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ことわざ

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故事・ことわざのまとめ。思うこと。 日本人の文化として根付いてきたものは何か。 庶民の暮らし・平凡な生活の中で、大切にしていた目に見えないもの。 言葉の中にある忘れてはいけない何…
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2022年8月の記事一覧

渡る世間に鬼はない:世渡りは辛いものだが、世間には困ったときには助けてくれる情け深い人もいるものだ。元々は、人が暮らしていく世の中に鬼のように非情で冷酷な人間は存在しない、という諺。時代が変わった今、家族として長く接する為に必要なのは、お互いに支え合って生きていく距離感だと思う。

腐っても鯛 :高級魚の代表である鯛は、多少悪くなっていても味が良く、雑魚よりも価値がある。時代の変化で家柄等の評価が下がったとしても、人が持つ本質的な品位や価値は変わらない。業績を上げて評価されていた人が落ちぶれたとしても、性根が変わらなければ他には無い価値を産み出すことの例え。

触らぬ神に祟りなし:関係さえ持たなければ、そのことでわざわいを招くことはない。君子危うきに近寄らず。”神”とは本来、人は触れてはならないと感覚的に感じる危険な存在や対象のこと。抽象的に広い意味で表している言葉の中に、危険と感じるものには触ってはいけないと忠告する意味を持っている。

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人を呪わば穴二つ:他人を呪って殺そうとすれば 自分もその報いで殺される報いを受ける。「穴」とは墓穴のこと。
”人を折らば穴二つ”とも言う。この場合「折る」とは邪魔をする、害を成すこと。人を陥れようとすれば自分にも悪いことが起こること。
相手に向けた刃は 必ず自分に返るという戒め。

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鉄は熱いうちに打て:堅い鉄は赤く熱している間なら形を作りやすい。同じように 物事は関係者の関心が冷めないうちに手を打った方が結果が出やすいことを例えている。また、鉄を激しく叩いて鍛え上げると鋼の刀になる事から、人も若く柔軟なうちに厳しい教育を受けさせると良いという言葉に使われた。

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遠くの親戚より近くの他人:いざというときに頼りになるのは、近所に住んでいる人。血の繋がっている親類であっても、遠く離れて暮らしていれば行き来も少なくて情も通わなくなる。急を要する出来事があった時、助けられるのは近くに居る人。最低限でも近所付き合いが大切であることの戒めを含む言葉。

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旨い物は宵に食え:美味しい食物は翌日まで置くと味が変わってしまうから、宵(夜を越さない間)に食べなさい。後の言葉に「腹の立つことは明日言え」と続く。相手に腹の立つことがあったとしても、一晩考えてから伝えなさいと。商談など食事をする相手との付き合い方を暗に示していると感じる言葉。

仏の顔も三度まで:優しくて穏やかな人でも 無礼が重なると怒ることのたとえ。どんなに慈悲深い仏様も顔を三度撫でまわされると腹を立てることから例えられている。仏とは人間が修行をして敬い拝む対象になった姿。人との付き合いは、お互いに礼を尽くすこと。なれなれしくしなければ怒らせずに済む。

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百足の虫は死に至るまで僵れず:足が多い百足(ムカデ)は死んでも倒れない。怖がられ嫌われがちなムカデだが、お金のことを「お足」と呼ぶことから、お金に困らないというご利益のある神様だと讃えられる側面を持つ。支持する者を足に例えるなら、多くの足を持つムカデは容易に滅びないと想像できる。

去る者は日々に疎し:その場からいなくなった人は、時間が経つと共に忘れ去られていく。見えなくなると日常に埋もれていくさま。別れて遠くに行ってしまうと、だんだんと親しみが薄らいでいく。古いものは忘れ去られて、新しいものにとって変わる。人生のはかなさ、人間関係のたよりなさを表した言葉。

郷に入りては郷に従え:その土地に入ったら、住んでいる人の風習や風俗に添った行動をすると良い。処世術の一つ。気候や風土は土地によって全く異なる。時には迷信のようなしきたりもあるが、その土地に長く暮らしていた先人の知恵が残されている風習もある。疑問を感じたら よく観察してみると良い。

義を見てせざるは勇無きなり:目の前に 人としてなすべきことがあると知りながら、実行しないのは勇気がないからである。論語にある孔子の言葉。武士の時代には当然とされてきた心得。何をもって正義とするのかは個人に委ねられている。ほんの少しの勇気を持って、正しくありたいと願う。

他人の飯には骨がある:他人の家で食べる飯は、まるで骨でもあるように苦々しく感じる。世話をされながら他人の家で生活するのは、精神をすり減らして窮屈。また、他人の好意に頼りきっていると冷たい仕打ちを受けることもある。「他人の飯には棘がある」ともいう。現実の厳しさは今も昔も変わらない。

寄らば大樹の陰:立ち寄るならば、小さな木陰よりも大きな木の下が良い。援助を受けるならば勢いの強い者にすがり、自分の力を先行させずに他人の力を借りるという、世渡りの方法の一つとして伝わる言葉。元は”立ち寄らば大木の陰”と言い、「大木」は お屋敷や家族経営の商店のことを指していた。