WEB30年の思い出(エッセイ)

(郷土文芸誌「駒来」2022年12月号 掲載)
 今年は、日本でのインターネット利用が始まった92年から30年目になる。
 私がインターネットを利用し始めたのは96年、38歳の時からだ。ちょうどその翌年から日本でIPアドレスを管理するJPNIC(日本ネットワークインフォm-ションセンター)が設立される。
 当初は企業や個人のホームページ閲覧とメールの利用が主だったが、年末に友人から来たメールが転機となった。
 彼は自分のホームページを立ち上げてショートショート作品を公開し始めたというのだ。
 彼は私の唯一の文芸修行仲間である。二十代の頃から文芸誌の新人賞で最終候補に残ったり、月例のショートショートコンテストで何回も入選したりと、常に私の前を走っていた。
 ようやく私が三流誌の官能小説40枚で4万円の稿料を手にしたときに、彼は大手文芸誌の月例ショート・ショート5枚で5万円獲得していたりと、常に私の先を走って悔しがらせていてくれたのだ。
 今回も後れを取った感に打ちのめされながら、勤務先の年末休みを利用して、自分のホームページを立ち上げたのが97年の正月だった。
 公募用に書きあげたものの、受賞に至らなかった過去の小説作品の「菩提を弔う」ような気持ちでサイトにアップし無料公開したわけだ。

 思えば当時のインターネットは、小説やエッセイや書評や映画評や漫談や、とにかく何かを書いて自分を発信したいが大手メディアとは縁がないクリエーターたちの集まる、梁山泊のような有様だった。
 自分のメディアを持ちたいが同人誌や個人出版をするような経済力もない。そんな文系の連中が、入門書と首っ引きでテキストエディタのキーボードを叩き、HTMLのソースを手打ちしてサイトを作っていた。
 当時のネット仲間とは今でも交流があるが、映画ライターとして名をなした者や、コンテンツが出版された者なども珍しくない。
 おかげで本業の広告会社でも知識を活かしてWEB広告担当になった。いい歳をして高校生達と混じって情報処理の資格試験を受けたのも楽しい思いでだ。
 さる自治体のサイト構築に参加して、全国の自治体の取り組みコンテストで賞をいただいたのもこの頃。
 そんなある日、例の彼からまた連絡があった。2013年の末である。
「このたび電子書籍で作品出しました」
「え? 個人で出せるの?」
 アマゾンが電子書籍の販売を始めていたことは知っていたが、電子出版には法人格のあることが条件だったのだ。
「アマゾン・キンドル、個人での出版、解禁されたんですよ」
「そうだったのか!」
 彼はキンドル・ダイレクトパブリッシングのテキストを教えてくれた。
 早速、またしてもテキストと首っ引きで電子出版したのが2014年の2月だった。
 かつてインターネットに殺到したように、アマチュア作家が電子書籍に殺到していたのだった。
 今、そのムーブメントは文芸投稿サイトに移っている。大勢の書き手がスマホやPCから作品を投稿している。その中から人気の高い作品が商業出版に拾い上げられる仕組みも一般化した。
 従来からの公募も、データ応募が一般化していて、「応募は原稿用紙で右肩を綴じて云々」の時代からは隔世の感あり。
 紙の商業出版のように量を売る必要がない電子出版。無料で出せるということもあり、玉石混淆であることは否めない。おかげでいまだにメディアからの扱いは低い。小説も論評の対象にすらされない。
 だが、細く長く読まれることで書き手の知名度も少しずつ上がってくるのが新鮮な驚きだった。
 少数とはいえ熱狂的な読者がいることが、どれだけ書き手にとっての励みになることか。
 自分がファンだった作家が、SNS経由で作品を読んでてくれたことを知った時は、小説を書いていて良かったと感激した。
 数年前からさる自治体の文化課のご依頼で小説講座をさせてもらっているが、そのきっかけも「小説指南」という電子書籍がきっかけになっている。
 この本は、インターネットで小説を書きたい人たちにアドバイスをするコーチをしていたとき、その「気づき」を書いていたブログ記事を電子書籍にまとめたものだ。
 WEB30年の今、自分は64歳になっている。
 本来なら定年退職を迎え、余生に何をしようかと自分探しをするタイミングだ。
 ネット上には「小説を書きたい」という、若い頃の自分のような仲間がたくさんいる。
「死ぬまでに、何本作品残せるだろうか」
「書き上げられるまでは惚けてられねえ」といった明確な目標があることの幸福。
 これもインターネットのおかげだろうなと感じている。

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