「刺さる」という見えざる刃
私は「刺さる」という言葉を使わない。
先端恐怖症なのか、どうにも尖ったものが苦手なのだ。尖ったキャラクターは好きなのに。
注射は昔「たまごっち」のキャラが我慢して注射を打っていたのを見ていたからか、まだ我慢できる。
最も苦手なのは傘を水平に持って歩く人間だ。
社会人の頃、出勤ラッシュの階段の前に傘の先端をこちらに向けている女性がいた。嫌悪感のあまり定期券で傘の先端を弾いたことがある。
さすがにやりすぎたと反省しているが、そのくらい嫌だったし、いまでも傘を水平に持っている人に対して冷ややかな目線を送ってしまう。
「刺さる」は、ひと昔前の「ありえない」くらい頻繁に使われている。
誰かの一言や、話題になった本が刺さったとか、それはもうグサグサと聞こえる。
「あくまで例えでしょ」と笑い飛ばす人もいるだろうが、私は日常生活でも使わない。
物騒なのだ。響きが。
これはおそらく、私が高校時代言葉のいじめに遭ったせいだろう。
ハッピーセットならぬ、言葉のアンハッピーセットを毎日食らってきた人間が言い回しに気を遣うようになるのも必然だ。
私は「死ね」と口にした人間ほど、寿命が縮まると思っている。
出典が不明なのだが、6年前の手帳に書いてあった一文が忘れられない。
別に「刺さる」を使うのは人の自由だ。
ぶっ刺さっても、毎度刺さっていても、何とも思わない人もいる。
ただ、自分にとって嫌な、もしくはより良い言い回しができる言葉なら、私は使わない。
私に見えざる刃はいらない。
言葉は自由だ。
その分、自他ともに心地のいい言葉を選び取っていきたい。
※画像はみんなのフォトギャラリーからお借りしました。ありがとうございます。
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