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それは被害者の問題ですか?いいえ、加害者の問題です。

元ジャニーズの性加害問題に我がメンタルも荒れ狂った日々を越えて(まだ全然越えていない)


違和感の正体

「ジャニーズ性加害問題」は、それらを表す見出しからわかるように「性加害問題」とあり、つまりは「加害」が問題視されている。
「被害」でなく「加害」が。
いままでを報道の仕方が全く違うなという違和感はずっとあった。
どうしてだろうか?
被害者が男性だからなのか?
後ろ盾があるからなのか?
芸能界のことでさらに男性が訴えたから?
国連が、海外が問題視したからか?

正直、男性が訴えたからこんなに広まったのか?という絶望にずいぶんととらわれてしまいました。
性犯罪に対する司法が男尊女卑に感じ、男性の性欲を擁護するためにあるように思っていたので。

一般男性の性被害者が無視されてきた社会なのに……本当にごめんなさい。
でも、女性がひとりで被害を訴えるより、誰か男性に付き添ってもらうだけで、警察の態度が全く違うということが、あるあるなので、どうもこの思想を憎む気持ちが抜けません。

若者たちよ、10代、20代の男性にしてみたら、男尊女卑?はあ?って感じることもあるでしょう。
でも、悲しいことに、少し年上のおじさんたち、おばさんたちには根強く残っているし、それとの激戦があって、いまもまだ続いています。

おじさんと、おじいさんは、思いっきり男尊で生きてきたことが、エライヒトを見れば理解できるのではないでしょうか?
権力など無くとも、誰もが男性であるだけで女性より優れていると確信して女性であるならそれだけで劣っているそんな馬鹿な時代が、少し前まで現実にあったんですよ……。
その年代の男性たちの社会の常識って意味不明の慣習、通例だと思いませんか……?

ええ、まあ、話を戻しましょう。

「加害行為が問題だ」と言う視点は、本来あるべき姿であるのは間違いない。
女性が訴えると被害という名で報道され続けるばかり。
被害者の問題であるかのように。加害者の存在についてより、被害者についてばかりの報道になる。

加害されて被害者になったのに、まるで被害者であったから加害されて加害者を作ったみたいだとすら思う。

つまりはきっと、被害者が訴えなければ見過ごしたままいられたのに……。
そんな風に訴えないままにいて欲しい、いるべきであるなんていう、男の性欲に慮った司法や警察の対応を、社会(一部の?男性たちの)も、メディアすらも無意識にも支持しているのではないか。

潜在的に、女性は誰もが性被害を受けるとみんな知っている。
女性であれば、誰もが性加害をされていると、きっと誰もが知っている。

それが常識で、黙っているのが常識だ。そんな男尊女卑思想の社会がある。
そして、女性は性的にどうこうされることに意義を唱えないことに違和感もなく生活してきたある年齢以上の男性たちの「ミソジニー」がそれらを正当化する言動で性被害を訴える女性を中傷する。

けれど、女卑意識が薄れて、告発する女性が増えてきた。同時に二次加害、セカンドレイプが大きく表面化した。

セクハラをさせてもらえなくなったその時代に現役で少しでも過ごした男性は、意味不明だと不思議がる。

どうして駄目になってしまったのか?
いままでオーケーだったのに?
嫌がってなどなかったのに……。

違う。
いままでだってオーケーではなかった。
嫌でしかなかった。
けれども「ノー」と言えなかった。
言うことすらできなかった。言ったら会社から排除されたから。

それを仕方無いと受け入れることが、その頃の女性の社会での処世術とされていた。
でも、男尊女卑を受け入れることに「ノー」と唱えるに行動や概念がシフトした。
これが本来の私たちの思うことだ!と。
なのに「わがままだ」「女のくせに」「躾しよう」「教育すべき」という思考にシフトする男性がいるとか、彼らはどこまで男尊思想なのだろうか。

被害者は加害されたせいで被害者にされた

女性たちは、加害されて被害者になるのではなく、「女性」であるから被害者になるべくして加害された存在として報道される。
ジャニーズの件は、加害されて当然ではないはずの「男性」が加害されたから、被害者になるべきではないのに加害された存在として、加害者の異常性が報道されたのだろうか。

加害されるべきでなければ、加害者こそが悪と誰もが認識する。
当然だろう。被害を受けたくて受けるひとなどいない。

なのに、こんなにも当然であることを、女性の性被害者には現代でも適応されないでいる。
いや、一般男性の性被害者も適応されない。
一般社会では、男女ともに性暴力全般に適応されないのだ。

元ジャニーズの件は、なにか大きな力が働いて(?)声の大きな存在、立場や地位、芸能界に所属する、様々に後ろ盾も得て(?)、強者的に訴えるから、そう認識されただけのこと。

元ジャニーズの特例中の特例の被害者たち、当事者と名乗る彼らの扱いに、苛立ちを覚えてしまうことは、ひとえにわたしの心の狭さだろうけれども。

被害者よりも加害者の人権が重視される犯罪

性被害者の扱いは酷い。
他に同じ例は?と見るなら虐待などもそうだ。

子供の頃に受けた性被害にも、様々に虐待されて育っても、大人になればそれらはガン無視されての自己責任の人生になってしまう。

性被害者たちも彼ら彼女らも、見えない被害者であったかのように、その後の人生にて、自力で医療に繋がってどうにかこうにか生きて行くのかも、人生をやめることすらも、加害者には関係ないこととして存在するのだろう。

加害者に擁護派が一定数絶対に現れる犯罪として現法で立件可能な罪は、性犯罪のみ。
そして立件そのものが、被害届を出すことからまず困難である。

立件すら難しい。似た性質のものとして、軽視されるもの、声を黙殺されるものに、虐待やいじめがある。
それが性的な加害であれば更に。
ただでさえ、被害者より加害者の利益が優先されるし(加害者にも人生がある!等、いじめた児童/生徒たちは守られるし、親からの虐待であれば、親の権利が大きく邪魔をする)、その上に訴えにくい性的なものとなれば、SOSを出すことの困難さも深刻さも増す。

それらの被害を受けたことによるその後の影響は、どんなものでも深刻であるのに、その深刻さを知るのは加害を受けた側だけ、被害当事者たちのみだ。
生き延びて、治療が進み、やっとのことで発信し告発できるのは、何年後のことになるだろうか?
その間に公訴時効(起訴が可能な期限)となってしまうことが起こるのが性犯罪には起こりうる。
(改正され、被害から15年に公訴時効は延長されましたが、撤廃が必要と考えます)

性被害を権力で支配する加害者たち

性被害を受けた女性に対して「死に物狂いで抵抗すれば逃げられる」そう言い放つ男性がいる。
「服装」が露出度が高い、挑発的、興奮を誘った。
「胸が大きい」「その身体で興奮しないのは無理」などという発言で、性加害されて当然と、加害を正当化してきた、かつての男性たちの常識。

男性の性被害者たちの置かれた状況は女性とはまた違う。
二次加害を怖れる気持ちも「男にはあり得ない」と嘘つき扱いをされるいう恐怖。
そして女性と同じ、いやそれ以上に恥じる気持ちがあるかもしれない。
男性は加害されない、男性なら抵抗できる、その神話の内容を否定し、神話にしがみつく気持ちを萎えさせるには効果は絶大であった。

体力的に強いはずの男性は、男性だからと「抵抗できないはずがない」と、それも被害が女性からとなれば「抵抗可能」の意見がさらに増すだろう。
言い出すのも無理だと思って仕方ない。
「んなの最高じゃねえかよ!」と揶揄されるのがオチだ。

ホモソのノリで揶揄して自虐に変えて笑って終わる。
なんにも終りもしないし、更に傷ついた自分を知る。

性被害で受けた傷、致命傷になり得る傷を、自分の中にとどめなければならなくなることは、男女ともに圧倒的な数である。

「性暴力は女性が受けるもの」を思い込んでいる社会では、性被害を受けた事実を話しても、信じてもらえない、話すことすらできない、そんな風に思い悩む男性たちにとって、転機のような出来事になっただろう。
その点は本当に良かった。
(結局、香ばしいやらなんやかんやになっているけれども)

男女ともに、性被害によって受ける傷がある。致命傷になりかねないほどの心の傷。

有名なジャーナリストのヒトが「男性の性被害なんてピンと来なかった」とふざけたことを大真面目に発言していた。
そういう輩のせいで、声を上げられなかったんだよ!と怒りでいっぱいになった。

暗数は少ないのか?

様々なサイトに性犯罪の立件の難しさ、そして認知件数を記せば同時に暗数に触れる。

2020年の強制性交罪等の認知件数は、合計1,332件で、被害者の数は、男性は72人、女性1,260人である。
女性が被害を認識しても警察に訴えられたのは6.4%のみ。
つまり、女性は1260人を6.4%とするなら、単純計算で19,687人は加害を受けている。
男性の72人は3%ほどに留まるとも言われ、こちらも単純に計算し2,300人は加害を受けている。
男女ともにそんな推測ができる。

被害を受けたことがあると答える割合には、男性は100人に1人でつまりは男性全体の1%ということも、女性は14人に1人(100人におよそ7人)で7%であるという推測が可能だ。
その中でどこにも相談していない割合は、男性は66.4%で女性は58.4%。
男女ともに半数以上が誰にも相談しないのだ。

日本は本当に性犯罪が少ないのか?

日本は他国に比べて性犯罪が少ない。
そう客観的データとして、北欧などと比べる男性がよくいらっしゃいます。
けれども、性犯罪に対する法律や警察、国民の姿勢が違い、性犯罪を立証することも被害者がすべきことではなく「警察がきっちりしっかり調べて」立件することになっているし、レイプと言われるもののハードルが低い上に、性犯罪を深刻な犯罪であるととらえ、支援する施設も医療の体制も全く違う。

性犯罪だけでなく犯罪そのものの、被害者の受けた傷に焦点を当てることが重要という考えがあり、安易に比べるデータとしてグラフを持ち出す男性?が現れる度にげんなりします。
(ちなみに、被害者の証言だけでの逮捕はあり得ない制度です。その警察は無能ではないので)

外国の認識として、まず、フランスの法を紹介する。

フランス刑法では、「暴力、強制、脅迫又は不意打ちをもって実行するすべての性的侵害」を「性的攻撃」と定義しています。
ここでいう「強制」には、物理的だけでなく心理的なものも含まれ、未成年の被害者と加害者との年齢差や、犯人が被害者に対して法律上または事実上及ぼしている権限によって生じると規定されています。

2018年8月には、この定義がさらに改正されました。未成年者に対して強姦やそのほかの性的攻撃が行われた場合、心理的強制または不意打ちが生じ得るとされました。

その上で、強姦、そのほかの性的攻撃、性的ハラスメントと3つの罪種があります。
さらに、強姦や性的攻撃で、15歳未満の少年・児童に対するものや被害者に対して権限を行使できる立場にある者によってなされたもの、職業上の権限を付与された者がその権限を濫用することによって行われたものなどは、刑が加重されます。

客観的証拠がないまま、本人の証言だけで加害者が有罪になるということは本来ありえません。こうした無罪判決を持って「被害者は嘘をつく」と決めつけ、性犯罪の成立範囲を狭めようというのは、最も弱い人に自分たち法曹関係者の問題を転嫁しているのではないでしょうか。

性犯罪だけ冤罪が増えるというのは全くおかしい。冤罪が増えるという議論自体が誤解で、無理解に基づいていると思います。

性暴力被害者の心理、加害者がどのようにして日常生活の中で上下関係を作りあげ性行為に追い込むのか。研修を受けてこうした知識が身についていれば、罰すべき事例か罰すべきでない事例かも明確になり、冤罪の危険も減って行くと思います。

性犯罪、フランスの手厚い被害者保護「日本も変わろうという意識を」島岡まな教授(https://www.bengo4.com/c_23/n_10261/)より抜粋

とはいえ、レイプに対するハードルを限りなく下げても、性犯罪に対する認識を変えようという先進国と名高いスウェーデンでも、過大にパートナーからの加害の数を報告するひとが現れたり、妙な言い訳が通用する事態になってしまったり、抜け穴を使いたい、加害者でしかない様々なヒトたちが、実際の深刻な被害を受けたひとの声の邪魔をする構図はありますが……。

法の整備はもちろん、性教育も重要です!

法の整備をどんなにしても、それを利用して利益を得たいと悪用するヒトはでるでしょう。

最も効果的なものは、性教育なのだと思います。
いまだにタブー視されていますが、それでは性被害者にされることにも、加害するヒトを減らすことにも、なんの役にも立ちません。
教えなくて良いって、どうしてなのでしょうか?
それらを管轄するエライヒト?真剣に考えなさいって。

(しかしながら、包括的性教育の名のもとに、セックスはきもちいもの、きもちいいは恥ずかしくない!なんて広めて、妙な性技まで仕込もうとする悪影響しかない、教育という名のもとに、ただのエロを教えようとするヒトがいます。迷惑です。失せなさい)

知るべきこととして重要なのは、性交が男性器を女性器に挿入する、ということもかもしれませんが、もっと基本的なこと。

「生理の仕組み」「妊娠や出産の仕組み」
「射精とは何か」「避妊の正しい知識」「性感染症について」
「同意とは何か」イエス以外ノーである、ということ。
「してはいけないこと、AVの嘘」

(これは何かで本当に啓発すべきことだと思う。日本の主に男性(?)の性の技術面や知識の補填は常にフィクション・AVからである。その嘘に気づかないで強いてしまうことが、女性にどんなに負担を強いることなのか、知らないままに正しいと信じ込んでいる、大の大人のおじさんも、若者が大声で、これで女は絶対にイク!と発信しますので、迷惑です)

そしてなによりも「思いやるこころ」が必要であること。
相手とふたりの行為です。当事者はふたりきりです。
その相手を尊重することが最も重要なことなんです。
嫌なことは、相手のためにも「嫌と言う」こと。
自分の欲求をお互いに押し付けないこと。
痛いと感じることを、お互いに相手に強いないこと、強いられることを許容しないこと。
「相手を尊重する」「思いやること」は、無制限に相手を許すことではなくて、自分の「ノー」を相手に告げることこそが、その相手を本当の意味で尊重することなんです。

勘違いしているひとが多いですが、相手の全てを、自分の嫌なこともすべて受け入れることは、「お人好し」なだけで「やさしさ」とは別物です。

「お人好し」さんは、それをしても相手のためにならないとしても、してくれと言われたらしていまいますし、放っておけないからと頼まれなくてもしてしまう。

でも「やさしさ」のあるひとは、間違いであることを告げるべきなら、はっきりと告げるのです。その相手のために、間違いを教えるのです。
(一応、書いておくのですが。モラはやさしさで間違いを指摘しているわけではないです。支配のみです。相手と共に成長すべく、そのための指摘ならモラにはならないでしょう)

お人好しさんの姿勢では、相手を尊重している態度とは全く言えません。
「思いやり」と「優しさ」で「相手を尊重する」ことで、良い関係を築けることが、ふたりの行為(の裏の課題)となるようなら、本当に良い関係と言えるのではないでしょうか。

日本の性教育は、本当に何も教えていません。
意味がないくらいに、何にも教えません。
(わたしは特殊で、たぶん解離によって知らないようにという防衛をした可能性もあり、保健の授業でなにを聞いたのか、全く覚えていないです。そんなわたしの初体験はカルチャーショックでした。知識は皆無でしたから。射精のことも、性器の挿入が行われることすら、避妊の方法やら本当になんにも知らなかった。むしろレアすぎる知識の皆無さ。そんな状態で、行為の相手に教わるだけの性の知識の、なんとまあ危険なことか!)

ここは日本なんだし、法律とか、そんな外国の話をされても……。
とか言うひとも、よくいます。
聞きたいのは、そのようなみなさんはどうして、これは良いね、日本もこうなったらいいよね!と言う反応にはならないのでしょう?
良いとは思うけど……ここは日本だよ?とか言うのは、だから何?って話です。

どうして、みんなでこんな風に変えよう!
こんな風になるようにみんなで考えよう!ではないのですか?
そうなったら困るから?こんな日本でそうなるはずがないから?
諦めたらそこで試合終了ですよ。

何か変えたいと願うとき、それは大抵、越えられない壁です。
でも、変えなければならない!という思いで、どうにかこうにか変えようと行動する。

そうやって、様々なことに、時代による変化があった。概念すら変わった。
性犯罪に対してだけは、変わらない。そう言い切ることこそが間違いでは?

変わらないかもしれない。でも変わるかもしれない。
だから、発信をする意義があるのです。

疲れてしまった……。
外国の性犯罪に対する法律についてのネットの記事を、ばばばばって貼りたかったのに……。

とにかく、みんなに知ってほしい情報として、最後にこれを提示する。

「凍りつき(フリーズ)」の反応と「不同意性交等罪」

強制性交等罪の「暴行・脅迫要件」は、「性行為を犯罪として処罰するには「相手が同意していないこと」に加えて、加害者が被害者に暴行や脅迫を加えるなどして「抵抗できない状態につけこんだ」ことが立証されなくてはならない」とある。
司法の場で「被害者が抵抗できたはず」という考えが前提になっているのは非常に重大かつ重罪的な誤解であった。

実際に性暴力被害を受けたときには、「声が出せない」「体が動かない」「頭の中が真っ白になる」「記憶がない」という「凍りつき(フリーズ)」の反応が、度々起こるのだ。
どうか被害を受けて逃げられもしなかった、抗えもしなかった自分を責めないでほしい。責める必要がないのだと、心理での研究結果があるのだから。


それらの反映したものとされる「不同意性交等罪」には、
「心身の障害がある場合」「アルコール・薬物を摂取している場合」「睡眠・意識不明瞭な場合」「拒絶する隙を与えない不意打ち」「恐怖・驚愕させた場合」「虐待による心理的反応がある場合」「地位・関係性が対等でない場合」が同意の体ではないことを明記された。
それに類する行為により、同意しない意思のを示すことすら不可能と判断できるその状態での性行為は処罰対象だ。

「不同意性交等罪」という名称には重大なメッセージが込められている。
内心では不同意であったことだけで、成立するとは書いていないが、「同意がない性行為は性犯罪になる」という性犯罪の処罰規定がそのままに名称となっているのだ。


関係ないけど、明日は診察日です。
最近主治医との関係に少し悩んでいます。
わたしは、かなり面倒な患者と思われているのではないだろうか?
ジャニーズの件で怒り泣いての絶賛不安定なときに「なんなんだ!あの特例の扱いを当然と受け取れるとか!クソ!イラつく自分もすげえ嫌!」とか、それに対して、感情のコントロールに薬はどうか?の提案に、散々疑問(怒りを感じないことが正常なのか?理不尽と感じても見過ごせることが正常なのか?それが人間らしい事なのか?など)を口にしての、冒頭に書いた疑問を口にしたら、「テレビを見ないのでよく知らない」と彼らに関して意見を述べません、と言われましたのを、「社会問題すら知らずに精神科医をしているのはどうかと思う」とにらみつけてしまって。
それから、少しの距離を感じています……。

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