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毒行為する親によって、育てられた兄弟は仲が悪い

こんにちは、私は実体験から毒行為する親によって、育てられた兄弟は仲が悪いということが言えます。

私の父親は、とにかく兄弟同士を比較して競わせました。兄に対しては弟は勉強が出来るのに…、弟に対しては兄は活発なのに、といった風に。実際はもっと悪く言います。褒められることはまずありません。しかし、他人の子供や芸能人は私たちの前で褒めまくる。それが悔しくてたまりませんでした。結論としては、父は私たち兄弟をコントロールするために、無力感を植え付けることを無自覚にしているのでした。それは、私が大人になっても変わりません。

これが見抜けるようになるには、社会人になってからも苦悩し勉強する必要がありました。似たような体験談を追いかけることもあり、タイトルになっている仮説はすでに誰彼が証明していました。


親と自分の課題を切り分けよう

私は自己肯定感が低いまま、世間を恐れて、人の顔色を伺うだけで多大な時間を無駄にしました。もしも、あなたが生涯を通して全く勇気を持てず行動できない場合には、親から受けた影響や親の課題と自分の課題を切り分けることが必要になるでしょう。答え合わせとまではいきませんが、気付きを得るお役に立てればと思います。

さて、親がどーたら本当のことなので言いますが、自分のことは棚に上げておいて子供に完璧を求める傾向があります。幼少期に百科事典を買っておいて、あれを全部読んだら賢くなると放置。親自身は全く本を読みませんでした。

私が青年になり、本を読んで意見をいうと理屈っぽいといって拒否されます。論拠という言葉すらも知らないのです。TVが言っていたからというアホの論拠の方がお気に入りのようで、それを言うしかしか能がないのかと情け無い気分になります。

親に期待することは愚の骨頂

そういう気分になる時点で親に何か期待している、僕がアホなのです。僕は賢くなったでしょうとでも言いたいんだと思います。実際には虚しくなる、読書量や知識が増えるほど話が合わなくて辛くなります。同じアホウで踊らにゃ損そん!ができたらなあ。

自分が変わるための抵抗感をいかに無くすか

私は自分を変えようとしましたが、常にどこかおかしいと抵抗感がありました。私にはADHDの症状がほぼ当てはまるのです。そのせいか、誰かの良いとこどりだけを出来ることは、ほぼない。終わらない苦悩のなか、完全に真似をしないと、性格や仕事もそのようにならないだろうと結論付けました。

変えようとすると人は変われません。結果に焦り死にたくなるか、無意識に自分は変わらないといけないほど駄目で未熟な存在だという想いを強めます。

実は、勇気を持って診断を受けると愛着障害でした。アダルトチルドレンというやつです。人に嫌われるとずっと嫌な気分になり、仕事にも集中できない。崖っぷちに常に立っている気分が消えない。ADHDとよく間違われるらしいのですが、さあ、混ざっているかも。

もう一度、親の課題と自分の課題を分けて考えましょう。すると、抵抗なく変えられる部分が見つかるはずです。親の課題を解決しようとして奪われている無限のエネルギーを省エネしましょう。自分の課題、自分の失敗と認められる部分を素直に変えていけばよいのです。ここからが、やっとスタートになります。

一方で、課題の分離を理解するのは親にとっては難しいことです。親に彼の課題を提示してはいけません。理屈っぽいと言われるだけです。反抗されたという印象しか相手に残せませんので不毛です。せめて、あなたが世間的に中位のポジションを確保するまでは黙っておきましょう。(それとも永遠に)。

中位のポジションを確保する、それが見通し不可能である場合には、せめて落ち着いていましょう。ああ、精一杯もがいていたなぁと、このリソースを持って、本来、興味ある物事を進めていきましょう。

成長は本来、幸福感でやめられないから進んでいくんです。人間関係に問題がない限り、生きることが嫌々になることは多分ない。この記事を読んで自由になれた人がいれば幸いです。



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