小説指南抄(31)導入部で読者の気持ちをつかむ

(2015年 05月 11日 「読書記録゛(どくしょきろぐ)」掲載)
 小説を書き進めていく上で避けて通れないのが、導入部における各種情報の提示だ。各種情報とは以下のようなものである。

1・主人公について。
2・舞台となる場所、季節、土地柄など。
3・この後どんな物語になるかの予感と期待。
 物語に必要な1と2を伝えつつ、さらにページを手繰りたいという動機付けの3を書く、初心者が最初につまづくのがここだ。

例)
 俺、五十七歳、男。家族は4人だ。

 このように情報を列挙するのが一番シンプルなやり方だが、読者が五十七歳の男でない限り、読者はこの一行で本を閉じてしまう。この方法が有効なのは主人公が極めて特殊な場合だけだ。
例)
 我が輩は猫である。名前はまだない。(「我が輩は猫である」夏目漱石)

 漱石は、猫という特殊な主人公に、さらに達者な語り口とユーモアを与えて楽しく読者を迎え入れているのだ。

 また、必要な情報は状況の描写とともに読ませたいものだ。
例)
 「あなたがお祖父さんの呼んだ探偵さん? 背が高いのね」(「大いなる眠り」レイモンド・チャンドラー)

 これは、主人公マーロウが依頼人スターンウッド将軍の屋敷を訪問したシーン。事件の原因となる将軍の孫娘カーメンが、マーロウを興味津々で見つめ甘えるシーンだ。それだけで、カーメンという蓮っ葉な娘の行動を描写しつつ、マーロウが異性から興味を持たれる程度のマスクと身長であることをさりげなく語っている。
これを、

 フィリップ・マーロウは身長は高い方で、たいがいの女性は振り返ってその横顔に見とれてしまう。

 なんて説明したら、興ざめもいいところだ。でも初心者はそれをやってしまう。
 だが、ごく普通の平凡な人間を主人公にして作品を書くために、冒頭から読者の心をつかむ方法はあるのだろうか。
 その場合、いきなり何かに直面させて物語を始めると良い。

例)
 突然、前方の路面に自分とバイクの影が大きく延びた。ミラー越しにぎらぎらするヘッドライトが迫ってくる。慌ててバイクを傾けて左車線に避けると後ろから大きくクラクションを鳴らしながら、黒いベルファイアが追い抜いていった。制限速度を30キロ超えている。
 危ないことをしやがる、と思った。と、同時にアクセルを開いてフルスロットルで車を追っていた。
 これは指導が必要だ、と心の中でいいわけをした。会社員の頃なら我慢したろうが、今はもう会社員じゃない。五十七歳で再就職もできないままバイク便の請負ライダーをやっているやさぐれ者だ。失うものなどなにもないのだ。
 ベルファイアは赤信号に止められていた。運転席側の隣に並ぶと、窓からのぞき込み、「危ないじゃないか」と言った。

 状況の描写をしながら、主人公の自暴自棄な心と、主人公の諸事情を読者に伝えている。伝え終わった後、読者にとってはもう、主人公が高齢者であろうと男であろうともう関係なくなっているはずである。

(2023/11/3 追記)
作中に例を挙げた文は、拙著「青空侍58~人生はボンクラ映画」から引用した。作者のうつによる中途退社から、新たに小説を書こうと思うほど快方するまでを描いたユーモア小説である。
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