希望に、満ちあふれ
就労相談の施設が入っている複合ビルを後にすると、高くなった西日が格子状のタイルを照らしていた。
希望に、満ちあふれ。
ふいに中学校の卒業式で口にした一文が浮かぶ。
あの頃、心は希望になど満ちあふれていなかった。
結局は狭苦しい地方の高校へ行くだけ。
大人になってからも、希望は仄暗い道に灯る青い小石のようなものだった。
今月取り組んでいるワーク「#自己探求の12日間」を進めていくなか、あまりのストレスへの弱さに働くことへの自信を失いかけていた。
ワークの企画主催のやまだめぐみさんが私の能力を鑑みて、そのように思うのが不思議だと励ましの言葉をくれた。
さりげない心遣いは温かく、弱った心の状態だと涙がにじむ。
働くことへの不安、自信のなさは、これまでどの職でも精神的なキャパオーバーで離職してきた悪い印象が残りすぎているのだろう。
本当はできていることも沢山あるはずなのに。
人間は古来の生存本能から、身をおびやかすものに対して反応してしまうという。
だから10人の良心的な人たちより、たった1人の塩対応に傷つき、尾を引く。
だからこれから働くにしても、ストレスへの耐性がマイナスでキャパシティの低い自分はどうしたものかと、やりたいことを胸に秘めつつ迷いに迷っていた。
今回の就労相談は、在宅ワークをしたい子育て世代の女性を対象にしたものだった。
相談に乗ってくれるのも外部からのコンサルの先生だ。
予約から当日まで3ヵ月あったため、事前に同じ先生のこれまでのセミナー動画を受講していた。
細かく組み立てられており、ボリュームのある内容で、早く直接アドバイスをもらいたい気持ちが募っていた。
相談は待った甲斐があった。
詳細は伏せるが、それだけ広い視野から細部まで、アドバイスをもらえた。
そこで言われたひとつが、このような内容だった。
要するに、ストレスへのキャパシティが低いのではないのだ。
受け取るものが多すぎて、溢れ返ってしまったのだ。
そういったタイプの人は、自分の裁量でできる働き方のほうが向いていると先生は断言していた。
何度会社がつらいと涙を流し、自分のことを社会不適合者だとか、欠陥品だとか傷つけてきただろうか。
そんなこと誰も面と向かって言わなかったのに。
自分でなく、今までの「働き方」が不適合だっただけじゃないか。
そう思うと、苦い笑みがこぼれる。
コンサルの先生には現在の取り組みを見ていただき、「客観的に見て質の高いものを作っている、もっと自信を持って」と激励してくれた。
帰り際、1月にボロボロだった私の話を親身になって聴いてくれたカウンセラーの方とも話した。
今月末で別のところへ移ってしまうが、私のWebマガジンを個人的に見にきてくれるという。
知っている人が読んでくれる。嬉しいときも胸がぎゅっと縮むのだなと、感激をそのままにお礼のあいさつをした。
大人になってから、心から希望に満ちあふれる日はそうそうない。
強くなりきれない私だけど、せめて自分で自分を苦しめることから卒業して、新たな希望に向かって歩いていきたい。
※ヘッダーはみんなのフォトギャラリーからお借りしました。ありがとうございます。
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