創作エッセイ(41)飽きっぽい子

 私の子供の頃の悩みは、飽きっぽいことだった。両親からも「おまえは、何を始めてもすぐ飽きてしまう」「集中力がない」など散々だった。

何故、飽きるのか

 親がノリノリで勧めてくる遊びや習い事もある程度経つと飽きてしまう。
 典型的なことが植物採集。小学校の1年から3年までは、これを夏休みの宿題にしていたのだが、これを本当にやりたがって楽しんでいたのは父親で、私は親の顔色をうかがってやっていたものなので、自分でも飽きて当然だと思っていた。何よりも、私より先に父が飽きていた。

好きで始めても飽きてしまう

 ただ、自分で好きで始めたことなのに飽きてしまうことも多かった。小学校も高学年になってくると、クラスメートの中にも鉄道や天体観測、模型造りなど、「一芸に秀でる」連中が現れる。彼らにとって好奇心が強くて色々なことに首を突っ込んでくる私はいい教え子だった。しかし、それらの趣味に一緒にのめり込む事はなかった
 当時、「僕はどうして、みんなみたいに夢中になれるモノがなの?」と泣いたこともあった。唯一、趣味と言えるのは読書なのだが、「趣味は読書です」とは「僕には趣味がありません」と同義語だと思っていたのだ。

夢中になるモノを探して

 高校に入学後は天文部に入った。中学時代、理科が好きで、実験や調査に胸を躍らせて、自分は理系だと信じていた。だが、天文部で、自分は科学の好きな理系の少年ではなく、科学のロマンが好きな文系の少年だということに気づかされた。同時に、何かに夢中になっている人こそが面白く、その人を通してそのモノに興味を抱くという自分の心のメカニズムが判ってきた。

続けていることがあった

 高校ではマンガを描き始めた。大学ではシナリオや小説を書いてみた。物語を作ることが面白くなったのだ。しかも、これは親や友人に勧められたり強制されたものではない。
 その後、広告会社の営業マンになり、一時、軽薄なパリピっぽい生活もしたが、その間に友人達とたしなんだスキー、ダイビング(ライセンスは取得)など、楽しんだが究めるまでは続かなかった。
 そんな中、唯一続いているのが小説を書くことだった。断続的ではあるが42年続けている。細君との付き合いより長い(苦笑)
 物語を作って人に聞かせることこそが、私の夢中になれることだったのだ。読書を趣味とする読者が、最後の一線を越えて書き手側に回ったのだ。

同じような連中がこんなにいた

 会社員をしながら書いているときは、同じように小説書こうとする人間は一人しかいなかった。だが、インターネット時代が到来して、個人がホームページを立ち上げて発信できるようになると、ネット上のそこここで、同じように物語やコンテンツを作って発信している連中がいるではないか。
「俺たちはひとりぼっちじゃない」
 その気持ちがモチベーションになった。

旺盛な好奇心の裏返しが飽きっぽさ

 近年でも、いろいろ首を突っ込んではいる。面白かったのはアーチェリー。一人で楽しめて短時間で集中できる。道具さえ安く手に入れば、また始めたいと思っている。
 学生時代に乗っていた自動二輪は、42歳の時に通勤に使い始めて17年ぶりに乗り始めてから、ずっと今まで乗り続けている。気持ちの切り替えや、季節の移ろいを味わう装置として、あと10年ぐらいは乗りたい。
 子供の頃に悩んだ「飽きっぽさ」は旺盛な好奇心が原因だったのだ。その好奇心が小説を書く際の人物造形や背景などに実に活きていて、子供の頃に悩んだ自分の性格こそが、作家目線だったのだなと、今になって思えるのだ。
 思えば父も飽きっぽい人だった。植物採集、油絵、釣り、座禅、野菜作り、色々手を出してそこそこできるようになると飽きて別のものに移る。私の性格は親譲りだったのだ。母に聞いたことだが、父も子供が生まれる前は小説を書こうとしていたそうだ。
 血は争えない。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?