この日記の意味…的な?

ここで記事を書き始めてから暫く経ったんですけど、そろそろっていうか、今更なんですけど、この辺でこの日記(記事)を書いている意味みたいな事を書いておこうかと思いましてねぇ…。

要らない?

まぁ、そうかとは思うんですけど、少し(長い)お付き合い下さいませ。

最初にね、以前ひっそりとTwitterをしていた別のアカウントから今の新しいアカウントへと移行するにあたって、ほぼ最後となったツイートを引用して説明するのが楽なので、そのツイートを少し加筆修正して載せる事にしますね。

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癌になって思うこと、気づいたことが色々とあった。

初めての経験もあるし、困った事もある。

なんか、そういう事をある程度きちんとまとめて残しておきたいなぁと思った。

それがTwitterを再開した大きな理由です。
(癌で入院してたのでTwitterも放置してました)


僕はお墓も要らないし、仏壇に遺影なんかも飾ってほしいとも思わない。

遺骨は捨てて貰って構わないし、それはどうしても気が引けるっていうなら、散骨で海に撒いて欲しいと彼にお願いしてある。

死んだ後のことなんてあまり意味が無いと思ってる。

そんな事よりも、今、死ぬまでの間にどんな事を考えていたのかを少しでも残しておきたい。



これから本当に身体が痛くなって、苦しくて、何にも出来なくなるかも知れない。

でも、それまでの間は、毎日が辛い訳でも無いし、悲しいばっかりでもなければ絶望もしていない。

今の彼とは13年付き合って貰っているけど、僕が何をどう考えているかって事は、殆ど伝わって無いんじゃないかなと思う。

そういう話をする機会ってなかなか無いしね。

だから、そういうところを埋めていきたい。



お墓参りに行くよりも、仏壇の前で拝むよりも、もしも僕を思い出してくれるなら、残したテキストをたまにでも良いので読み返して貰いたいなぁと思う。

20年ちょっと前(もうそんなに!)、ゲイのネット日記ブームがあった。

あれが凄く楽しかった。

その時に、自分のホームページがきっかけで知り合った人が沢山いた。



アレをもう一度、人生の最後にやりたいと思ったんだよね。

でも、このアカウントだと過去ツイートで身バレが過ぎるのよ。

昔の知り合いに、癌になって弱っている今の自分を晒すのは、まだちょっと恥ずかしい気持ちがあるから…。

それが問題。

でも、現在のアカウントを使い回すことにして、これまでの過去のツイートを消すような事はしたくは無い。

彼との思い出としてこれまでの過去のツイートは残しておきたいから。

だって、ここは、ほぼほぼ彼に見て貰うためだけにツイートする場所だったから。



なので、Twitterにはずっと鍵をかけてたし、新しい繋がりも求めてもいなかったし、読んで貰って「いいね!」が欲しいなんて思った事もなかった。

本当に個人的な小さな記録としてだけのTwitterだった。

誰に見られなくても、二人だけの記録として残れば良い。

ただそれだけ。

でも、次は違います。



そんな理由でこれまでとは違う、新しいアカウントを作りました。

今度のアカウントでは鍵はかけないで、出来れば沢山の人に見て貰いたい。

そんなふうに思いました。

最悪、三週間くらいで終了とかもあるかも知れないけどねw

とにかく、人生の最後に楽しみたい。



なので、次からは、面白ければ「いいね!」が欲しいし、リツイートもして欲しいです。


あと、キリ番ゲットしたら必ず連絡下さい。

マル秘画像を置いた秘密のURLを送ります。

とか、そんな感じw

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いやー、Twitterの使いにくいトコでてるねー。

140文字でなんて伝えられる訳ないよね。

ずっと思っていたけど、長年やっていても、これがTwitterがイマイチ好きになれなかった理由ですわ。

どんだけこま切れの文章をくっつけなきゃならないんかと…。

まぁ、それはそれとして、こういう日記を始めたのは以上のような理由なんです。

個人のホームページからmixiあたりまでのネット日記的なモノが、未だに凄く好きなんですよねぇ。

勿論ね、顔、体型、年齢なんかの好みってのはありますよ。

だけど、その人がどんな事を考えて、どんな事が好きで、どんな事をしてて…

気になる人のそういうトコが知りたい。

っていうか、それこそが重要なんですよ。

でも、それがTwitterになっちゃったら、全然…とは言わないけれど、殆ど出来ない。

なんだかんだでTwitterってね、もう12,3年くらいは続けている訳ですよ。

そういう意味では、自分的に一番長く続いているSNSなんだけど、実はそういう所が本当に合わないなぁと感じていました。

140文字で収めるのって本当に大変。

毎回、文字数オーバーしては表現を少し変えたり、なんとか削ったり、そんな事をしているうちに、誤字脱字が更に追加されちゃったりするの…。

っていうかね、自分にはたった一言っていうヤツが出来ないんだよね。

なんの脈絡も無く事象だけを毎回つぶやくとか、マジで無意味感が強すぎる。

幾つものツイートと、それに伴うコメントのやり取りで完結するもの、それがTwitterなのかも知れないけれど、そんなにそんなにTwitterにばかり貼り付いてなんかいられないわ!って思っちゃう。

適度に時間はかかるけど、まとめてその人と成りを感じられる日記みたいなモノが、自分には合っていると思うし、やっぱり大好きなんですわ。

でもね、僕の大好きな山田ズーニーの、魂の震えるテキストに付く「いいね」の数よりも、ジムに通ってるタンクトッピーな短髪かわい子ちゃんな兄貴の「いちご味のプロテインを飲みました!」っていう、たった一言のツイートの「いいね」の数の方が多いのが現実。

今の世間一般では、そういうなんでも無い事の方が求められているんだろうなぁということは理解していますよ。

特にこのゲイの関係としてなら尚更のこと。

顔と体型だけで選ぶ可愛い人なら、それで十分なのが大多数なんだという事は分かっています。

それこそが、削ぎ落とされた必要最低限で効率的だと言うことも。

でも、だからと言って、自分の好きな事を諦めたくは無い。

需要が無いかもしれないけど、というか、凄くうざがられるかも知れないけど、それでも書きたい事を書いて、何かを伝えたいし、何かが伝われば嬉しいなぁって思うんですよ。


個人のホームページを始めた当時、1998年頃に付き合っていた人は新聞記者のおじさんでした。

で、ある時、そのおじさんが昼寝をしていたので、その隙にパソコンで日記を書き始めていたんですよね。

そしたら、いつの間にか起きて来ていて、後ろから覗き込まれたんですわ。

何を書いてるの?

そう言われて、ギョッとしたんだけど、見られたのなら、まぁ言っても良いか…と観念して、最近こうやって日記を書いてホームページにアップする事で誰かと交流するのが凄く楽しいって事を話したんですよ。

なんで「観念」かって言えば、それは彼が文章を書くプロである新聞記者だったから。

そんな彼に自分の文章を読まれるなんて、かなり恥ずかいじゃない。

あからさまにダメだしされたりしたら勿論嫌だし。

でも、その時に、なんか凄く褒めてくれたんだよね。

凄いね!とても良い文章だよ!飾らない、好感の持てる文章だよね!

ってね。

で、それ以来、うちに来るたびに「なんか書いたの?見せてよ?」と言って日記を読んでは、毎回必ず褒めてくれた。

それは嬉しかったよね〜。

自分の価値を認められてるように思った。

毎週のように会っていたし、年はかなり離れていたけれども会話が特に噛み合わなかったなんて事も無かった、でも、まぁ、あまり深い話をした事も無かったとも思う。

そんな関係がね、僕の日記を通してかなり変わったんだよね。

僕の日記を読んで、話の種が出来たっていうかね、おじさん自身の過去の体験だったり、思う事だったりをよく話してくれるようになった。

それは二人にとって、とても良かったなぁと思う。


それとね、今思えば、子供の頃からくだらない文章を書くのは好きだったのかも。

学級紹介とか、よく書かされてたし。

前のが良かったから、また書けや!なんて先生に言われては、嬉しくてホイホイ書いてた。

国語の作文は嫌いだったけれど、学級紹介は自由にやりたい放題だもんね。

楽しかった。

そして、それは会社に入ってからも変わらなかった。

若手が順繰りでやらされる社内報の担当になった時にも、僕は全く苦にならず、1年間の任期をとても楽しく過ごした。

年に4回発行する社内報なので、僕は自分の部署の事を4回書いて、それ以外にもいくつかの記事を書いた。

それもちょっとくだけ過ぎてない?大丈夫か?っていう表現や内容ではあった(結構硬い会社だったので)けれど、結果としてわりと評判が良かった。

どこの部署とも明らかにテンションが違ってはいたけど…。

で、それを何年も経った後に、事務の女の子から〇〇さんの書いた社内報の記事が大好きで、今でもたまに読み返しているんですよー!と言って、机の引き出しから古い社内報を引っ張り出して褒めて貰った事があった。

社内報を大好きでとっておくなんて、聞いたこと無いわ。

だからこそ、すげー嬉しいじゃないですか。

あんなモン…ねぇ?



という具合に、これって僕にとっての成功体験なんですよね。

最後まで何も成していない、何者にもなれなかった、ホントもう無価値に近いようなダメな自分のね、数少ない成功体験なんですよ。

だからやっぱりやめられないし、最後にこれをもう一度やりたいと思ったのでしょうね。

そして、今も、人数は少ないかも知れないけれど、こうして書いた僕の文章を良いと言ってくれる人が何人かは居るっていうことが本当に嬉しくて、料理をして食べる事と同じくらいの生きがいになっているんですよ。

ここに書き始めてから数週間が経ちましたが、思った通りにやってみて、今は本当に良かったなぁと思っています。


死ぬまでに、やりたい事をやる。

一つ達成です。



これは


承認欲求?

自己顕示欲?


いや、最近、とある番組を見ていて出て来た言葉でいうところの「祝福されたい」っていうのが一番しっくりくるかもって思っています。

これについてもここで書くと、さらに長くなっちゃうので、それはまた別の記事で書く事にしますね。

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