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上から見て、全てがわかった気になっていた話

他人をとか社会を、とかではなく「自分自身」のことなのだが。

20代、私は、自分自身をコントロールできていると考えていた。そして、自分をコントロールし、真摯に、熱心に取り組みさえすれば、身の回りことは、なんでも何とかなると考えていた。20代が終わる頃、そう甘くはないという事が起きても、理性的には理解できても、または、行動して対処をしていながらも、心の奥底では認めたくなかったのだと思う。
無理なことは、無理だ。でも、1つ2つ諦めたところで、それが何だというのだ。私が勝手に想像して「できる」「うまくいく」と期待した事が、単にそうではなかっただけなのだ。けれども、そういった想像や期待はいくら裏切られた場合を想定していたとしても、大きければ大きいほど、リカバリーができなかった。まるで甲子園球児の様な、刹那的で外的要因に大きな影響を受ける、いわばギャンブルの様な事に一生をかけている様な。ギャンブラーであれば毎日・毎週末このジェットコースターだと思うかもしれないが、それは違う。想像は同じであっても、期待は、努力により積み上げた自信が支柱になっているから、期待を外れた場合の喪失はもっと大きなものになる。

30代に入り始めたころ、ぼくはそうした「弱い自分」に向き合う事が正義なのだ、向き合って考えて努力さえすれば、強い自分が手に入るのだ、勝手に強くなっていくのだ、と考えていた。結果、直ぐに沈没した。いままでできていた程度の努力さえもできなくなった。薄っぺらな成果を積み上げ続ける中、擦り減っていくことに気づいた。よくやく気づけた。つまり、この「弱い自分」はそうそう変わるものではないのだ。その結果、自分を変えることに見切りをつけたぼくは、環境を変える事を選択した。2度目の転職活動を本格化させたのだ。この「本格化」の前には、長い時間がかかってしまった。弱いくせに、すこし今より強い自分の作り方をまた考えてしまっていたからだ。強そうなスタートアップに行けば、とか、もっと高い給与やレイヤーの、とか。しかし、ようやく弱い自分でもいいじゃないか、と思い始めた頃、弱い自分でもできること、できれば、弱い自分が最大化できること、を求めるようになった。
本格化しようと決めた後は実際に動いてみることだ。そんな折、2つの出会いと3つの気づきを得た。7/31から8/1にかけてのことだ。1つ目の出合いは、一度電話で話しただけで、もう二度と話すことも無いであろう60歳の男性だ。ただ、日程調整をしてくれただけの方だ。2つ目の出合いは、動画の中で説明している86歳の男性だ。奇しくもちょうど、父・祖父世代の男性であった。この点には書きながら勝手にロマンティックさを感じている。
3つの気づきとは、至極当然と言えば当然なことなのだが、
1.自分の心の奥底にある欲求を無視してはいけない。理性的な振る舞いを自分自信にしてはいけないし、他人から向けられた感情もすべて遮断するのではなく、都合よく適切に受け取ればいい。
2.弱い自分はそのままでよい。でも、自分の成長や努力をあきらめてはいけない。
3.失敗を成功に変える必要もない。報われない努力もある。けれども、ぼくは恵まれていること、結果的な成功や幸福を信じなければならない。

抽象度が高い書き方になっているが、これは、14歳・17歳・28歳・31歳の僕が直面し、未だに解決できなかった問題の解決方法なのだ。
そして今、「青年のぼく」の総決算が始まったのだ、これまで成しえなかった、蓋をしてきたぼくの問題を分析し直し、課題として解決するのだ。まぁ、書き言葉としてかっこつけると、この様に感じた。そして、改めて文字に起こしてみると、今までたくさん、同じようなメッセージを別々の人や動画が、本などから受け取っていたという事にも気づいた。しかし、ようやく今になって、その真意について解釈ができた気がした。

ぼくはこれから中年になっていくに際し、精神的にも中年として成熟するためのプロセスとして、「青年のぼく」が抱えていた諸問題を解決するための解を準備する。そう考えると、少しワクワクした。なんだか、好き勝手出来そうな気分だ。もちろん、今は手放しに喜べるわけではないのだが、もしまがいなりにもこの解が見つかれば、ぼくは「弱い自分」から「しなやかな自分」になれる気がしている。

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