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「あとひとつ」を譲る

買うのを見送ったものが、次に行ったときなくなっていた。

あるお店で見かけた、いわさきちひろさんのメモパッド。
春らしいチューリップの絵を集めた4種の絵柄入りで、どれも愛らしく繊細だった。

その日はすでにまとまった買い物をしていたため、一度迷ってお店を後にした。

お昼ごはんを食べながらやっぱり買う、と決意を固め、1時間後舞い戻ったときには最後のひとつがなくなっていた。

ああ、やっぱりなくなってしまったか。
とても可愛かったもの。

同じ絵をあしらったグリーティングカードはまだ残っていた。ほかの買い物と一緒にそちらは無事済ませられた。

こういうとき、自分より欲しい人が手に取ったんだろう、その人の手に渡って良かった、と思うことにしている。

実際、私はとても大事な「あとひとつ」を譲ったことがある。

もう10年以上前になる。
ショッピングモールのイベントで、大好きなゴスペラーズのインストアライブを観覧したときのことだ。

ちょうど買っていないアルバムがあり、ライブ後の販売会の列に並んだ。
先着でサイン入りのアルバムが買えるため、20人くらいいただろうか。

私と後ろの人のふたりだけになった際、「サイン入りCDあとひとつです」とアナウンスがあった。

私が買ってしまったら、後ろの人だけが買えないかもしれない。
ものすごくサイン入りが欲しくて並んだのかもしれない。

サイン入りは魅力的だったが、正直私は生でゴスペラーズの歌とパフォーマンスを味わえただけで胸がいっぱいだった。
サインがあってもなくても、彼らの歌声と朗らかさは変わらない。

なので、後ろの人に声をかけ、順番を譲った。

もうずいぶん前のことなのでうろ覚えだが、その人は「いいんですか? ありがとうございます!」と声を弾ませていたはずだ。
若干の戸惑いと、隠しきれない喜びがこもっていたのは思い出せる。

本当に欲しかったら私だって譲らない。
だけどその人の喜びは、自分がサイン入りCDを買うより「良かったな」と思えた。

いわさきちひろさんのメモパッドも、先に買っていった人のことなど分からないが、想像するなら良い想像をしたい。

買えなかったそれは、私より欲しがっていた人の手に渡ったのだろうと。


※ヘッダー画像はみんなのフォトギャラリーからお借りしました。ありがとうございます。

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