1700字シアター(3)コンサルタント
(2021/01/22 ステキブンゲイ掲載作品)
禁煙セラピー、それが俺の商売だ。禁煙したいけど禁煙できない、そんな人たちを励まし鼓舞し禁煙達成まで寄り添うのが仕事。
禁煙の達成または失敗の成否を決めるのが本人のモチベーションである。だから、俺のコンサルティングの第一歩は、客がなぜタバコをやめたいのかを聞き出すことにあるのだった。
今回の客は、大島孝、六十歳。会社を定年後、延長という形で同じ会社に勤めているという。
「昨今の会社は禁煙がデフォルトでしてね。私のような喫煙者は肩身が狭くていけない。若い社員からもタバコ臭いと言われて避けられる始末ですわ。まったく最近の若いモノはなっとらん」
聞くと、もう役職などはないそうで、昨年までの部下たちからも敬して遠ざけられてるようだ。
「目上の者に対する敬意のかけらも感じられん。すぐメールで済まそうとするし、それを推奨する会社もけしからん」と大島氏の怒りは根深そうだった。
これは「タバコ臭さ」より年寄りの「説教臭さ」で遠ざけられているのだろう。
「しょうがないから禁煙でもするかと思ったのだが、これが続かない」
だろうなと思った。体に不調がある、経済的に苦しい、医者から止められる等の強い動機付けがないと禁煙は難しいのだ。
「タバコを吸いたい気持ちは十分間我慢するとその後一時間は起きません。つまり一時間おきに十分間だけ我慢するんです」
「それができないのだ」
「三日我慢すればニコチンが全身から抜けて吸いたい気持ちは起きません。そこで一本吸うと抜けるまでまた三日かかるんです。そう思うともったいなくて吸う気がなくなりますよ」
「三日の我慢が大変なんだよ」
「やめると気持ちいいですよ。食べ物の味や香りが良くわかるようになります」
「俺、グルメじゃねえしなあ」
「息が切れなくなって歩いたり走ったりが楽になります」
「俺、ゴルフぐらいしかスポーツしないんだよな」
「タバコ代が減ってお小遣いが増えますよ」
「金ならあるし」
困ったな。大島氏には今のところ強い動機付けがない。単に若いモノにバカにされたくないという承認欲求だけなのだ。
俺は、路線を変更した。
「周囲で禁煙された方いますか」
「俺の同期の社員で禁煙に成功した者は一人もいないな。役員や平社員かを問わず成功者はいない」
これはいける。
「なるほど、禁煙には根性がいると思いますか」
「禁煙できる奴がいたら悔しいけど尊敬するわ」
「もし大島さんが禁煙に成功したら、同期の連中、どう思うでしょう」
「そりゃ、悔しがるよな」と言って大島氏は、はっと気づいた表情をした。ここで追い打ちだ。
「先ほど私、タバコをやめると気持ちいいことが多いと言いましたよね」
「ああ、」
「味とか香りに敏感とか、息が切れないとか」
「うん」と、それが何かという表情の大島氏。
俺は、一拍おいて続けた。
「でも、本当に気持ちいいのはそれじゃないんです」
「ん?」と大島氏は意外そうな表情をした。
「禁煙に成功すると、どうしても禁煙ができない人との会話で、どうやってタバコをやめたのと聞かれます」
「確かに」
「そのとき、簡単にやめれたぜ、と言い放つときの気持ちよさ。わかりますか?」
大島は目をきらきら光らせていた。
「それか、それなのか、」
彼は、脳裏に何人かの顔を思い浮かべているのだろう。
出世競争で自分を追い越していった同期社員、あこがれの女性を奪っていった同僚社員。定年後に平社員で再雇用された自分を気の毒そうに見つめる役員室の同期入社のあいつ等。
禁煙に成功するだけで、彼らに対するささやかな逆転勝利を味わえるのだ。
大島は深く頷くと言った。
「よし、禁煙しよう。サポートをお願いする」
「ありがとうございます」
俺は深々と頭を下げた。これで一件商談成立だ。
この仕事の成否は、客のモチベーションを顕在化させることにある。大島のモチベーションが承認欲求しかないのなら、それを最大限くすぐればいいのである。
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