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音のない雨(2)

SNSをはじめたとき、
『いいね』に高いハードルがあった。
私なんかに『いいね』されたら嫌だろう。
絶対に迷惑だ。
だから『いいね』を押せなかった。

今の私は『いいね』が怖い。
私が『いいね』を押したら迷惑だと思う。
その投稿の良さを失わせてしまうって思う。

私の賛同は投稿者にとって不利益になる。
私が賛同したことを、
その人の投稿を良いと思った他の人を、
不快にさせる。

そう思うと同時に、
私の『いいね』なんかに、
そんなに影響があると思ってることが、
恥ずかしい。
私のことを、
他人が気に留めていると思ってるなんて、
自意識過剰で本当に恥ずかしい。

普通に過ごしていたのに、
突然に奈落に落ちてしまう。
私の体調は普段から悪いけど、
もしそれを100としたなら、
いつもは100で、
ある日突然なんの前触れもなく0になる。
昨夜は0で、今日は1で、
RPGなら昨夜は戦闘不能で、今日は瀕死。

私はツライのかな?
ううん、御生憎様、
ツライんじゃない、自責してるだけ。

自己嫌悪。
何をしていることも申し訳ない。
こんな私なのに……って、
大好きなシロクマのくまを抱っこするのにも、
ごめんねって謝る。

なのに、母と笑って話せる、冗談も言える。
きっと私のこういう状態を医師とかは知らない。
これまでの私が、
上手く言語化してこられなかったから、
仕方ない。

ここ(Twitter)で、
こんなふうにつぶやいてみたら、
恐らく、
自分を責める必要はないとか、
私はここにいるよとか、
優しい暖かい励ましの言葉が、
あるんだろうなって、
返ってくるんだろうなって、
私はそれを知ってる。
その言葉がきっと本心だろうと信じてる。

ごめんなさい、違うの。
ありがとう、だけど違うの、ごめんなさい。

私は《わたし》からその言葉をかけられたいの。
私は《わたし》に許されたい。
私は《わたし》に優しくされたい。
私は《わたし》に手当てをされたい。

それが、どうしても、どうしてもできない。

どんなに頑張っても、
私は《わたし》の苦しみや痛みや限界を、
認めてあげられない。

「つらかったね」誰かにならそう言える。
そして本当の本当に
『耐え難い苦痛を
生き延びた《あなた》を尊敬する』
のに《わたし》に対してはできない。

誰かに言われても体感として『違う』から、
否定したいし、
けど否定するのは失礼だから、
その想いに対してあまりに失礼だから、
できない。
そうして自己嫌悪する。

みんな同じだと思ってる。
そんなふうに感じる人たちが、
ハココのFFさんには、
きっと多いことをわかってる。
わかるなんてすごく失礼だけど。

私はものすごく面倒くさいやつだ。
とりわけ今の私は面倒くささが増している。
そんなことないよと言われたら、
否定したくてできなくて、きっとモヤる。

人を丸ごと愛するみたいな、
恐らく私はそんなふうに相手ができていると、
勘違いさせることができるだろうなと思ってる。

私は、とりあえず、
メンタル面に治療が無いままだったら、
誰かに丸ごと愛されていると
《わたし》が感じることは不可能だと思う。

これを書いて私は嫌なやつだとまた思う。
本当に嫌なやつだ。

でも、例えば私が、
誰かがこれらを
つぶやいているのを見たとしたら、
放っては置かないし、
むしろちょっと愛おしいとすら
感じるだろうこと、
その手を繋ぎたいと願うだろうこと、
足元にちょこんと猫みたいに座るだろうこと。

だけど《わたし》に"それら"を
向けられることは許容できない。
やり方がわからない。

どうしたら良いのかわからない。
ひとりではどうにもできない。
だけど他人を上手く頼れない。

仕事としての治療や支援をもらうなら、
遠慮なく受け取れるし要求できるし、
制度があれば使うし、
福祉の足りなさを問題だと
社会に訴えることは
日本国民としてして良いはずだとして、
遠慮なんかしない。

どうしたら良いのかわからない。
助けがほしい。
助けられる人からの助けがほしい。
本気で関わられたら、
私が相手を潰してしまうだろうこと、
だから私は相手に本気で関わらない。
けど生半可に関わる人を、
私は嫌だと感じる。

矛盾だ。

《わたし》が、
本気で関わらない/関われないのは、
《あなた》のため/せい、だなんて。

《わたし》は、
誰かに本気で関わられたいけど、
それをできない/させない理由も、
《わたし》の中に存在していて、
なのに本気で関わろうとしてくる人を、
嫌だとか迷惑だとか言うなんて、
あまりに自分勝手すぎる。

けど、
《わたし》に本気で関わりたい人の、
その想いを受け止めることは
私にとっては、

《わたし》のために死んでください。

と言うようなものだと、
私は感じてしまっている。

大袈裟に思うよね。
わかる、知ってる。

けど、そうなってしまっているから、
どうしようもない。

私は、
《あなた》が《わたし》のために
死ぬところを見たくない。
苦しむことも見たくない。

どうしたらいいのかな。
これでも一応、
助かりたいんだよ。
愛されたいんだよ。
丸ごと認められたいんだよ。
誰かに。
そして誰よりも《わたし》に。


4月28日のTwitterより。

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