茶道は公家文化へのカウンターカルチャーだった?
少し前のNHK番組「英雄たちの選択 ~ 流転!足利義満が愛した秘宝」
で、学習院大学の島尾新教授が面白いことをおっしゃっていました。
戦国時代、大名の間で茶道が盛んになってきます。
とくに茶道具が非常に価値を持つようになり、大名たちはこぞって名品を求めます。物によっては、城1つと交換されるほどの値打ちがあるとされました。
島尾教授は、こうした茶道の隆盛は、公家文化に対抗して起こったのではないかというのです。
・追いつけない公家文化に対抗する
当時、文化といえば公家のもの。
その中心は和歌や漢詩などの教養でした。多くの歌を覚え、その味わいを理解し、あるいは自分で詠む。こうした教養は、文化の中に頭から漬けこまれたような生活を何年もしなければ身につきません。
戦いに明け暮れて成り上がった武士たちがどんなに頑張っても、ぜったいに追いつくことは不可能なのです。
そこで武家の文化となったのが茶道だったというのです。当時の茶道はまだシンプルなもので、一通りの作法を身につけるのは難しくありません。金と力があれば、名品と言われるような道具をそろえることもできます。
文化に浸ってこなかった武士たちでも、良い茶道具を持ち、価値を語ることで、自らを誇ることができたのです。
これこそ、新しい権力者である武士たちのための文化だったのではないか…というのが教授の話でした。
・文化は必ず権威化する
文化には、階層を固定する一面があります。
和歌であれば、どんな和歌が良いかを決めるのは、漬物になるほど和歌を学んできた公家たちでした。武士が和歌を詠んだとしても、公家たちの価値観に合わなければ
「わかってまへんな」
の一言です。
ルールを作る側の権威は、外部からはひっくり返せません。
そうして階層が固定されるのです。
一方で、安定すればするほど、価値観も内輪のものに固まり、外の人が入りにくくなります。するとそこに入れない人たちが、新たな自分たちの文化を立てる流れが起こってきます。
そうして、新しい文化としての茶道が隆盛します。
もっとも、しばらくすると茶道もまた権威化し、階層を固定するようになっていくわけですが。
これはもう、自然な流れなのかもしれません。
文化も生き物のように、生まれ、育ち、衰えていくのだと思います。
・でも公家に憧れていた大名たち
余談になりますが、大名たちも公家の文化を否定しきれたわけでは無かったようです。
大名たちが子供のために作らせた雛人形が、いまもあちこちに残っていますが、その多くが公家の姿をしているのです。
武家の姿ではなく、雅で華麗な公家姿の雛人形を子供に与えたのは、捨てきれなかった憧れではなかったでしょうか。
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