見出し画像

正しさよりも優しさが欲しいって、どういうことだろう

正しさよりも優しさが欲しい

冬になると、Official髭男dismの「Subtitle」が頭の中に流れ込む。
2番のサビを思い浮かべるたびに、決まっていつも考え込んでしまう。

正しさよりも優しさが欲しいって、どういうことだろう。
混沌とした世の中は「正しさ」や「優しさ」の意味すら不透明にさせる。

自分なりの答えが出たのは、昨年かかってきた一本の電話がきっかけだった。

ある月曜の午後、寝室でうとうとしていたら、iPhoneの画面上部に着信の表示が出た。
息子が通う放課後児童デイサービスからだった。

電話主は20代前半の女の先生だった。
下校時に送迎に行ったときから息子が泣いており、具合が悪いのかしきりに帰りたいのだという。

息子は先週の金曜、発熱と頭痛でぐったりして帰ってきたばかりだった。
週末に病院を受診し、コロナや溶連菌は陰性だったはずだが……。

なんでも、学校の3時間目からずっと泣いていたらしい。
学校やデイで何か嫌な出来事でもあったのだろうか。

帰宅した息子に尋ねてみると、「○○(通所先)に通うのがいやだ」と間髪入れず返ってきた。

「何が嫌なの?」
「勉強。あれやれこれやれ、ばーっかり」

送迎してくれたデイの先生によると、泣き続ける息子にずっと同じクラスの女の子が寄り添ってくれていたという。

昨年は私の抑うつがあり、息子をほとんどの平日通所させていた。
だが息子は小学一年生になって、10ヵ月も経っていない。

自分が子どもの頃は、15時くらいには家のストーブで温まりながら、祖母が茹でてくれたかぼちゃにマーガリンを塗って頬張っていた。
もしくは友だちとスーパーファミコンでマリオカートにのめり込んでいた。

片や息子の帰りは17時過ぎ。
勉強以外に遊びの時間はあれど、あまりにも自由がなかった。

なんてことをしていたのだろう。
たちまち申し訳なさでいっぱいになり、息子を抱きしめ繰り返し謝った。

「ごめんね、○○のこと全然考えてなかったね」
「もっと家でゆっくりしたいよね。ゲームしたいよね」

以降、よほどの用事がない限り、息子の通所は本人が希望した曜日で週2回にしている。

通所先では学校と違う勉強もあるし、そこでしか会わない友だちや先生と遊べる。
乳児期から母子通園をしていたが故に、幼いうちから保育園や学校以外の場所にいると社会性が育つと考えていた。

何より、おしゃべりが止まらない息子を律義に相手してイライラするより、離れた時間をとり機嫌がいいほうが息子のためと思っていた。

正しさと呼ぶには傲慢で、身勝手な親の言い分だ。
だけど息子は楽しそうに通っていたから、気づけなかった。

当人のことを顧みない押しつけが正しさだとしたら、優しさはできる限り当人の置かれている環境、気持ちに心を寄せ、本当の望みに近づけること。

それが、不甲斐なかった1年前の私が導いた答えだった。

現在の息子は、仲の良い友だちと児童会館で遊んでから帰ってくる。

通所先から帰ってきた日は「ただいま!」と扉をぶち破りそうな声を上げ、弾丸のごとくリビングに飛び込みニンテンドースイッチでマインクラフトを始める。
「洗面所に行ったの?」と声をかけると、我に返って「行ってない」と引き戸を開ける。

息子は私が時折自己嫌悪に陥っていると、「そんなに自分をせめなくていいんだよ」と声をかけてくれる。

今は息子に、正しさより優しさを渡せているだろうか。


※ヘッダー画像はみんなのフォトギャラリーからお借りしました。ありがとうございます。

いいなと思ったら応援しよう!

おおやまはじめ/手帳と暮らしのライター
サポートをいただけましたら、同額を他のユーザーさんへのサポートに充てます。

この記事が参加している募集