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大衆の無意識の飢餓感を射る

先日、NHK総合の「日本人のお名前」という番組で、歌謡曲(J-POPではない)のタイトルを取り上げていました。非常に興味深い内容だったのですが、その中でも印象に残ったのが、作詞家の阿久悠氏のこの言葉でした。

「大衆の無意識の飢餓感を射た時、曲はヒットする」

正確ではありませんが、概ねこのような内容だったと思います。「大衆の無意識の飢餓感」という表現はなかなか興味深いですし、全体としても的を射た言葉だと思います。僕たちは日常生活の中で、それとは気付かずに何か飢え、乾いた状態にある部分があるのです。だから、それを言い当て、満たしてくれるものを無意識のうちに探している。そこにピタッとハマれば飛びつくというわけですね。

例えば、「世界に一つだけの花」という曲がありました。言わずと知れた、平成の大ヒット曲です。これが発売された頃というのは、バブル崩壊後の「失われた20年」の真っ只中。「勝ち組・負け組」という言葉が定着し、一億総中流から格差社会へと大きく動いた後でした。当然、多くの人間が自分たちを「負け組」だと思っていたわけですし、実際「下」の階級に属する人たちの方が多かったのです。そして、一度自分の階級から足を踏み外すと、元に戻るのは困難で転がり落ちるばかり。それが日本社会の実態でした。
そんな時に、「ナンバーワンにならなくてもいい もともと特別なオンリーワン」というフレーズを持つこの曲が耳に届いた。救われた、と思った人も多かったでしょう。だからこそ、この曲はミリオンセラーになったのです。「周りと比較して上とか下とか関係ない。あなたはあなたのままで価値がある」このメッセージほど人々の心に響くものはないでしょう。ただ、人間一人ひとりには個性があり、等しく尊重されるべきだというのは、別にこの曲で初めて提起された考え方ではなく、むしろありきたりな、手垢の付いたものです。にもかかわらず熱狂的に受け入れられたのは、この社会を生きていると、その逆のメッセージを受け取ることの方が多い。雑草よりもバラの方が高値で取引される。いや、雑草ならばそもそも捨てられるだけです。そういう現実の中で「あなたはあなたのままで価値がある」というメッセージに対しての飢餓感が、かつてない程に高まっていたのです。もし高度成長の右肩上がりの時にこの曲が発売されていたら、こんなに売れることはなかったでしょう。真理の普遍性は変わらないのに、時代背景が変わると、その普遍性に強烈なスポットライトが当たる。「大衆の無意識の飢餓感を射る」というのはそういうことなのでしょう。

クリエイターが霞を食って生きるわけにはいかない以上、どこかでこの「大衆の無意識の飢餓感」を意識しておく必要があるなと思うのです。大衆に背を向けて独創性を追及するのも勿論大変な道ですが、マスを意識して創造し続ける人というのは、かなりの求道者とも言えます。これも言い古されたことですが、常にあちこちにアンテナを張っていないと、大衆が何に飢餓を感じているのか分かりません。加えて、それをちゃんとピンポイントで射抜いてあげるだけの腕・技術と感性・センスが必要です。一朝一夕にできることではなく、僕がヒットメーカーの人たちを求道者だと思う所以です。
勿論これはクリエイターに留まらず、あらゆる商品開発にいえることでしょう。「これを待っていた!」と思うものにしか、人はお金を払いたがりません。それを掘り当てられるように、日々基礎研究に励み、研鑽を積み、基礎体力・最低限の技術の維持とそのできる限りの向上に努めなくてはならない。我ながら当たり前過ぎる結論ですが、これもまた普遍的な真実。成功に近道はないとあらためて肝に銘じて、さらにハッとするような真実の発見ができるように、精進していきたいと思います。

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