#32「何もしないをする」という事
社会人2年目ぐらいのちょうど仕事も忙しくなってきた時、吉祥寺のシリア人から衝動的に水たばこ(シーシャ)を買い、ほぼ同時期にコーヒーミルを買った。
水たばこの葉っぱを揉む
揉んだ葉っぱを皿にのっける
葉っぱがのった皿を銀紙で覆う
銀紙に爪楊枝で無数の小さな穴をあける
炭で火をおこす
銀紙の上にのっける
水たばこをふかす
コーヒーミルで豆を挽く
水たばこをふかす
コーヒーにお湯をを注ぐ
水たばこをふかす
コーヒーをカップに注ぐ
水たばこをふかす
コーヒーを飲む
空虚な時間の埋め合わせという、とてつもなく不要不急なその役目を終えた水たばこの葉っぱが銀紙の上で燃え尽き、冷めたコーヒーをカップに注ぐ頃には小一時間が過ぎている。
「あぁ、何もしてないわぁ。」
「do nothing」を実感した瞬間。
「(I) do nothing」
日本語でいうところの「何もしない」を意味する。
ただ、日本語の「何もしない」を正しく英語で表すとなると、
「(I) don't do anything」になるが、口語ではあまり使わない。
同じ意味であっても、否定を表す「not」を使わない「do nothing」という言い回しに、ふとある時、たいそう感銘を受けた記憶がある。
do = する
nothing = 何もない
do nothing = 何もないことをする ≒ 何もしないをする
「何もしない」ではなく「何もしないをする」
すごくポジティブだし、能動的な響きになる。
あたかも庵で過ごす鴨長明のようでもある。
実はオランダに「do nothing」を一言で表す「niksen」という言葉があることを最近、いや、随分前に知った。
「niksen」は休暇の過ごし方のひとつを表す言葉としても機能しているらしい。
家以外のどこかにしばらく滞在し、観光をするでもなく、ただ非日常な場所で日常を送る、それが「niksen」だと。
素敵だ。
「niksen」の一言で、「do nothing」以上の意味をもたらし、ひとつのライフスタイルにしているあたりが、とてもにくい。
にくいぜオランダ。
時間が空いたり、隙間時間があると往々にして何か予定を入れたり、タスクをこなしたり、結果的にぱつぱつになってしまう。
そんな時は能動的に一生懸命に 且つ エレガントに「何もしない」をする。
タモリは云う「真面目にやれ、真面目に!仕事じゃないんだ、遊びだぞ!」と。
休日の過ごし方もそうだし、旅先でもそう。
ある種の哲学であり概念。
予定を詰めこまずに積極的に余白をつくる。
「何もしないをする」が出来るという事は、とにかく贅沢な事なんだ。
そしてこの記事の投稿を以って、今日も一つのタスクをこなした。
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