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小説【金平糖】

※初出2014年。合同展で発表。そこから何度か書き直し、加筆してきました。長い長い時間のお話。燐寸箱も自作した思い出。


 こう見えてわたくし、百をとうに越えておりますの。
 最初の頃こそ生まれ年も覚えておりましたが、指を折る内数えることすら忘れてしまいました。
 当時吉原の三日月屋で奉公しておりまして、ありがたい事に年季あけ前には江戸でも名の知れた船問屋へ身請けが決まったのでございます。
 ところが年を経て老いる主人に対し、私は相変わらず十いくつの時のまま、皺ひとつもございません。
 夫は何変わることなく私を大切にしてくれましたが明治の声を聞く前亡くなりました。
 いくら大旦那が守った女将とは言え、家中の者たちは気味の悪いことに違いありません。
 大方吉原で何か悪い病でも受けたのだろうと、噂が立ちまして。ですからこれ以上店へ居ては、切り盛りする養息子夫婦へも迷惑がかかろうからと、北へ向う船に紛れ、江戸を経ちました。
 もう東京と呼ばれていた頃かもしれません。
 何しろ飲まず食わず眠らずでも一向苦にならないのです。町から町、点々とする内思いました。
 今更この身を恨んでも致し方ございません。ただ何故こうなったのかだけでも知っておけないかしらと。

 そこで何でもお調べいただけるというこちらの噂を耳にしまして。

 川沿いの小さな事務所で、取り立てて看板も出さず、どちらかと言えばひっそりとやってきた。探偵などといっていても殆ど小間使いや万ずのことばかり引き受けているのに、それをどこで聞くのか、仕事は多くなる一方だった。
 夏のとても明るい日その人は現れた。



 嘘か本当か分からないような美しい女性の話を、茫然と聞く。
 質問はいくつもあった。あったものの、どこを切り口にして良いか分からず、別件で調べていた資料束の間に、古い吉原細見を見つけめくってみた。
 何故そんなものがここにあるのか、と驚いた先方を尻目に、三日月屋。あるね、確かにと伝える。
 けれどそれに一つコクリとうなずいて、
「一つ思い出せる事があるとしたら、お客様にいただいたこれなのです」
 そうコートのポケットへ手を差し入れ取りだしたのは、茶色の瓶に入った砂糖菓子だった。

 金平糖ですか。

「これを下さった方は悪戯好きなご大尽でいらっしゃって、おいらん、かむろには内緒でおあがり とおっしゃって。思えばあの日こっそりと一粒口に入れてからです、このような身の上になりましたのは」
「そうしてそれを今でも持っている? 何十年も?」
「ええ。ごらんになります?」
 差し出す瓶から角をいくつも着けた硬い砂糖の粒をこちらの掌に転がす。
 わずかな淡い砥の粉色をしたもの、これが人を永らえさせるなんてことがあるものだろうか、そう思わせるに十分な程、それは小さく儚いものだった。
「見るだけではただの菓子ですねえ」
「ええ」
「これ、もその頃のまま?」
 瓶を指して言う。
「そうです。当時は大変珍しいものでしたし、旦那にも何か事情もおありのようでしたから、袂へ仕舞いましてそのままこうして」
 その珍品を光に透かしてみても、何か変わるところがあるようには思えなかった。
 金平糖を置き去った客の素性について更にいくつか質問をし、女性が居るという当面の滞在場所を聞いた。しばらくお時間下さいと言っていつも通り客を送り出す。
 階下へ降りていく音、そして道を渡り去っていく姿はとてもそんな身上を感じさせるような佇まいではなかった。

 よろずお探し偵察いたしますとは掲げているものの、さすがにオカルトは範疇外なのだけれども、と思いつつ、瞳に差したやや陰るような佇まいには弱いものなあと考えて、彼女の振り出した金平糖の一粒をパクリと口に放りこんだ。

 我知らず放り込んでしまっていた。

 そしてそんな事をすっかり忘れ、こちらはかなり真面目に仕事をした。
その花魁に金平糖を渡した客は誰だったのか、この硝子の瓶はいつの頃のものなのか。彼女についていたかむろは。船問屋は、茶屋は。

 正直調べきれる何もかもに痕跡が少なすぎた。当たり前だ。江戸は調べるにはあまりにも遠すぎる。
 結果を出せる筈がないのを知っての依頼じゃないかと思うに至った頃、あの人は再び現れないことも何となく気付いた。示された滞在先を探しても、該当する存在はなく、足跡も何もかもがあっさりと消えていた。
 預かったものだけが物証で、その他になんら証はない。

 やがて雪が降って、春になって、さらに一年、また一年が十年、そうしてたぶん百年近くはあっという間に過ぎていった。
 仕方ないので時々河岸を変えて飲み食い屋や何でも屋をやったりするものの、さすがに生き辛い時代になってきた。匿ってくれる人が無いではないので、何となくやり過ごしながら、やはり困ったものだと思うより他なかった。

 とはいえ彼女にはあれから一度だけ会えた。
 聞きたいことはどれだけあったか。こんぺいとうとは何だったのか。何故江戸での話をこんな北の地で調べさせようとしたのか。
 そもそもこうなる事も、まためぐり合う事すらもがわかっていたのか。
再び会えたのは、平成の大震災の後だった。思うところもあったのだろう、お手伝いに行こうと思って。そうにっこりとほほ笑んだ。
 永らくの挨拶がそれかと考えなくもないけれど、相変わらずのきれいな顔を見ていたらそれすらどうでも良いことのように思えた。今も昔も、正直美人に弱い。

 次に会うのは明日かあるいは百年後か。この馴染んだ厄介な身体を持余しつつ待ってみるのは、それ程悪い事ではないような気がしている。
 彼女の訪れたこの場所は自分が引き払い、何十年とたった今は珈琲屋になっている。多分次に出会えるとしたらここなんじゃないかとも思いながら、窓際の席から外を見下ろす。
 人通りの多い交差点、街路樹に緑の葉が増えてきた。また短い夏がこの街にも近づいている。


事務所としてイメージした場所に入っていたカフェの当時の写真。

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