどり着いたのは、最短距離、直線距離で20kmほどの場所。
ここに来たのはなんとなくだった。
なんとなくこっちに向かって、なんとなく、カラオケボックスに来た。
この場所まで、わたしはひとりでは来られないと思い込んでいた。
けれど、自転車を走らせて、いま、わたしはその場所いるって思うと。
なんだか、がんばれる、きっとがんばれる。
そう思えたりもした。

キリンの首の長さを見比べたいとか、
模様をじっくり見比べたいとか、
象の鼻や耳の大きさも観察したいし、
ハシビロコウとどちらが先に動くか対決したい。
大型の猫科の子たちの猫らしいところを見たい。

大切なひとたちの幸福を、
不幸すら心に刻みつけて生きていたいのに。
ああ、なんて、
なにもできないかもしれないことを、
わたしは嘆きもしない。
ああ、なんて、
愚かしいわたしを、嘆きもしないのか。
ああ、なんて、
わたしはわたしの心を否定するのか。
嘆けばいいのに、嘆いてはいけないのだと。
こんな機能さえない人間であれば、
形振り構わずに、助けを乞えたのに。
自業自得で後の祭りで、馬鹿な人間だな。
仕方ないだろ。それがわたしなんだから。

性欲すら我慢できない男のように、恥ずかしげもなくそれを我慢しなければいいだけのことすら、できないなんてさ。
どちらが優れているのかを考えると、いまは少しだけ迷ってしまうな。
自分のために生きることに迷いもなければ、本人の快適さとしては素晴らしいことだろう。
できないことをしたいと願うことは愚かなり。
なんてさ。

I love you so much.
Many thanks and many sorry to you.
I'm really sorry for being like this.
I'm sorry for being alive.
I'm sorry for worrying you and causing you trouble.
I want to be alive. I don't want to die.
I want to repay your love.

こんな投稿をしたりしながら、
精一杯、助けを求めるモチベーションを保った。
3時間、自転車を走らせた。
朝焼けを見ながら泣いて叫んだ。

しんで欲しい人に、しねと言いたい!
それすらもわたしはできない!
でも、そんなわたしで良かったと心から思ううんだ!
もう少し、もう少し、あと少しだけ待っていて、ねえ、わたし?
わたしは生きているって叫ぼうよ!

明日のわたしは何を思うかな?
いまのわたしにはわからないよ。
明日のわたししかわからないから、
明日のわたしになるまでわからないことは、
いまのわたしにはどう頑張ってもわからないよ。
それでも知りたくなるよ。
いまのわたしは明日のわたしを知りたいよ。
いま、いま知りたいの。
明日じゃだめ、いま知りたい。

そんなわがまま言いたいな。言いたいよ。
不可能なことをくださいと、言いたいんだよ。
言っても叶わないけれど、
言うだけで、わたしの思いはあらかた満足すると思うの。
でも言ってしまったらきっと、
全然満足できなくて、欲しいほしいと言い続けるてしまうだろうから。
最初の欲しいは言わないほうが、きっと良いと思うんだ。

ホットラインに繋がったとき、泣き崩れそうだった。
お願い、助けてと、精一杯、助けを乞うてみた。
でも、全然、わたしが助かることの話なんてなかった。
助からないってことがわかって、帰ろうって思った。
だから、大丈夫なわたしに戻ろうって。だってそうしないと生きてなんか行けないからって。
あーあ、しんでしまえ。
助からないわたしなんて。
助かりたいわたしなんて。
しんでしまえばいいのに。
大丈夫なわたしだけで生きていることしか、できないんだから。
しんじまえ。

ホットラインさんに、役立たずって言いたかった。
一人で悩まないでなんて言って、やっぱり一人で悩ませるんじゃんかって。
しんでしまえ。
わたしの大丈夫じゃない部分なんて、迷惑をかけて、心配をかけてまで、助けてと言おうと頑張ったけど、どこにも繋がりもしない「助けて」になんて意味もないやって。
上手に、ルールに従った、SOSができないと、助からないから、わたしのこういう部分は助けられないんだなあ。
助けられない系のひとからの電話でごめんなさいって、バイバイしちゃったことが罪悪感だ。謝りたいな……。

ああいう、電話相談のひとを責めるつもりなんて更々ないんだけど、ああいう感じでも救われるひとはいるのだし、大切なことなんだろうって思う。
でも、既にわかっていることを伝えられるだけって、そんなもんなんだなあ。
自分で考えついた以上の何かはもらえないし、想像できる言葉しかかけてもらえないのかあって。
何を期待したのかなって、馬鹿だなあ、本当に馬鹿だなあって思う。

カラオケの部屋の時間が40分残っていたから。
熱唱した。
「Just be conscious」「Castle・imitation」「マザーランド」「Raining」「踊」
「影踏み」とか「コスモロジー」が歌いたかったけど、リストになかった。
残念だった。
熱唱して、ほんの少しすっきりした気持ちになれた気がした。
平均85点くらい。高得点ではないかもだけど、まあまあ。
だってわたしは音痴だったもん。マシになったじゃん。

例えば、死なないでと言ってくるひとは、
死なないために何かするわけでもないから、気軽に言えるんだよ。
死んでしまっても、死ななくっても、何の責任も取らないでいられる。
責任の伴わない言葉は、放つのも楽だから。
責任持ってそんな言葉を放てるひとはいないよ。

でもその言葉に救われるひともいるんだからって。
わたしがそうでないだけ、捻くれているだけだよ。
そんな自分が割と好きなんだから、どうしようもないってことだ。

けど、こんな風に自転車を漕いで夜明けを見た甲斐はあったんだ。
わたしは現在とてもヤバいのですと、誰かには伝わったし、少なくとも母に、伝わってしまうことをしたのだ。

わたしの大好物の栗ごはんを作って待っていると母からメールが来ている。
帰らなきゃいけない。恵まれているわたしのおうちに。

笑って話そう。
あんな場所まで自転車で行ったんだよって。
ホットラインに電話したらさあ、対応できねえって言われちまったぜ、あははっ!
栗ごはん食べて、おいしいなあって、笑えるわたしがそこにはいる。

ママごめんね、産んでくれてありがとう。
こんなの産ませてごめんなさい。
それでも生まれてよかったとしか言えないや。

帰ってきた、おうちには、いつも通りを装う母がいる。
長い旅だった、短いけど長かった。
これは現実だろうか? 夢だろうか?
現実でしかないんだけれども、なんだかよくわからない。
もともと薄い現実感がまったくない。
でも、どうやら大丈夫ではないわたしのままでいるらしい。

栗ごはんを食べながら。
おいしいねえ……とボロボロ泣いてしまう。
いやもう、マジでうぜぇうぜぇ。


そんな失踪もどきの記録です。

10月の16日の真夜中。午前2時とかに最初の電話をかけて。
4時頃、失踪しようかなって決めた。
帰って来ないかもしれない。
そんなことをちらっと考えた。
でも帰らない選択をしなかった。

わたしが行った場所を聞いて、母が目を丸くした。
往復6時間以上の自転車の旅は、わたしは何かを得たと思いたい。

こんな問題行動を、してしまえるなんて、思ってもみなかった。
できるじゃん!って妙な自信がついたようなきもしたりした。
でも、やっぱりすべきではないと思う。

どうしたら、いいんだろう?
ぐるぐると回る何かをいつも見ているんだ。
見ているだけじゃわからないから、手に取ってみて、よく調べてみるんだけれども、なんだかやっぱり何なのかよくわからない。
それがずっと、ぐるぐるしている。
脳内のどこかをぐるぐると回る、ぐるぐるが、いつもぐるぐるをしているんだよ。

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