「信用」はどうやったらできるのか
突如、社会的信用がなくなるアーティスト
現代アート作家の師匠と出会った当初、「アーティストには個人の信用しかないよ」とよく言われた。
個人?信用?なに?
最初のうちは、全く意味が分からなかった。
しかし、師匠について半年、自分も「現代アート作家」を目指すようになって、嫌というほどその意味が分かった。
「アーティストです」と名乗ると、「ん?」と首をかしげられたり、しらーっとした目で見られる。
確かに、私も師匠に会うまで、アーティストが何をしている人なのか分からなかった。
まして、私は美大芸大を卒業したわけではない。
師匠の「あなた、アーティストでしょ」の一言に、「はい、そうです」の二つ返事で唐突に始まった私のアーティスト人生。
そんな私が「アートやってます」と言っても、人様が「ん?」と首をかしげるのも無理はない。
今なら「不思議に思うのも当然だよね-」と言えるが、当時、初めて人にいぶかしげな表情をされたときは、びっくりしてしまった。
と同時に、今まであたり前に享受していた「社会的信用」、多くの人があたり前に持っているものが、
自分には一切なくなっているという事実を思い知った。
どこの大学を卒業しているか、
どんな会社に勤めているか、
どんな仕事に就いているか…
私にはこれらの信用がなんにもなかった。
そもそも「社会的信用」って何だろう?
それでも師匠はアート活動を35年続けてきた。
「いろんな人に助けられてきた」と師匠は語るが、人に支援してもらうなんて、よほど信用がなければできない。
私もアート活動を一生続けていきたいから、師匠と同じように「信用」を積み上げていく必要がある。
でも、そもそも、アーティストの信用って何だろう?
まず、世の中で多くの人が享受している「社会的信用」について、ちょっと考えてみた。
そもそも、「社会的信用」を測るものさしって何だろう?
ぱっと思いつくのは、所属している組織や会社。
例えば、会社に就いている場合、「あの、大手企業○○会社でお勤めなんて、すごいわね」と褒められることがある。
学生だったら、「かの有名な○○大学に行かれているなんて、頭いいのね」と言われたり。
自分が所属している「組織」にすでに信用があれば、自分自身も評価してもらえる。
他には、職業や資格。
例えば、医師や弁護士といった、国家資格をもっている職業。
「医師です」「弁護士です」と言って、世間の人からいぶかしげな表情をされることはあまりないだろう。
この場合は、「まあ、お医者様なの、すごいわね」といった具合に、職業そのものに信用があれば評価してもらいやすくなる。
他にも、公務員、教授や研究者、社会福祉士、といった、社会的な信用がすでにある職業はたくさんある。
また、職業ではなくても、代表取締といった責任の大きい役職も自然と信用してもらいやすいかもしれない。
アーティストの信用とは?
それに比べて、アーティストはどうか?
アーティスト、とくに現代アート作家は、何かの組織に所属しているわけではない。
もちろん、ギャラリーに所属しているアーティストもいるが、
師匠いわく、ギャラリーに所属しているからといって、アーティストの信用が上がるわけではないらしい。
結局、ギャラリーに所属しているからといって、作品が売れていなければ意味がない。
では、「資格」は?というと、現代アート作家には必要ない。
ただ、唯一言えるとしたら、美大芸大を出ているか、ということだろう。
実は、正規の芸術教育を受けているかいないかで、ジャンルが分かれる。
正規の美術教育を受けていない人が独学で作った作品を「アウトサイダー・アート」、
一方で、美術教育を受けているとされた人は「インサイダー」という言われ方をする。
しかし、いまや現代アート作家も多様化して、アウトサイダーとインサイダーの境界は曖昧になってきている。
そう考えると、美大芸大卒という肩書きも「信用」には直結しずらくなってるかもしれない。
また、職業としてはどうかというと、残念ながら、いまだに日本では「現代アート作家」という職業そのものには信用がない。
プロと趣味が混同されている。
海外では「アーティスト」は職業として認められている上に、アーティストという職業そのものが尊敬されているみたいだが、日本にはまだその意識はないと師匠はおっしゃっている。
ということは、アーティストは、組織にも、資格にも、職業そのものの信用ですら頼れない。
では、アーティストの信用として測れるものは何か?というと、
賞、展覧会の開催数、作品の販売数。
つまり、実績しかない。
実績は、自分以外の組織や世間が保証してくれるものではない。
基本的には自力で作っていくしかないものだ。
組織、資格、職業といった、"よそ様"がつくりあげてくれた信用を拝借することはできない。
だからこそ、師匠は「アーティストは個人の信用しかない」と言うのだろう。
「信用」ってどうやってできるの?
だから、師匠について2年、「信用」について自分なりに考えてきた。
アーティストになった途端、ありがたいことに、いろんな人に出会うようになり、勉強させて頂いた。
そのなかで、信用される人と、されない人、
色々いらっしゃる。
この違いって何なのかな…
最近、特に考える。
師匠は「信用は"有言実行"による」という。
「有言実行」とは、「言ったことを実行する」ということ。
「やる」と言ったことは、責任もって「やる」。
思ったような結果がでなかったときは、すべて「自分の責任」だと考えて、認めること。
そして、次に繋げること。
"有言実行"の3ステップ
この話には色んな要素が絡んでくるが、私なりの解釈で、ひとまず「有言実行」を三つのステップに分けて考えてみた。
1考える
2口に出す
3実行
1考える
何事も考えがなければ実行することはない。ということで、最初のステップは「考える」こと。ここからスタートする。
2口に出す
次は、考えていることを「口に出す」。
「○○やりたい」でも「○○やります」でもいい。
口に出せば、少なくとも、目の前で話を聞いてくれている人には自分の考えを示せているということになる。
ここで「有言実行」の「有言」の段階になる。
3実行
そして、「やる」といったことを実際に行動に移す。
ここでようやく「実行」の段階となる。
「実行」することの大切さ
どの段階ももちろん大事だが、人が一番よく見るのは、3番目の「実行」の部分だ。
少なくとも、「1考える」段階のときは、考えている本人にしか分からない状態。
たとえ素晴らしい案を考えても、どれほどやる気があっても、本人の中にしかないことなので、他の人に共有できるものは何もない。
「2口に出す」ステップにおいて、ようやく自分の中にしかなかったことが人に共有できる状態になる。
とはいえ、口頭で言うことは、目の前で話を聞いてくれている人しか分からないので、その場にいない第三者には示すことができない。
「3実行」の段階になれば、話を聞いてくれた相手に加えて、他の人、つまり第三者にも、ようやく示しがつくようになる。
師匠について色んな方を見ていて、「2口に出す」ステップまではやる人が多いが、
その分「3実行」の段階には中々いたらないなと感じている。
もちろん、一生懸命やったけど思うような結果がでなかった、ということもあるだろう。
ただ、失礼ながら、「豪語したわりには、やってなくね…?」みたいな場合が多かった。
「ぼくはマーケティングのプロだから、毎月人を連れてきます」と言って、いざとなったら一人も予約をとれなかったり、
「資金繰りは任せてください、あらゆる手を尽くします」と言って、一円も資金を集められなかったり…
そして、連絡がとれなくなって、姿を消してしまうことがある。
彼らも「実行」したにはしたのかもしれない。でも、諦めずやりきったのか。
そして、思ったような結果がでなかったとき、ドロンと姿をくらまして責任逃れをしてしまっては、次に繋がらない。
師匠だけでなく、世の中の成功者の方も口を揃えて言う。
「行動あるのみ」。
私は最初、なぜこれほどまで「行動する」「実行する」ということが大事なのか分からなかった。
でも、最近になってようやくその意味が分かってきたような気がする。
それは、「実行」は信用そのものに直結するからだ。
三つのステップの中で、「1考える」、「2口に出す」、だけでは信用は生まれない。
唯一、信用ができてくるのは「3実行」の段階からだ。
なぜがというと、「実行」の段階にはいって、ようやく第三者が見て分かるようになるからだ。
制作と「信用」
私は制作において、このことを実感する。
師匠曰く、アーティストとは「想いを形にする」ことが仕事だ。
「形にする」とは、つまり、「第三者が見ても分かるようにする」ということ。
作品制作をさきほどの3ステップに当てはめると、
作品のアイデアが浮かんで、構想を練るときは「1考える」ステップに該当する。
「2口に出す」段階は制作においてはあまりないが、
実際に制作に入っていく段階では「3実行」に当てはめることができる。
「1考える」段階においては、頭の中に明確にイメージができていても、周りからすれば何もやっていないのと変わらない。
制作に入って、ようやく周りから「作品を作っているんだな」ということが分かるようになり、
作品が完成してはじめて、第三者が自分の考えていたことを少しずつ分かっていただけるようになる。
制作はすごく地味な作業だけど、やってみると超大変!
それでも、一つの作品を完成しきると、ようやく自分の頭で思い描いていたことが第三者の目にも明らかとなる。
言うのは簡単、やるのは大変。
だからこそ、「やりきる」「実行する」ということ事態が評価の対象になるのだろう。
目の前の人の、その先
私は最初のほう、師匠に言われて驚いたことがある。
直接関わる人のことを考えたことはあっても、その人の周りの人のことまで考えたことのなかった私にとって、師匠のこの言葉は目から鱗だった。
だから、師匠は何事においても、口に出して終わりはない。
必ず実行して、物的証拠まで用意する。
何か事業をやるときも、必ず口頭で話すだけでなく、きちんと企画書を作る。
師匠が過去にインドで展覧会をやったときは、インド政府が発行する「オフィシャルレター」をもって支援を募ったという。
オフィシャルレターにはインドで師匠が展覧会をするという約束が物的証拠となったものだ。
「物的証拠」は、目の前の人だけでなく、その場にいない第三者にも示すことができる。
企画書もオフィシャルレターも、第三者が確認できるものだ。
仮に、支援してくださるかたが、周りの人に証拠として、企画書やオフィシャルレターを示したとき、それはきちんと効力をもつ。
「実行」は世界線を変える
もちろん、やって上手くいかないということもある。
しかし、やらなかったら、何も起こらない。
作品を作るようになって、「想いを形にすると世界が変わる」と実感するようになった。
作品ができるということは、「自分の頭にしかなかったものが、現実化した」ということ。
もちろん、作品を見てどう感じるかは受け手の自由なので、そこをコントロールすることはできない。
だが、自分の想いが目に見える形になったことで、大なり小なり、絶対に現実世界に波紋を生む。
この感覚は上手く説明ができないが、少なくとも、周囲の人の自分に対する見方は変わっていく。
逆にいえば、きちんと他の人にも見える形にしていかなければ、どれだけ自分が願っていても、現実世界は全く変わらないということだ。
だからこそ、師匠は「実行」すること、「第三者が分かるようにする」ことを重視する。
ひたすらに「有言実行」。
それが信用そのものに直結する。
私もこのことを胸に、自分のアート活動をやりぬいていかなくてはと実感する日々である。
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