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初投稿 自己紹介

初めまして

noteを読むのが好きで私も言葉を綴ってみたいと思い、投稿してみることにしました。

自己紹介をします

名前:儚花 (由来:透明感がある儚い女性に憧れて。花は本名から)

年齢:21歳

性別:女性

職業:大学生 (看護学部休学中、2021年10月から復学予定)

休学するまで(普通に過ごしてきた私が普通に過ごせなくなるまで)の経緯:実家から新幹線で3時間程離れた大学での一人暮らし、ブラックバイト(テスト期間中もシフト入れられる、深夜2時まである)、恋愛、人間関係、好きな芸能人の自殺により精神的ダメージを受け、悪夢を見るようになり、食生活も荒れ、朝が起きれなくなり登校できない日が増え、、徐々にできないことが増え最終的には全てが狂ってしまった。大学の学生相談ができるところに行き泣きながら「もう辛い」と訴え、心療内科を探してもらうもすぐには予約が取れず、数ヶ月先だと言われ、それまでにどうにかなってしまいそうだった私は絶望的な気分になった。健康のために集めていたサプリを大量服薬するようになり、次に市販の睡眠サポートの薬を、そして風邪薬にも手を出した。初めて風邪薬1瓶とお酒を大量に飲んだ時は、止まらない吐き気と嘔吐、頭痛、不安に襲われた。朝方限界になり自分で救急要請をした。その日は即日帰宅できた。2日後、次こそ死んでしまおうと、更に多い市販風邪薬とストゼロを飲んでいたら母がたまたま地元から私のアパートまで来てインターフォンを鳴らした。深夜0時頃だった。すぐに母が救急車を呼び、搬送先で私は意識を失い人工呼吸器等を繋がれ管だらけになり目が覚めた。生きてた、、不思議な感覚だった。車椅子でトイレの往復、嘔吐下痢発熱、、鼻のチューブの違和感、、天国を望んだはずが待っていたのは地獄だった。身体症状が落ち着いてから精神科に医療保護入院として転棟。そこでは同じ理由で入院していた友達もできた。年の差はあるけど、今でも仲良くしている。

退院してからも私は自殺未遂を繰り返した。全部失敗したから今も死にたいと言いながら生きている。
自殺未遂といってもodか除光液やマジックリンなどの異物を飲む以外のことはしなかった。リストカットも痛みや血が怖くてやってみようと思えなかった。他の方法に手を出せなかった私は本気で死ぬ勇気なんてなかったのかもしれない。

その後、救命入院と精神科入院の繰り返しで登校日数が足りなくなり大学休学が決定した。
休学直前の私は、文字も読めず課題もままならなかったし、授業中は眠気に襲われるし集中できず全く内容が入ってこない、更に教室から発狂して飛び出したいぐらいだった。
精神科外来でもずっと入院を勧められていたけど、留年するのが怖かった。休学は普通のレールからずれてしまうことのように感じていたし、友達と学年がずれることも留年という履歴が残ってしまうことも、、何もかも不安でなかなか入院の選択はできなかった。
最終的には入院希望して先生に入院予約を取ってもらったものの、その自分が受け入れられず入院予定日が来る前にodして救急で入院、そのまま長期予定で精神科入院になった。正直限界だったから、もっと頑張れたんじゃないかという後悔はない。いや、その前に地元の大学にしていれば、一人暮らししてなかったら、自営業のバイトしなければ、、色々タラレバの後悔はある。


今回はここまでにしようと思います
次回は休学中の精神科入院での生活について書きたいと思います
最後まで読んでくださった方ありがとうございました🌙




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