小説指南抄(33)読者の共感を得るとは

(2015年 11月 05日「読書記録゛(どくしょきろぐ)」掲載)

読書における共感とは?

 小説を読んだときに、「そうなんだよな」とか「わかる」といった腑に落ちる感覚があると思う。
 これが、作者や作中人物に対して共感する瞬間である。この体験があることによって、もっとこの作者の作品を読みたい、またこの登場人物に会いたい、という気持ちになるわけだ。

 小説を書くからには、読者にそのような「共感」を体験させたいものである。

共感させるには

 そこで、私が生徒諸氏にお勧めしているのが、自分と年齢の近い作家の作品を読むことである。
 自分と同じ音楽を聴き、同じ教育を受け、同じ映画を見て、同じテレビを見て、つまり同じ時代の空気を吸っている同時代で同世代の作家が、現代を、「どう見て」「どう感じ」「どう考え」「どう作品化」したのかを見極めることが大切なのだ。その上で、「なるほど」と思うこともあれば「それは違う」と感じることもあろう。
 それが大事なのだ。

共感と迎合は違う

 とはいえ、「共感」とは、読者に迎合することではない。「共感」を得ようとして、考えや感覚を「普通」にしてしまうのは本末転倒だ。
 むしろ、読者が感じてはいるけど、はっきりと気づいていないことを「意識化」して提示し、その何とも名状しがたい気分とは、こういうものだと提示することによって、「そうだったのか」「そうそう、そういうことなんだ」と感じさせることができる。それこそが「共感」なのだろう。

 最近では、私自身はこのような感覚を重松清さんの作品で感じることが多かった。重松さんは、私より二歳年下だが、まさに同時代で同世代の作家である。
 そんな作家を見つけることも小説創作の修行の一助になると思う。
(2023/12/18 追記)
 共感させることは、説得することや、ましてや論破することとも違う。読者とは違う考えや感覚や気持ちを、わかってもらいたいという場合、その一見変わった考えや気持ちが、「これ、僕たちが感じている、あの感覚や気持ちの延長線上なのか!」と気づかせるだけで深く心に刺さる。
 私がフィクションからそれを気づかされたのは、田辺聖子さんの「ジョゼと虎と魚たち」という作品を読んでである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?