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私が箱から出たい理由

箱入り娘はどうしたら箱から出られるのでしょうか?

できるだけ外に出ないように、大事に大事に育てられた箱入り娘。

ですが、その娘が自分の視野の狭さに気づき、外の世界に憧れ、もっと外の世界を見たいと思ったとき、彼女は箱からどうやって出れば良いのでしょうか?

厳しい親の制止を振り切って箱を出るのは、簡単なことではありません。

そんな、「親の制約から自由になりたい」と思っている人に向けて、今回はかつて典型的な箱入り娘だった私の経験から、”箱から出る”方法について話してみようと思います。

”箱から出る”ということ

誕生の宝くじ(Lottery of Birth)という言葉があります。

宝くじを引くときに結果を選べないように、子供は生まれる先の親を選べません。親と性格が合わなくても、跡を継ぎたくなくても、子供は偶然巡り合わせた生まれを変えることはできません。

だから、箱入り娘として生まれ、その家庭環境に居心地が悪いと思う人もいるでしょうし、「どうしても親といるのが辛いなら、縁を切るなり、駆け落ちするなりして、”箱を捨て”ていい」と、私は思っています。

箱入り娘にとって、””というのは、「親からの制約」であり、「親からの愛情」であり、「親との関係そのもの」です。

縁を切り、”箱を捨てる”のは、「今まで構築してきた親との関係や影響を全て否定し、失う」ことであり、それなりに代償を払いますが、それをやるだけの意義が自分の中であるのなら、親から逃げてしまっても構わない、と私は思います。

しかし、もし親のことを「嫌なとこもあるけど、縁を切るほど憎めない」と思うなら、私は”親という箱から出る”ことをオススメします。

箱から出る”というのは、縁を切ることではありません。”箱から出る”のは”箱を捨てる”のとは違い、親との関係そのものを否定し、失うことはありません。ただ、親から精神的に自律するのです。

つまり、「親の価値観、親が与える影響(=)を受け止めた上で、自分の考えを伝え、自律した人間として、親と対等な立場で向き合う」のです。

箱入り娘にとって、”箱から出る”ことは簡単なことではなく、長く険しい道です。事実、私も完全に”箱から出きった”とは言えません。

でも、だからこそ”箱から出る”ことは、箱から出たい娘にとって、人生の大きなプロジェクトだと考えています。

箱を捨てきれないのはなぜか

私はつい数年前まで親の元からできるだけ離れたところに行こう、つまり、”箱を捨て”ようと考えていました。

小学生のときにプチ家出をしたこともありましたし、高校時代は県外の大学に行こうとしたり、寮に入ったり、留学したり、台湾で働こうとしたり、、、(大学時代、半年ぐらい台湾で働きましたが、就職はしませんでした。その話はまた今度^^)。

しかし、結局、”箱を捨てる”ことは私にはできませんでした。

高校時代に、重い参考書で父に頭を殴られ「何で私はこの家に生まれてしまったのだろう。」と思ったこともありました。

「お前は言っても聞かないから殴っても良いんだ」と言われ、「どうしてこんな人間を親に持ってしまったのか」と思ったこともありました。

でも結局、家を捨てたい程、親を憎むことができなかったのです。

どうしてかというと、以下の3つの理由から憎めませんでした。

1. 親の言うことも正しいから。

立場や考え方の違いで受け入れられないこともありますが、私と親が喧嘩するときはたいてい、どちらの主張もある意味、正しいのです。お互いにそのことはよくわかっていました。

2. お互いに愛情を持っていたから。

喧嘩はしますが、私も親もやはりお互いを大切に思っていて、父が強い態度にでてしまうのも、私には幸せになってほしいと思っているからです。そして私もそのことはよくわかっていました。

3. 私も悪い部分があるから。

当たり前ですが、喧嘩するときは私にも悪いところがあり、自分の怠慢さ、親の未熟さ、傲慢さ、等を直してほしいとの思いから衝突してしまうのです。私もそのことはよくわかっていました。

こうして、箱を捨てきれず、かといって、このまま親の言いなりになることもできない、と思った私は、自分自身が経済的・精神的に自律し、対等な立場で話し合えないか、と考えるようになるのです。

初めて箱から出た瞬間

大学4年生の夏、その瞬間はやってきました。

きっかけは親との大げんかです。

当時、すでに内定先も決まり、新生活の資金を貯めたかった私は、バイトを2つ掛け持ちしながら、内定者インターンをしており、家に帰るのが12時過ぎることもよくありました。

そんなある日、うっかり遅く帰るという連絡をするのを忘れてしまい、バイトから家に帰ると、父に頭を殴られました。

「殴ることないだろう!」と頭に血が上った私は、「私が親になってもあんたみたいには絶対になりたくない!」とまで言ってしまい、大口論になりました。

怒りに任せてそのまま家を出ていこうとしましたが、間に入った母の仲介によって、一旦休戦となります。

休戦の間、一人になり、冷静になった私は、「たしかに、連絡を入れなかったのは私が悪いな」「だからといって、殴ることはないよな」と、何が許せなくて、何が受け入れられるのか、を分類しました。

そして、再び父と向き合い、「連絡を入れなかったこと」「心配をかけたこと」を謝り

「でも、殴ることは悪いよね。殴る以外にも、ルールを決めるとかできることはあったよね。そこは謝ってほしい。」と、伝えました。

恥ずかしながら、お互いにプライドの高い私と父は、喧嘩をしても、どちらかが謝ったことはありませんでした。

しかしこの時、一度も私に謝ったことのない父が、殴ったことを謝ったのです。

それは私が初めて、親と対等に向き合った瞬間でした。

いつも「親とは分かり合えない」と嘆いて、離れることばかりを考えていた私が、親の意見も正しいと認め、しかしここだけは譲れないと主張し、話し合うことができました。

親という箱”を認めつつ、自律した人間として、箱から足を出した瞬間でした。

箱から出たい娘のこれから

そうして、箱を一歩出た私でしたが、その後、対等に親と話せる人間になりきれたか、というとそうではありません。

彼氏と同居するかで意地になって喧嘩したりと、社会人になっても、精神的に自律した自分にはなれていません。

これからも、箱から出られず苦しむこともあるでしょう。

しかし、苦しみながらも親と向き合うことで、私は親への愛情、親との関係という、とても大切にしたいものを失わずにいられます。

それに、”相手の価値観を受け入れた上で、自分の意見を伝える”、という簡単なようで難しいことに挑戦することは、私をいくらか人間として成長させてくれたと思います。

決して困難な道ではありませんが、選んだことに後悔はありません。

どんなに時間がかかっても私はこの人生最大のプロジェクトを成し遂げたいと考えています。

そして同時に、私のような「親の制約から自由になりたい」と思っている人に、"箱から出る"という選択について考えてもらい、一緒に乗り越える方法を模索する、ことが私のミッションです。


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