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私の生まれた家

私が産まれたのは、1977年。
父親26歳、母親24歳。

当時、両親は、父方の祖父が所有する借家に住んでいました。
平屋で、2部屋と台所、トイレ、お風呂の、小さな家。
同じ間取りの借家が4軒あって、そのうちの1軒。
あとの3軒には、店子さんが住んでいた。

この借家の店子さんたちにも、可愛がられてた記憶がある。

私達が住んでいた借家の裏には、この4軒の借家が建ってるのと同じくらいの広さの庭があって、祖父が手入れした木が植えられていて、芝生がキレイに整えられていた。

祖父は自転車でやって来ては、木に水をやって、庭の手入れをしていた。
よっぽどのことがない限り、毎日。どうしても来られない日は、母親に水やりを頼んでいた。

私が小学生の低学年の時、この庭に一軒家を建てることになり、毎日、自分の家が建てられていくのを、見ていた。
祖父は、器用な人で、家を建ててくれてた大工さんも知り合いらしく、たまに来ては、見るだけじゃなくて、手伝ったりしてた。

家が完成したら、私達一家はそちらに移り、私達が住んでいた借家には、父親の弟の家族が住み始めたんだったかな。
何年か後には、この4軒の借家は取り壊して、その場所に、私達の家と同じように、父親の弟の一家の家を建てたので、結果的には、私の父親と弟で祖父の土地を半分ずつ使って家を建てたということになる。
なので、今でも、お隣さん同士で住んでて、なんか、こういうのいいなあと思う。

新しい家は2階建てで、2階に子供部屋があって、2歳下の妹と1部屋を一緒に使っていて、2段ベットで寝るのが嬉しかった覚えがある。

ただ、トイレは1階にしかなくて、階段を降りたところにあるんだけど、両親の寝室も2階で、夜、1階に誰もいなくなって、電気が消された後、1人でトイレに行くのが怖くて、トイレに行く時は、妹に付いてきてもらってた。もちろん、妹が行く時は、私が付いて行って。

あと、お風呂が広くなって、嬉しかったなあ。
まだ引っ越す前でも、お風呂は完成してて、お風呂だけ入りに行ったりしてた記憶がある。

元々の庭に家を建てて、その後、庭自体は狭くなったけど、祖父の大切な木は植えられたままだったし、芝生も残ってて、十分な広さの庭は残ってた。
そこには、私が産まれた時に植えられた松の木があって、小さな頃は背比べをしてた。何歳の時に自分の背丈を抜かれたのか覚えてないけど、「私の松の木」ってことで、とても大切に思っていた。
そう言えば、最近、実家に帰っても、あの松の木をちゃんと見てなかったなあ。今度、帰ったら、見てみようと思う。

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