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『うみべの女の子』


 『うみべの女の子』という映画を見た。
 始まってすぐは「あー、このパターンね。あんまり好きじゃないかも。」と思っていたが、中盤30分くらいで「え、良いかもしれない!」ってなって、終わってから「は?好き」となった。

 田舎故の性行為への認識の低さがすごく鮮明で、懐かしくなった。嫌なことも全部思い出した。きっと誰にとっても懐かしいと思う。自分がそうだった人もいるし、周りがそうだった人もいるかもしれない。
 エモいっていう陳腐な言葉で表してはいけない“人としての青さ”だとか“幼稚さ”のせいで、本当は負わなくていいような傷を負ってしまう。
 無垢なフリした人間が、1番人を傷つける。可哀想なふりをしてる可哀想な自分が好きで自分勝手なだけだから。人の好意を私利私欲のために利用する。

 この作品は、中学生の男女2人をメインに描いた作品だ。正直、全員前情報を入れずに観て欲しいからあえて詳細は書かないし、この後を読む前に一旦観てきて欲しいし、映画を観てくれたら続きは読んでもらわなくても良いとすら思うほどに、良かった。

 ここまで言って観ない人はきっともう観ないだろうし、残りは観た人が続きを読んでいると信じて書き進めるが、あらすじ等は割愛させていただくし、あらすじを書いたところで「え?なんで?いつから?」とか疑問が増えるだけだろうから。

 メインの2人のうちの女の子の方が小梅、男の子の方は磯辺という。まぁ、この2人は所謂セフレというやつだ。私が最終的に心惹かれたのは磯辺の方だ。終盤になるにつれて彼の魅力は爆発していった。もしかしたら最初から彼はこうだったのかもしれないし、小梅との関係の末こうなってしまったのかもしれないと思うと、すごく興味が湧いた。なにを憎んでいるかとか、誰を好きなのかとか、その憎さや好意をどうな風に発現させるのか。どれもキャラクターに合っていて、ものすごく筋が通っていた。何より、小梅への対応が終盤になるにつれてどんどん変わっていく。その理由に気付いた時、ゾッとしたと同時に胸が締め付けられた。

 この作品において、キスというものは大きな役割を持つ。小梅はいつもキスを頑なに拒む。対して、おそらく普通の中学生ではない2人と対比して描かれている小梅の親友“桂子”と小梅の幼馴染“鹿島”は付き合ってすぐにキスを済ました。この描写から、小梅がキスになにかしらの意味を見出していることがわかる。それは、この作品唯一の小梅のキスシーンが描かれる終盤で明かされた。小梅は高校に入ってからできた彼氏の“大津くん”に「じゃあさ、ずっと好きでいるって約束してくれる?」と問うと、返事を聞かずに大津くんにキスをする。小梅にとってキスは永遠の愛を誓う契約の一種なのである。

 この様に映画には、“小梅と磯辺”が幸せになれないような沢山の伏線が張ってあった。きっともう2人が肩を並べて海辺を歩くことも、小梅は磯辺が最後についた嘘の意味を知ることもない。でも、小梅は幸せに生きている。
 みんな最初に好きになった人のことなんか忘れたフリして、さも初めてみたいな顔をして、幸せに生活を続けてる。でも、みんな少しずつまだ諦められてないし、引きずってる。大津くんが言った小梅の好きなところは、磯辺の部屋にあったような古いバンドや漫画をたくさん知っているところだった。”大津くん”が好きになったのは“磯辺を好きだったという過去を持つ小梅”。“桂子”が付き合ったのも“まだ少しだけ小梅のことが好きなままの鹿島”。
 ラストのシーンで、鹿嶋はきっとまだ磯辺を忘れられてない小梅に気付いた。だから、無理に忘れようと焦らなくて良いなんて言葉をかけたんだと思う。”鹿島”は“磯辺のことを好きな小梅”のことも好きだったから。

 なんて、柄にもない感想になっちゃったな。私自身、好きかわからないなんてのすらわからなかったから、好きがわかるようになった今やっと理解できるようになった話なのかなとか思いながら観た映画でした。


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