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人間って魚みたいだよね

 どうも、お久しぶりです。無色です。最近、好きなことに感けてしまい。書いていませんでした。いやあ、駄目ですね。しっかり、ルーティン化できていたのに辞めてしまった。なんとも、酷い有様である。まあ、今回は休んでいたので仕方ないかなと思うことにします。はい。

 ということで、今回は「人間って魚みたいだよな」と思ったので、それについて話していこうと思います。

 

 人間って魚みたいと思った。普通に聞いたら「は?」と思うのが普通である。でも聞いてほしい。意外と共通点があると思った。

 魚っていうのは意外と環境に弱い生物だと思う。近くの川にいたウナギやアユもいつもまにか環境破壊で消えていったのだ。そう文字通り消えていったのだ。実に悲しい。そんなものだった。環境破壊というのは、言い過ぎかもしれないがそんなもんだろう。私たちにも共通点がある。そう、生物学的にではなく気持ち的な面でだが。

 その共通点というのは単純で、僕たちは環境で変化することがあるということだ。例えばだが、野球の強豪校に行くとプロ野球選手に成れる確率はぐんと上がる。いい学校に行けばぐんと学力が上がるかもしれない。このように確率的にだが、実際に上がることだってあるだろう。僕もちなみにその一部である。なにせ、学年の最下位から数えたほうが早い人間が三年間で上から4番目ぐらいになったのだから。

 でも、こんなことを言う人がいる。

「でも、環境が悪いとかじゃなくて自分の心だろ」という人である。もう、笑うしかない。いや、そんなことは無いぞというしかないのだ。お前がその性格に成ったのは環境からの影響も大きいアイデンティティの要素だぞという他無いのである。アドラーの心理学を用いればそんなことは無いのだが、知らない人からするとこうなるのが普通だろう。実際順々に考えていれば単純に考えられる。

 僕たち人間は単純な生き物だ。欲にまみれ欲求を満たすために生きている。それが罪でもあり、美しさでもあるだろう。僕はそう思う。僕たち人間はまだ助けがある、環境が破壊されようが、問題なく暮らせるだろう。この科学の進歩によって。でも、生物はそうはいかないのだ。僕の家の近くの川から、うなぎやアユが消えたように、そのまま消える。それが定めなのだろうが、理性があり思考する生き物として、その生物達を守らないといけないとは思う。まあ、エアコンをこの時期につけてこれを書いている時点で、軽い気持ちのエゴなのだろうが。

 まあ、そういうことだ。僕たちですら環境の影響を受けやすいのに、もっと受けやすい生物たちはやばくないかいという話である。これを読んでいる貴方が少しでも、「あ、不味いかもな。」と思ってくれたら、最高だ。でも、あれだ。夏にはしっかりエアコンをつけて何かするべきだ。何だかんだで僕たちの命が最優先だから。なにが言いたいかというと人間ファースト、他セカンド精神で行きましょう。まあ、これが唯一の心理だと思う。