1700字シアター(6)作家の才能

(2021/03/03 ステキブンゲイ掲載)
 西森は小説家である。ただし全く売れていない不遇の作家である。唯一脚光を浴びたのは、テレビドラマの原作募集で佳作に入った時だ。テレビのニュース報道に際して、大賞受賞者の一人おいた隣で、妻曰く「一秒ぐらい映ってた」そうだ。
 彼が売れていないのは才能のせいというより、むしろ題材に問題があったというべきだろう。
 入選後に持ち込みを考えた第一作は、「五一一便応答せず!」という航空テロをモチーフにしたエスピオナージュ小説であった。西森はグレアム・グリーンやフォーサイス、トム・クランシーなどのファンだったのだ。
 二つに分かれた分裂国家で、自由主義側の国で開催される五輪を巡り、独裁国側の女テロリストの苦悩を描いたのだが、初稿の脱稿間近に作品と酷似した「大韓航空機爆破事件」が起きてしまった。
 しかも犯人は女性というところまで一緒で、西森は後追いと誤解されるのを潔しとせずに作品を封印した。一九八七年のことである。

 それでも西森は意欲的に次作に取り組んだ。
 今度は中国を舞台に、民主改革派の学生たちと共産党との闘争を描いたのだ。
 彼は急いだ。嫌な予感がしたのである。今回は版下校正まで進んでも何も起きなかった。
 ところが、ゲラ刷りが届いた日、彼はテレビのニュースで「天安門事件」の発生を知ったのだ。
 この第二作「流血の天安門」も幻の作品になった。一九八九年六月のことである。

 西森は運命を呪った。そして二ヶ月近い奮闘で第三作を書き上げた。
 ドイツを舞台にした国際スパイ小説で題名は「壁の壊される日」。
 出版は…、いやもう言わなくてもわかるであろう。同年十一月だった。

 彼を絶望の淵から拾い上げたのは一本の電話であった。聞いたことのない出版社であった。
「作品を書いていただきたいのです」
 聞くと、SF作品を書いてくれという依頼だった。プロットはすでにあるということで、西森は快諾した。
 なじみのないSFではあったが、原稿料が破格であった。何よりもその内容が絶対に現実化しそうにないことが気に入った。
 作品は、ソ連の書記長が自ら一党独裁を放棄して連邦を解散するという童話のような話だった。
 三ヶ月後、西森は原稿を渡した。ところが一向に出版作業は進まない。原稿料はすでに手にしているので問題はないが、そうこうするうちに年をまたぎ、一九九一年の暮れ、ソビエト連邦はゴルバチョフ大統領によって解散してしまった。
 やはり今回も出版はされなかった。
 ただし、ボーナスとしてその依頼人から一生遊んで暮らせるほどの現金を得たのであった。

 大統領執務室で二人の男が話していた。
「すべてはあの男のおかげだ。報酬ははずんだろうね」
「一生安楽に暮らせます」
「彼が再びあの力を使う可能性はないか」
「その点、心配はありません。彼は自分の力を自覚してませんし、もう小説を書かなくても生きていけるのですから」
 その答えを聞いて大統領は満足そうに頷いた。

 その後、半世紀近く、西森は悠々たる暮らしを続けていた。
 二〇十八年のある日、彼は新しい作品のアイデアを思いつき飛び上がった。
 思えば彼は、一本の作品も出版していなかった。ところが今なら、有り余る財産でそれができるではないか。
「よし、今度こそ」
 西森は勇んでキーボードに向かった。
 念頭に置いているのは、アルベルト・カミュの「ペスト」と小松左京の「復活の日」だ。二十一世紀の日本を舞台に、ひたひたと押し寄せるパンデミックを背景に、人間社会の哀歓と不条理、それに抗う人々のドラマを描くのだ。
 キーボードはリズミカルに快音を立て、流れるように文章を紡ぎ出す。同時にモニターの中で、人類はパンデミックへの道を着実に歩んでいた。

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