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感想『フラワーデモを記録する』

ある日、気づいた。
ああ、あれは性暴力だったんだな。
何年か経ち、気づき、そこから私の苦しみが始まった。
幼い頃は大人の男性に「可愛い」と追い回され、学生時代は男性・女性関わらずイジメに遭い、社会人になってからは痴漢、尾行、不自然な身体の接触、上司からの恋人(妻)扱い。
「こんな短いスカート履いてるから」「可愛いから」「きっとあなたが好きなのよ。冷たくしないであげて」
かけられた言葉は相手ではなく私への批判だった。
私はお洒落や美容が好きで、この人のようになりたい、のモデルがいた。
近づく為に努力した結果がそんなに悪い事?
四六時中スーツを着てればいいのか。髪を短く切ればいいのか。
そんなことはない。
どんな服を着ても何時何分にどこにいても被害に遭う。
私には私が選んだ服を着て好きな髪型やメイクをする権利がある。
この服を着てるから被害に遭ったはありえない。
そもそも6歳程度の子供に服は選べず、学校や会社ではみんな同じ制服を着ているのだ。
無関係なのは明らかなのにどうして私に非があるように言われるのか。

自ら実名と顔を公表し性暴力被害を訴えた伊藤詩織さんに勇気をもらった。
彼女はこう言った。
自分の身に起きたことをなかったことにしてはいけない。
また誰かが被害に遭うかもしれない。
次の人を作ってはいけない。

何か被害者の方の力になれないだろうか。
細い糸を辿っていくと、フラワーデモに出会った。
そして手にした『フラワーデモを記録する』

「魂を殺す」と言われている性犯罪の判決が
無罪・不起訴。
被害者を責める声。
協調や空気を読むことが美徳とされる日本において自己責任論が幅をきかせている。
明らかにおかしい。

そういうものでしょ。
日本は男尊女卑社会なんだから。
昔はもっと酷かったんだから。
何の慰めにもならない言葉だ。
感情的になるな、失礼なことをするな。目上の人には逆らうな。
そんな言葉はうんざりだ。
おかしいことはおかしいと言おう。

東京で開催されるや日本全国に広まったフラワーデモ。
この本はタイトル通り『記録』している。
北原みのりさん、フラワーデモを取材した新聞記者、弁護士、ライターなど著名人の寄稿。
こじつけのような理由で無罪判決が下された性暴力被害のこと。
日本全国のフラワーデモの主催者の話。
そしてデモで語られたスピーチの抜粋。
このスピーチを読んでいて涙が溢れた。
これほどひどい罪を犯し裁かれないなんてあり得ない。

犯罪は沈黙した途端なかったことにされる。
改めて思い知らされた。
被害者が沈黙してしまう理由は、性犯罪が被害者の落ち度によるものという偏見が社会に根付いているからだ。

変えていかないといけない。
被害に遭うのは私かもしれない。
あなたかもしれない。

自身に対する戒めでもある。
私はパワーハラスメント、セクシャルハラスメントから逃げ出した。
もし、誰かが同じ目に遭ってたらどうしよう。
あの時訴えておけば良かった。証拠となるものは全て消し去ってしまったけど、訴えを起こしてれば何か変わったかもしれない。
あの日から後悔と自己嫌悪に絶えず襲われる。

フラワーデモは大声を上げず、行進もしない。
花を持って集まる静かなデモだ。
スピーチを強制されることはない。
ここに来ると息をするのが楽になる、と語る参加者がいる。
しかし、あの人は大きく取り上げてもらえたのに私は取り上げてもらえない、とフラワーデモに背を向けた人もいた。
ライターの小川さんは社会の無理解や無関心が人間を変えてしまうと書いてらっしゃる。
スピーチで自分の体験を語り、その言葉に全員が耳を傾け連帯が生まれる。
”#Me too" ”#With you”の輪が日本に、世界中に広がる。
素晴らしい瞬間だ。
しかしそこに「私の方がひどいのに」と辛さのランク付けが始まると途端に歪んでしまう。
なかったことにされてきた被害者を救う為のデモなのに・・・
小川さんの寄稿は社会を変える難しさも考えさせられた。

その困難があっても私も声を上げたい。
フラワーデモの存在が、伊藤詩織さんを始め自らの被害を告白した方々にどれだけ救われたことか。
今なら私は、私は悪くなかった、と言える。
私はもう逃げない。

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