「三つの過剰」だけが原因だろうか -「失われた20年の失敗の本質」を問う

 平成の30年間に日本企業の活力を奪ったもの。それについて知識創造経営で知られる野中郁次郎一橋大学名誉教授は、米国型のマネジメントへの偏重が組織的な創造力を奪ったことが原因だと指摘する。なかでも野中氏が注目するのが、オーバープランニング、オーバーアナリシス、オーバーコンプライアンスという「三つの過剰」であり、それが人間特有の共感や直感が発揮されるのに必要な「ムダ」を奪い去ったという。(『Wedge』2019年8月号)。

 野中氏の指摘に私はまったく同感である。科学的とされるアプローチが人間のもつ能力の発揮を妨げ、それによって日本企業の強みを生かせなくなったという見方には納得する人は多いはずだ。

 しかし、かつての日本型経営スタイルに戻せば日本企業は復活するだろうか?

 注目すべき点は、競争の勝敗を左右する要因がかつてとは大きく変化していることである。かつて日本企業が隆盛を誇った1970年代、80年代に、産業の主役は製造業だった。それに対して90年代以降、とりわけ今世紀に入ってからは情報・IT系の企業が世界経済のなかで存在感を増してきた。製造業でもハードよりソフト、とりわけ画期的な新製品やイノベーションが決定的に重要になってきている。残念ながらこのレベルの競争で日本企業は米国企業に大きく水をあけられ、さらに中国や韓国などの企業の後塵を拝している。

 では、米国や中国などの企業と日本企業と大きく異なる点は何か?

 それは個人の意欲や貢献を引き出すインセンティブの違いである。米国や中国などの企業で働く技術者のなかには、起業家志向を持つ者が多い。いずれは独立して世界から注目されるような会社を起こし、時代の寵児になってやろうという野心をもっている。あるいは会社に留まっていても、ストックオプションなどで巨万の富を得たり、組織のリーダー、プロフェッショナルとして活躍したりする夢を描いている。そのため全身全霊を込めてアイデアを絞り出し、それを成果につなげようとする。米国や中国などの企業社会では、意欲と実力次第でそれを実現できる。

 ところが日本企業では、そのような夢を抱くことは困難だ。多少の報酬やキャリアアップくらいでは最高度のモチベーションは生まれない。また仲間と一緒に創造する喜びや、内発的モチベーションでは、上記のような野心にはとても太刀打ちできない。そこに日本企業の決定的な弱点がある。

 組織という枠を取り払うなら、すなわち成果がすべて自分のものとなる起業家やフリーランスの場合、野中氏が指摘するように形式的な束縛から個人を解き放ち人間特有の能力を発揮させれば、自ずと成果があがるだろう。

 ということは、やはり現在の日本型経営システムが、90年代以降に求められるようになった「より高次の意欲と能力」を引き出すには適していないということになる。野中氏の提言を生かすためにも、経営、組織の枠組みを根本から見直す必要がある。

http://wedge.ismedia.jp/ud/wedge/release/20190720

「個人」の視点から組織、社会などについて感じたことを記しています。