そろそろ「抱え込み」文化を見直そう
小中学校では「担任は児童・生徒を責任もってみなければならない」、大学では「入ってほしい学生を選ぶ入試は教員の役目である」、そして企業では「管理職は担当部署の仕事に全責任を負うべきである」。これらは一見するともってもであり、否定の余地がない「正論」のように聞こえる。
しかし、そこで犠牲になっているものに目を向ける必要はないだろうか?
上記「正論」の本質を、ひと言で表すなら「抱え込み」「自前主義」である。それは責任ある態度を示すいっぽう、専門性と分権化のメリットを犠牲にし、さまざまな非効率をもたらしている。
たとえば小中学校では担任教師に業務が集中して疲弊するなど「ブラック化」が問題になっているし、企業や役所では負担の大きい管理職になり手がいないといった異常な現象が生じている。また、わが国では依然として一般労働者の労働時間が主要国で突出して長いいっぽう、時間あたりの労働生産性は米・独・仏などの3分の2にとどまっているが、それも専門性の利益を享受していないところに一因がありそうだ。
学校では欧米のように教師は教育に専念し、児童・生徒の生活指導はその専門家に任せる方が効率的だし、教師の負担を大幅に減らせる。専門家は一校に一人か二人置くだけなら財政負担もかぎられているはずだ。
大学入試も素人である教員が問題をつくるより、プロフェッショナルである予備校などに委託したほうが良質な問題がつくれるだろう。外部に委託するのは危険だとか無責任だとかいうのは、予備校などに対して失礼である。最終的なチェック機能だけを大学に残しておけばよい。
会社や役所でも、専門化が進んだ今の時代にすべての責任を管理職が負うのは無理がある。直接の業務はそれぞれ専門とする部下に任せ、管理職は狭義の管理責任だけを負うようにすれば、管理職の負担は半減し、部下はノビノビと仕事をして成長することができる。
すべてを抱え込み、自前で処理するやりかたにそろそろ限界がきていることに気づくべきである。
「個人」の視点から組織、社会などについて感じたことを記しています。