もう矢印は自分に向けないよ
「はじめちゃんは、究極のマイナス思考だよね」
高校の頃、唯一最後まで友だちでいてくれたMちゃん(過去のエッセイに出てきた彼ではない)の言葉をふと思い出したのは、大雪のなか息子を保育園まで迎えに行ったあとのことだ。
平日、私が出勤の日は夫が息子を保育園に送ってくれる。
保育園の保護者の出入りにはカードキーが必要で、私と夫は度々カードをどちらかに預けっぱなしになる。
(今朝「カードキー出しておいて」って言ったのに……!)
灰色の雲が頭上を覆っている。
カードキーを出し忘れた夫への軽い苛立ちを渦巻かせながら、垂直に降る雪の中をずかずかと行進する。
私は車の免許を持っていない。
15分かけて保育園に着く頃には、全身雪にまみれて、眼鏡も水滴だらけだ。
カードキーがあればただ玄関に入り息子を呼ぶだけなのだが、この姿でインターホンに解錠をお願いするのが心底嫌だった。
インターホン越しの保育士さんの声は、びっくりしたような笑い声を含んでいた。
ああ、傍目から見てもすごい格好だと思われたんだろうな。
身だしなみに無頓着で、散々笑われてきた10代の憤りが蘇りかけた。
うんざりした気分で玄関をくぐり、いつも迎えの時間にいるベテランの先生に挨拶する。
その先生と、トイレの清掃から出てきた用務員のおじさんは何となく窓の外に目をやり、「ありゃ、もうこんなに降ってきたんだ」と言葉を交わしていた。
息子が来るまでの間、ふと考えた。
私、矢印を自分にだけ向けていなかったか?
大雪の中、わざわざ徒歩で子どもを迎えに来た親を小馬鹿にする保育士さんなどいるだろうか。
インターホン越しの声の様子は、単に天候が荒れていることに驚いて「わー、お母さん大変だ」くらいに思ったのではないか。
実際のところ、今日の私は休みで、一通り家事をこなし短い仮眠をするくらいの余裕はあった。
本当に大変なのは保育士さんだ。
私には絶対務まらないタフな仕事だし、一部の心ないニュースはあれど、ほとんどの保育士さんは子どもとその親に大なり小なり思いやりを持っている人たちのはずだ。
帰りも天候は変わらず、視界も不明瞭だったが吹雪いていないだけましだった。
私は全然立派な親ではないので、ぶつくさ文句を言いながら帰宅し、「あーもううんざり」「お母さん疲れた」などとネガティブを炸裂させた。
しかし、ぐちぐち言っていていいことなどあるのだろうかと思い直した。
マイペースに桃鉄を始めた息子に、私はおもむろに話しかけた。
「○○(息子)、ごめんね。不満ばっかり言っていてもいいことなんかないよね」
すると息子も「そうだよ〜」とたしなめるように返した。
良かった。息子はちゃんと育っている。
私も気を取り直して、大好きな錦鯉のまさのりさんを真似て「きゃはは、きゃはは」と空元気を出した。
(念のため言っておくが、キ○ガイになったのではなく実際にある錦鯉のネタなのだ)
◇◇◇
ところで、冒頭の言葉はMちゃんのものではなかった。
正確にはもうひとり仲の良かった、Nちゃんの言葉である。
Nちゃんはある時から私に蔑みの眼差しを向けるようになった。
だけど事あるごとに自分に矢印を向け、悪いことばかりに囚われていたあの頃よりは成長したんだ。
「もっと堂々としなよ。はじめちゃんは何も悪いことしてないんだから」
悪口を塗りたくられていた私に、どこかもどかしげに言ってくれた一言。
これこそが、本当のMちゃんの言葉だ。
大人になって、良くも悪くも汚れを抱えてしまった私だけど、Nちゃんの言葉にはさよならを。
そして少なくとも今は、Mちゃんのお説教を喰らわない程度には強くなったよ。
※ヘッダー画像はみんなのフォトギャラリーからお借りしました。ありがとうございます。
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