テレワーク普及を妨げる「心の壁」

 新型コロナウィルスによる肺炎が市中感染という新たなステージに突入しつつある。それに備えて、大手企業のなかにもテレワークや在宅勤務の活用を模索する動きがでてきた。いわば緊急避難として、ある程度は広がるかもしれない。しかし、これを機にわが国でもテレワークが定着するかとなると懐疑的にならざるを得ない。

 理由の一つは、わが国では欧米企業と違って仕事の分担が明確になっていないこと。そして集団で行う仕事が大きな比重を占めていること。そのため社外で仕事をしようとすると、いろいろな不都合が生じる。また分担が明確でないわが国では日常の仕事ぶりで社員を評価しているが、見えないところにいる部下をどう評価するかという問題も残る。

 もっとも、これらの障害はテレビ会議やチャットなどのコミュニケーションツールを使うとか、仕事を「見える化」すればかなり克服できるだろう。

 実は、とりわけ大企業社員の場合、もっと大きな壁がある。しかし見えない壁だ。

 私は「在宅勤務を広げる」と聞いてすぐ、大企業を定年退職した人たちの姿を思い浮かべた。大企業でそれなりの地位に就いた人は経済的にかなり余裕がある。最近は顧問や相談役といった役職を削減する企業も多いことから、定年後は文字どおり悠々自適の生活を決め込む人も少なくない。

 ところが現役時代は会社一筋で、しかも転勤を重ねてきた人たちにとって、会社以外に居場所がない。とはいえ定年後にでも地域デビューすればよさそうなものだが、肥大化した承認欲求が邪魔をする。彼らの多くは子どものころから優等生として周囲から一目置かれ、会社のなかでも認められてきた人たちである。そのため地域社会でも「素」の自分を出して、対等な関係でつき合うことに抵抗があるのだ。

 テレワークや在宅勤務をする場合も、同じ問題に直面する。会社のなかでは同僚や仕事関係者との間で無数のコミュニケーションがあり、そこで自分の能力や個性などを絶えず認められてきた。それが仕事のやりがいとモチベーションを深層で支えてきたといってよい。テレビ会議やチャットなどのツールが発達したといっても、空気やオーラまでは伝わらない。また仕事を離れたところで威光を発しようとしても不可能だ。

 もっとも仕事の成果をはっきりとした形で示すことができれば、それによって承認欲求を満たすこともできよう。しかし、そうなるとほんとうの実力が問われるし、実力で勝負してきた経験も乏しい(本人の責任とは言い切れない部分も大きいが)。

 そのためテレワークや在宅勤務が長期にわたると欲求不満からストレスを感じたり、やる気を失ったりすることになりかねない。

 では、どうすればよいか?

 上昇志向で周囲から認められることが当たり前の世界で生き続けてきた人に、今さら価値観を転換しろといっても無理な話だ。やはり王道を歩むしかない。広い意味でのプロとして実力を蓄えて真剣勝負し、それによって承認欲求を満たすべきだろう。当然ながら、若いときから心の準備をしておく必要がある。その意味からすると、わが国でも有名大卒の「エリート」に起業家やコンサルタントなどプロとして実力で勝負したいという人が増えてきたのは、望ましい傾向かもしれない。


https://www.nikkei.com/article/DGXMZO55701430W0A210C2MM8000/

「個人」の視点から組織、社会などについて感じたことを記しています。