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詩「人生の当事者」

子供の頃からいつも
仲良しの友達がいなくて
誰かと誰かの仲違いの話を聞いては
それは大変だ!と
その当事者のお互いを励ましたり
蚊帳の外にいるばっかり

仲良しだって
わたしを嫌いじゃないって
みんな言うけれど
わたしはいつも
みんなとは別のところにいるの
蚊帳の内には入れずに
いつも、いつの間にか
わたしは独りぼっちなの

嫌われることも
強く好かれることも
蚊帳の外にいるから
無くて
いつの間にか、いつも
独りぼっち

よく誰かが
悩みを打ち明けてくれていて
わたしは一緒に悩んだつもりで
解決したのを見送って
独りぼっちに戻る

どうしてだろう
わたしがわたしの人生を
「生きて」いないと
バレてるから?
そんなわたしをつまらないと
感じているから?

贅沢な悩みだわ
わたしに降りかかっていない不幸を
羨んでいるの?なんて

わたしという人生の当事者にいないわたしを
受け入れる他人がいないのは当然なのに
相手をするなら
せめて本物の「わたし」がいいんだろうこと
わかるけど、わかるんだけど

「わたし」がいないのが「わたし」なんだ
それが「本物のわたし」なんだ

わたしすら「わたしの人生」の蚊帳の外にいる
そんな「わたし」を
更に外から見ている「わたし」のこと
誰なら見つけてくれますか?
誰なら蚊帳の内に入れてくれる?
わたしの人生の外側にいる「わたし」を
誰も知らない
わたしすら知らないんだもの
当然だわ

わたしは何者なんですか
わたしはどこにいるのですか
誰かに見つけてほしかった

永遠に
不確かな
かくれんぼ

誰も見つけてくれないの
だって わたしすら
わたしがどこにいるのか
見つけられない

それでも誰かに見つかりたい
ねえ、お願い
迎えに来てよ

「こんなところに居たのね。探してしまったわ」
そうやって手を繋いで帰って
ううん、違うの
連れて行ってほしいの
みんなのいる世界に
わたしも混ぜて

わたしは「わたし」に
いつも会えない
わたしは「わたし」が
いつもわからない

わたしは「わたしの人生」の
当事者になりたい


解離性障害を患って生きている
わたしの人生でのわたしは
いつだって
わたしの人生の蚊帳の外にいる
それが苦しい。とても悲しい。
誰かに見つけてほしい
そして、本当は、
わたしが迎えに行きたいの
わたしにわたしが会いたいよ
だって、わたしがわからない
いつも願ってる
わたしは「わたしの人生」の
当事者になりたい
ずっとなれなくて
それが苦しい。
その苦しみすら
わたしのものではないのです。

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