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多くの反省は恐ろしく無駄な行為

皆さん、タイトル読んでから石を投げないでください。そう、いまから説得しますから。

もし貴方の身近に困ったちゃんがいたら「本気の本気でやってられない、反省をしたふりしやがって」とか色々あると思いますが、

これね、経験と心理学でわかるんです。ズバリ、反省するから直らないんです。

反省するとダメになる

私の観察では、他人を反省させると多くの場合、相手を消極的か積極的にか心のなかで怒りを反発させて行動するためのエネルギーを消耗させる。もしくは戦略的に動かない事勿れの状態に固めることになります。後者の反応の方が、エネルギーを温存してくれているだけマシですね。

じゃあ、反省したらどうなるかですが、あなたが反省することによって環境が壊れます。このことは、あまり言われないかも知れませんが、まあ一つの考えとしてどうぞ。

反省は多くの人がしたくない。それは自分を貶める行為だからなんです。しかも、クーエの法則に乗っ取り、失敗のイメージが強化されてしまうというお墨付きです。

競争社会であって、自分を貶めるとせっかく普通状態だった人たちのケモノの本能を刺激して、その人たちが異様な側面を見せてくるようになる。

周囲の人が無意識のうちに、「落ち込んでいる人間を攻撃したい欲求」「あいつはできないが俺は仕事ができると思いたい欲求」「俺より下がいるんだと安心したい欲求」欲求に飲まれてあなたへの態度が変わる。

これは認知の歪みとはちがう解釈。見下されている?気のせいでしょう?否、実際に養分にされてます。ヒステリックになっているならともかく、冷静にノイローゼなんだから。

反省なんか意味ないから!と怒りながら言う人も欲求に飲まれている本能の人。

よし、なんとかなる!リカバリーしようか!と切り替えるような提案をする人は反省が意味のないことを知っている理性の人である。

反省する人は他人の機嫌をうかがってエネルギーを消費するので、エネルギーを使い切ったその反省日には何も改善しようとしない。通常業務も気が散って、マイナススタートで上手くいかなくなる。そういうことがよく分かってます。

反省とは、すべての人にとって実力が伴わない自己像の解釈の起点

人は失敗をする。失敗をして反省するとは、自分はまったく失敗をしない神の造形という驕りがある。なんでミスをしたんだと後悔する神々の遊びを楽しむ。

常識で侵されている社会においては、反省する態度を示すことによって、周囲を安心させるという妥協の茶番が主流。自分をあざむくほどの強烈な自己催眠を皆んなが組織全体のためにと実践している。

正しい反省方法があるとすれば、仕事をやり遂げるという目的を見据えた本気の謝罪。ミスを招くような突発的な行動を抑制する訓練を自分に強いること。

おすすめは食べるエクササイズ

午前の仕事でしくじり食欲もない。自分への罰で飯抜きにしようかと考えてしまうのがまさに、自分を貶める行為だ。

そこで健全にエネルギーが湧く方法を教えます。

これから、ガツガツ食べることの逆をします。この訓練は瞑想というほど厳密ではないし、マインドフルというほど薄くもないです。ここにある言葉だけで実践できる一点突破のエクササイズです。あとの気付きの感覚はあなた自身の領域ということで、神になりたければどうぞご自由に。

では食べ物を口に運んだあとに、飲み込みたくなっても我慢しましょう。その間に咀嚼します。飲み込むのを止めて味わいながら意識的に5、6回ほど多めに咀嚼してから飲み込む。飲み込もうと決めてから飲み込む。

これを繰り返すと何が起きるのか。

貴方は自制することによって何度も勝利するんです。何度もやって自分をコントロールする自信を取り戻すんです。

ミスは突発的な行動で生まれることがほとんどです。それを起こさない自制心を制御する訓練。正しい反省は自分のための対策であり訓練であります。もちろん、咀嚼回数が増える分、健康にもよい。

美味しいと感じる瞬間を意識できると、じゃあ今までどうやって食べていたかを思い出してみると面白いです。(ひょっとしたら、天才と呼ばれる人たちは、自分とは全く違う感覚で世界に触れているのかも知れません。)

そして、10回もやらないうちに大丈夫な気分になってくる。

ADHDの傾向がある方に特におすすめです。

タイトル読んで石を投げられた人、納得してイタタタ、投げんなっつこら!何でやねん!




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