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南アフリカのコロナウィルス ロックダウンまでの道のり

誰も興味がないだろう南アフリカでの大学受験の話の途中だったが、今日27日からロックダウンがはじまったので、南アフリカにて(新型)コロナウィルス関連で起こったことを時系列を追って書いていこうと思う。あくまでも僕が見えている部分だけしか把握できておらず、田舎や元黒人居住区がどうなっているのかは正直わからない。海外のニュースなどもちょこちょこ読むようにしているが、他の国に比べてどうなのかよくわかっていない。日本と比べることすらもできないくらいしか知識がないので、自分の周りはこんな感じだったということを書いていく。ひたすらに長い、そして特にオチもなければ、何の示唆もしていない。単なる状況報告というか僕の日記である。

2月上旬 コロナウィルスに関する話題が増加

南アフリカ人との雑談の中でもコロナウィルスの話題がでるようになってくる。僕の両親が医療従事者という話をしてしまったせいで、会うたびに両親のコロナウィルスに対する見解を教えてくれという話をしてくる人がいて面倒になってくる。両親は医療従事者であるものの、彼らが手を洗っているところを見たことがないくらい衛生ついて鈍感な家庭だったので、聞いても無駄だと思って何も聞いていない。
また、日本人から街で視線が気になるという話を聞いたのもこの時期。首都プレトリアの病院にて、日本人が現地人にコロナがうつるから離れさせてくれと病院職員に訴えるという事象が発生したらしい。日本人はそのような嫌な思いをこれからするだろうなと思い始める。ただ、まだ南アフリカ国内どころかアフリカ大陸では感染事例がないため、牧歌的な感じ。このままコロナウィルスが入らずのままでいて欲しいと切に思う。

2/14(金) アフリカ大陸ではじめて感染者確認

エジプトにてアフリカ大陸ではじめて感染者が確認されたニュースが報道される。一番はじめにくるのはそれはエジプトだよね。とまだ遠くで起こっていることのように感じている。この週末に韓国人の看護婦と会ったが、「日本どーしたよー」と笑われる。当時、日本がダイヤモンドプリンセスの問題でわたわたしている一方で、韓国は抑え込めているという雰囲気が出ていたため、流石SARSを経験しただけあるみたいな話を笑いながら話をした。ちなみに、この翌週に彼女は韓国に帰国し病院に職場復帰した。韓国で爆発的に感染者が増えた段階で一度連絡が来て、あの時日本を悪く言ってごめん的なことを言われて少しやり取りをしたが、その後彼女とは連絡が途絶えていてどうなっているのか心配。

2/28(金) サブサハラにてはじめて感染確認

ナイジェリアにて感染が確認。いよいよ近づいてきた感じがある。僕は大学に通っており、他の日本人に比べ現地の方々と接する機会が多いのでそろそろ何か嫌な思いをするのではないかと思っていたが、特にそんなこともない。皆が勉強に必死になっているせいもあるが、雑談の中でもコロナについて出てくることはなく、まだ遠いところで起こっていることのようにも感じる。ちなみに、何か言われたら「僕は去年の11月から日本に行ってない」を連呼しようと思っていた。

3/5(木) 南アフリカ初めの感染者確認

いつ来るか、いつ来るかという皆が思っていたが、イタリアに団体旅行で行った男性が感染していると発覚。地域感染ではなく、ヨーロッパ旅行により感染したということでまだ気をつけようねというくらいの雰囲気。
この頃、中国、韓国からのモノがうまく輸入されなくなりはじめており、僕の住む街、プレトリアの韓国系グロッサリーからは米が消えたという話が話題になっていた。我が家も米がなくなりそうで不安になったため、この日に隣町のヨハネスブルグの韓国食材屋まで米を探しに行った。ちょうど入荷したばかりのタイミングだったらしく、運よく購入できた。店主から入荷のタイミングが見えないし、値上げるしかないみたいな話をきいた。2人暮らしの我が家には多すぎるが25kgのオーストラリア産の米を購入。買えずに困る近隣住民も現れるだろうと予想し、いざとなった時に渡すことができるように多めに購入した。こういった行為もも買占めにあたるのかもしれない。自分勝手きわまりないと思いつつ、やっぱり自分はかわいい。

3/13(金)初の未成年感染者を確認(国内感染者 24人)

ケープタウンにてはじめての未成年の感染を確認。と同時に僕が通う大学にて感染の疑いがある学生が発生。医学部の学生だったので自分が通うキャンパスとは異なる場所だったが、国内の大学ではじめて学生に疑惑者が出て同級生の中でも落ち着かない雰囲気が出てくる。この2日前は「だれかコロナウィルス持っている人はいない?その人は帰っていいから。」という教授の発言に対して学生がゲラゲラ笑うような余裕がある雰囲気だったが、事態は急速に変わってきている。大学内で陽性の学生が出た段階で、全校が休講になる可能性があることを教授より言われる。ちなみにこの翌週はテスト週間で皆がややピリピリしはじめており、テストあるのか?休講になるのか?休講になったらオンライのアサイメントになるという噂も飛び交う。浮ついた感じになっている。3.11の時の何か手につかない落ち着きのない感じを思い出す。

3/14(土)武漢に滞在していた南アフリカ人がチャーター機にて帰国(国内感染者 38人)

武漢から帰ってこれなくなっていた南アフリカ人を政府チャーター機で帰国。リンポポ州の空港に着陸したのだが、このリンポポ州というのがとてもかわいそうな州で、昨年のラグビーワールドカップの優勝パレードが唯一来なかった州らしい。優勝パレードは来なかったのに、コロナウィルスは来るのかよ!と住民は怒っているとの噂。
一方、僕が住むエリアは至って普通の土曜日で、スーパーに行ったついでにそろそろ買占めがはじまるのではないかとトイレットペーパーを購入する。まだまだ通常通りに商品は並んでいる。大量のトイレットペーパーを駐車場に運ぶまでの間に現地の方にそんなに買うのか?と笑われた。まだまだ余裕を感じるが、南アフリカ人は流行や噂などに日本人以上に弱いので、きっと買占めがはじまるんだろうなと予想する。

3/15(日)初の地域感染者を確認、そして国家的災害事態を宣言(国内感染者 51人)

これまではすべて海外渡航経由での感染とされていたが、ついに海外渡航経験のない感染者が確認される。そして、WHOがパンデミック宣言したことを受けて、大統領が国家的災害事態を宣言。高リスク国からの外国人の入国規制を開始。高リスク国にはイタリア、イラン、アメリカ、韓国、中国などが入っているが、日本は入っておらずで、意外な印象を受ける。政府の書き忘れという可能性も多分にあるため、急に追加されることも想定される。公共交通機関を利用するのをなるべく避けることが言い渡される。そして、学校は3/18からイースター休暇明けの4/13まで休校となる。学校ってどこまで指すんだろうか。大学は学校なのだろうかなどと思っていたが、このタイミングで僕が通う大学の学生が感染していることが発覚し、月曜日からテストも含めた授業の休講が決まる。月曜日に研究室のミーティングにはじめて参加する予定だったのだが、オンラインで行われることが決まる。実際に会って話ができないことを残念に思う。

3/18 (火)官報発行(国内感染者数 116人)

国家的災害事態宣言を受けての官報が発行され具体的な規制の内容が明らかになる。酒類が販売及び消費される店舗における50人以上の集会が禁止される。どんなに大きな店舗でも50人以上を収容することが禁じられる。さらにそれらの店舗は平日18時まで土日が13時までしか酒類を提供してはいけないらしい。それ以降の時間で、食事の提供をしても特に問題はない。なぜ、アルコールに対して規制が入ったのかはよくわからない。アルコール摂取により免疫力が弱まるみたいな話を受けてなのか、アルコール摂取量が世界5位らしいのでどさくさに紛れて規制しようとしたのかは謎である。結果として多くの飲食店が18時で閉まるようになってしまった。酒が出せないことによる客数の減少と従業員への給与とのバランスを考えての話なのか、ただ単に金儲けに貪欲ではないだけなのか理由は定かではないが、とにかく多くの飲食店が夕方には閉まるという事態になった。ただでさえ混雑している飲食店が少ないので、多くが潰れてしまうのではないかと心配になる。そんなことが起こるとただでさえ高いジニ係数がさらに高まる。それに伴い犯罪も増える。まるでいいことはなさそうだ。
ちなみに、この日の夕方、担当の教授から大学のマネージメント会議にかけるためのコロナウィルス関連の数字のまとめを手伝ってくれと連絡が来る。学生寮が閉鎖されることを受けて、実家に戻ってインターネット回線が携帯のみになっている人も結構いるらしく人手が欲しいとのこと。と言うことで環境が整っている僕に白羽の矢がたった模様。せめて自分ができることをやりたいと快く返事をし、初速を早めてしまったため要求レベルが日に日にあがってきてしんどい。休講の間に勉強の遅れを取り戻そうと思っていたが、それどころではなくなってしまった。作業量も相まって緊急事態だなぁと勝手に感じていたが、ただいいようにこき使われて忙しくわたわたしていただけな気もしている。どの国にいってもいいように使われるのは自分の定めなんだなと思って受け止めることにする。

3/23 (月)政府がロックダウンを発表(国内感染者数 240人)

他の国の状況を見ていてロックダウンがいつか来るんだろうなと予想していたが、感染者240人死者0人の段階で早くも来た。この後感染者が増えていくことは確実であるので、政府の英断だったと個人的には思った。3/26深夜から4/16深夜まで外出禁止。スーパーや薬局、ガソリンスタンドは開くということなので、買い出しはできるらしいとほっとするが、それ以上の情報がない。犬の散歩やジョギングは大丈夫なのか?など不明なところは多い。そもそも3/26深夜というのは3/26になった瞬間なのか3/27になる瞬間なのかその時点ではよくわからなかった。
なお、この日の午前中に知り合いの南アフリカ人宅に行ったのだが、その向かいに住む日本人が前日に帰国したことを知らされる。3/24に帰国予定だったが代理店から3/24は飛行機が飛ばない可能性が高いという連絡が来て、慌てて帰国したとのことだった。洗濯や掃除などがお終わらないままだったので、同じコンプレックスに住む他の住民が出発後に手分けしてやったらしい。日本食材を食べる人がいないとのことで、彼らが置いていったイカ、餃子の皮などをもらって帰ってきた。家族の出発風景を撮った映像を見せてもらったのだが、それを見たら急激に日本が恋しくなった。いざとなったらいつでも日本に帰国できると思っていたのだが、そうもいかない状況になっているというのを実感し、泣きそうになった。女性にフラれた後の気分に似た感情である。フラれた後は、何か手を動かしてそのことを考えないようにするということで、教授から飛んでくる球を必死に打ち返す。

3/24(火)ロックダウン発表の翌日(国内感染者数 554人)

徐々にロックダウンの具体的な内容が見えてくる。3/27 0:00からロックダウンは開始。警察の支援のために軍も動き、街を巡回するらしい。店舗の強盗などが起こるのではないかと思っていたが、巡回があれば大丈夫だろう。外出は買い物以外は許されていないようだ。カリフォルニアでは公共交通機関が動いているというし、イギリスでもフランスでも家の周囲をジョギングすることは許されているということなので、それらよりも厳しいのではないかと思ったりする。普段外にあまり出ない生活をしている癖に突然外に出たくなってくる。
コロナウィルスを理由にした詐欺もはじまっているらしい。コロナ関連で証明書が必要になっており、その証明書はATMで発行されると言われ、ATMに連れていかれ、カード情報を盗み取るらしい。それ騙される?と思うのだが、テンパった時は冷静な判断ができなくなるのだろう。
風の噂に聞いたのだが、まだケープタウンには日本人旅行者が結構残っているらしい。自分も学生時代に海外をふらふらしていたことがあったが、現地のニュースなんて全然見てなかったので、ロックダウンのことも知らない人が多いのではなかろうか。ある日突然、宿から出られなくなるとか本当に恐怖である。海外に行く際にはみんな、外務省のたびレジに登録しよう。
ちなみに、前日スーパーに行った妻から商品がないという話を聞き、不安になり買い出しに行く。米はあるので、あと欲しいものは肉。と思い立ち、近所で一番うまい肉を売る店に行く。店内は5名以上入れないような処置が取られており、緊急事態感あり。とはいえ、ショーケースの中にまだモノは豊富で約5kgの肉を購入する。3週間家に籠ることを想定。小分けにして冷凍して3週間くらいかけて消費していこうと思う。その後、数件のスーパーも寄ったが、行列にはなっていないものの、トイレットペーパーなどの日用品とパスタ、イモなどの保存が効く食料が軒並み売り切れていた。一応、スーパーは開くとなっているが、ロックダウン中の買い物はどんな感じになるのかまだ想像できていない。

3/25(水)ロックダウンの具体的な内容が各省庁から発表(国内感染者数 709人)

ロックダウン中の公共交通機関の運行・利用制限、国内線国際線の運航休止などが発表される。公共交通機関は一部運行されるが許可証を持った特定のサービス労働者(警備やスーパーの従業員など)しか使うことが許されない。ウーバーやタクシーについても同様とのこと。本当に一般人は買い物以外本当に外にでることを厳しく禁じる意志をかなり感じる。国内国外問わず運航便数は減ってきていたが、ロックダウン中は旅客機の運航便がなくなるわかり、自分と日本の関係が切れたかのような気分になる。次の帰国の予定もたっていない状態なのになぜかとても悲しくなる。なぁなぁな関係を長く続けていた女性と別れた感覚にとても近い。日本が好きとかあまり思ったことはなかったが、やっぱり好きだったよ日本。今、とてつもなく帰りたい。そんな時は手を動かすのが一番。タイミングよくかわるくか外出できないくらいに作業が詰まっており、それらを必死にこなすだけで一日が終わってしまい、外の様子はまるで見られなかった。

3/26(木)ロックダウンまで24時間(国内感染者 927人)

気づけばロックダウンの前日。指の骨折のリハビリとインフルエンザの注射のために外出。ついでにスーパーで洗剤などの日用品を買い足した。普通に営業しているスーパーもあったが、入店人数を制限をしている店もあった。入場制限をしている店はいたって快適。いつもよりもレジで並ばなくてすむし、これはこれでいいのではないかと思った。商品自体は少なくなっているものの、トイレットペーパー以外で手に入れるのが難しそうなものはない。トイレットペーパーも数店舗回ればどこかに置いてあるし、買い物パニックみたいなことは起こってなさそう。この先どうなるかわからないが、商品物流は動くと聞いているので、3週間くらいであれば持ちこたえられるのではなかろうかと少し安心する。なお、どんな店でも入店時にアルコールを手に強制的にふりかけられる。アルコールで肌が荒れる人はたまったものではないだろう。家への帰宅の際に、この景色も3週間見納めかと思うととてもきれいに見えてくる。引っ越し前日に住んだ街をふらつくのに似た気分を味わう。とてもセンチメンタル。

そんなこんなで帰宅して作業をしていたら日をまたいでしまいロックダウン開始。今日から生活がどんな感じになるんだろうか。まるで想像がついていない。実際にロックダウンがどうだったのか書いてみたいと今は思っているが、何の変わり映えもしないすごくつまらない日々がただただ過ぎていくだけな気もしている。

画像はロックダウン前日にスーパーに並ぶ人。皆やたらと電話しているが、これは非常事態というわけではなく、日常的に皆いつも電話している。何をそんなに話すことがあるのか不明。


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