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出来の悪い私は。

 私は出来が悪い。成績も良くないし、運動もできない。神様はどちらかは与えてくれるものだと聞いているのだが…。まぁ、無宗教の私にはどちらも与えられていなくて当然だと言えるだろう。他のことと比べれば得意なことも、せいぜい人並み。テレビ、映画、ラジオ、小説、メディアというメディアから狂ったように得てきたどうでもいい雑学ばかりを詰め込んだこの頭は、人との会話の間埋めでしかその役割を発揮しない。余計なことを知っているばっかりに気まずい空気を作ってしまうことだってあるから、間埋めとしてもむしろマイナスかもしれない。このように特にこれといった取り柄も特徴もない私は、何もないことがずっとコンプレックスである。すっからかんの中身を隠すのに必死で、何も入ってない頭に無理やり雑学を詰め込んだ。いつだって可もなく不可もない。
 ほら、今だってこんなに中身のない文章を恥ずかしげもなく打ち込んでいっている。私はまるまんまこの文章のような人間だ。面白くない。どこにも需要のない、誰にも影響を与えることのない人間である。
 こんな出来の悪い私にも、少しだけ輝く時がある。少しだけ出来の良い人のフリをすることができる場面がある。

 淡々とこなすだけの作業だ。事務作業は割と好きだ。中学時代も高校時代も生徒会で書類作りだけをひたすらやってきたから、苦手ではない。副会長は、自分の仕事はもちろん、残りのメンバーの仕事で溢れたものを拾ってこなす人である。しかし、私がこぼした仕事を拾ってくれるような人はいないから、業務の幅と量が増えてしまうということには誰も気づいてくれない。
 バイトは先生としての仕事がメインではあるが、割と事務作業も多い。というか、うちのバイトの中の事務作業は私に回される。それぞれの担当が一応あるのだが、全部の仕事が完全に割り振られているわけではない。さらに、その全仕事内容を把握しているのはおそらく私ともう辞めた4年の先輩だけだった。今は、私がやるしかない。誰かに頼む方がめんどくさいし。多分、書類の場所もみんなきっと知らない。私が終わらせた方がはやい。

多分、私は人に教えることを放棄してる。
やっぱり、私は誰にも期待してない。

 誰もが同じように才能を持って生まれてくるわけじゃない。持たざる者として生まれてきた私は、名前すら持たないような仕事を少しずつ少しずつこなしていくとこしかできない。

 私は、同期の女の子みたいに生徒と上手く向き合えないし、ふたつ上の先輩みたいにパソコンが特別使えるわけでもない。ひとつ上の先輩みたいに自由にやって愛嬌で誤魔化せるわけでもなければ、興味のあることにとりあえずで足を突っ込めるような度胸があるわけでもない。
 この程度のことしかできない私が全部引き受けて然るべきだ。
 私にあるのは、“褒められたい”っていう承認欲求だけ。「黙ってやる」という座右の銘に込めた想いは、“縁の下の力持ち”なんて褒められたものじゃなくて、先回りして作っておいた資料を見て「これ誰が作ってくれたの?」「あ、それ私です。」って言って感謝されたいがための私利私欲の詰まった薄汚くて安い自己顕示欲だ。まぁ、聞かれることもなく当然のように使われるのがほとんどだが本来そういうものだ。まぁ、数打ちゃ当たる。めげずに作り続けるしかないのだ。
 こうでもしないと、私は“出来の良い人”のフリができないから。

 今日も別に褒められなかったな。今日はバイト私しかいなかったし、そらそうなんだけど。
 あれ、私って今あの頃大嫌いだった自分勝手な高校時代の生徒会長みたいなことしちゃってるのかな。良いことしてるつもりになっていい気になってるだけなのかな。時間差の特大ブーメランじゃん。じゃあ、褒められないわ。当たり前じゃん。

 このままだと頑張れば頑張るほど嫌われちゃうのか。それでも、私には頑張るしかないから。


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